今の社会では格差が広がりそれが子供の代にまで固定化してしまうと言われています。
低所得者層がなかなかそこから抜け出せないという実感の奥には、いろいろなライフステージごとに実際に選択できる「生き方」というものに著しい不平等があるようです。
社会学研究者で、とくに社会階層や格差についてを専門にされている著者が、子供、若者、勤労者、高齢者という各世代ごとに数々のデータを基に実態と原因を探ります。
日本では個人の選択によって「生き方」を選べる建前になっています。
しかし、家庭の経済というものを考えただけでも、進学や就職でできる場合とできない場合があるということは分かります。
日本の政治では、政策論というものはほとんど話題にもならず与党の政治家の間では目先の陣取り合戦に終止してきました。
そこに新自由主義を掲げ民営化、規制緩和を推し進めた小泉内閣は新鮮に映りました。
しかし、そこでは「格差」を容認するような流れとなってしまいました。
ここで容認された「格差」は、実は成功してがっぽり稼ぐという方向だけであり、失敗して貧乏に沈む大多数の格差は無視されただけでした。
その「貧乏」が大きな問題として今や社会中にあふれてきました。
子供の貧困というが、ようやく大問題として騒がれるようになってきました。
子供を抱える貧困層というものには数種類あります。
晩婚化と言われる中でも10代から20代はじめにかけて、結婚するカップルがかなりあります。
これらのカップルの多くは妊娠をきっかけに結婚する「できちゃった婚」です。
彼らはほとんど高校を卒業するかしないかという段階で結婚するため、得られる職業は非正規雇用の低賃金労働が多く、また母親の多くは子育てだけに専念し無職であることが多くなっています。
これらの家族はまさに「ワーキングプア」の状態となっています。
しかし、これまでの日本の政治ではこのような人々に対する社会保障はほとんどありませんでした。
そして、子供の貧困ではそれらよりはるかに多い事例が「母子家庭」です。
日本は世界的に見ると「母子家庭」の割合は低いのですが、「貧困の母子家庭」の比率は非常に高くなっています。
つまり、「母子家庭」となっている世帯の多くは貧困状態になっているということです。
2005年に日本の母子世帯数は75万でした。
その8割は離婚で、子供の年齢は未就学児が半分以上です。
さらに欧米と比べて特徴的なのは、その母親の85%が働いており、その半数以上が非正規雇用でした。
したがって、母親が働いていても貧困を回避することはできない「ワーキングプア」状態がほとんどでした。
高齢者と言っても人によって経済的な格差は大きくなっています。
1960年には、高齢者の9割が子供(主に長男)家族とともに同居する3世代世帯で暮らしてしました。
しかし、その後の50年で老人の夫婦のみあるいは一人暮らしの世帯が半数以上にまで増えてしまいました。
周知のように、今の老人の年金制度はかつての3世代世帯を基準として作られており、このような老人のみの生活が多くなると、その収入の不足は大きなものとなります。
特に、女性の一人暮らし世帯ではほとんどが貧困状態にあります。
他にも数々紹介されている社会の不条理ですが、それに対処するために著者は「お互いさま」という思考を基本としていきます。
ただし、残念ながらそれを読んでもどうも実感が湧きにくいものでした。
簡単な話であるはずもないのですが、どうすればよいかは難しいものなのでしょう。