昭和30年代を扱った映画や本、写真集などが流行っているようです。
もちろん、その最大の要因は映画「ALWAYS三丁目の夕日」の大ヒットでした。
その雰囲気が誰にも懐かしさを呼び起こすものでしたが、しかしその内容は誰にも知られることはありません。
つまり、メイン舞台の「鈴木オート」の年収はいくらだったのか、集団就職で勤めだした六子の給料はいくらだったのか、故郷の青森の親や兄弟はなにをしていたのか、等々の詳細は闇の中です。
こういった事柄は政府の「国勢調査」「労働力調査」である程度は知ることができます。
しかし、こういった調査には限界が多く、これらの統計は基本的には個人単位集計であるために家族の就業構造といったことはわかりません。
こうしたテーマについて、社会学者のグループが1955年から5年おきに実施している調査があり、SSM調査(社会階層と移動全国調査)というものでした。
しかし、これにも致命的とも言える欠点があり、1965年調査までは「調査対象が男性だけ」というものだったのです。
これでは現在から見直した時に使い物にならないところだったのですが、1965年の調査原票が奇跡的に残されていました。そこには家族の状況が書き込まれ、女性たちの様子も分かる部分があったそうです。
もちろん、男性主体の調査だったために女性だけの世帯は含まれていないといった点は残っていますが、少しでも情報を引き出そうと、編著者の武蔵大学教授の橋本氏を始めとする社会学研究者たちが解析し直したものがこの本にまとめられています。
1965年と言うと、戦後日本社会の曲がり角と言うべき時代でした。
高度経済成長はちょうど折り返し点と言えるところです。
第1次産業から急速に人口が第2次産業に移ってきたのですが、それがこの辺から第3次産業へ流れるようになります。
それまでの自営業セクターと言うべき農業や商工業者から、資本主義セクターの資本家と労働者階級へと変質していきます。
この時代には農家はその戸数は維持したままですが、人数がどんどんと減っています。
跡取り男子以外は労働者として流出していますが、農家自体が無くなることは無かったという、過渡期だったと言えるでしょう。
また、労働環境では1965年の失業率は1.2%と歴史的に見ても一番低かった時代です。
これは完全雇用とも言えますが、実はその多数は劣悪条件で就業する労働者が多く、また自営業者も事実上は失業者と変わらないような潜在的雇用者が蓄積していました。
世帯の総収入というものが、平均で年間42万円ほどでしたが、農家世帯ではそれが27万円に過ぎません。
一家総出で働きながらこの金額にしかならず、生活水準は貧困世帯と変わらないものでした。
一方、労働者階級でも収入の多い世帯や、新中間層と言う高収入世帯では、夫が働くのみで妻は専業主婦という家庭形態が普通となり、女性の就業率は非常に低いものでした。
農家世帯からはその後続々と都会に流出する次男・三男たちが増えていきます。
しかし、彼らも学歴が低いために高収入の職に就くことがかなわず、中小企業等に雇用されることが多いのでした。そのために、その後の収入も低いままとなり、その後の格差拡大の要因ともなることになります。
また、彼らの低収入のためになかなか結婚しづらいということもあったようです。
現代の社会格差の拡大という問題の基になるのは、かつての格差であったのでしょう。
それが当時の資料の精細な解析によって明らかにされるものとなっています。
家族と格差の戦後史―一九六〇年代日本のリアリティ (青弓社ライブラリー)
- 作者: 仁平 典宏,元治 恵子,小暮 修三,佐藤 香,橋本健二
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1965年といえば、私は小学校高学年。もう周りの状況もある程度は分かってくる年代でした。
我が家は父がサラリーマン、典型的な新中間階級と言うような家庭で、あまり経済的に苦しいといったところはありませんでしたが、親戚には農家もありその暮らし向きは楽ではなかった様子が感じられました。
決して、懐かしいとだけ言っていられる時代ではなかったという印象は持っています。