爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質」保坂正康著

著者はノンフィクション作家、特に昭和史の範囲をできるだけ当事者や周辺の人々にインタビューをしてそれをまとめるという手法で、「東条英機天皇の時代」などの著書を発表しています。

 

本書は、それらの著書を執筆する過程での関係者への聞き取りなどについて、様々な月刊誌などに書いた記事をまとめたもので、著者の姿勢やエピソードなどが分かるようになっています。

 

2部構成で、第1部は本の題名にもなっている「官僚亡国論」、これは現在の官僚ではなく、太平洋戦争当時の「軍官僚」、軍部に属してはいても決して戦場に出て戦うこともなかった連中がいかに国を誤ったかということを主に扱っています。

第2部は皇太子と秋篠宮の関係について、ちょうど皇太子が記者会見で皇太子妃の「人格否定発言」をして問題となった頃に、皇太子と天皇、そして弟の秋篠宮について様々な取材を通して分かってきたものを数冊の本としたそうですが、それについての読み物となっています。

 

太平洋戦争は、その開戦の決定までのプロセスを見た時に、決定に関わったと言える人々は政府からは首相、陸相等6名、軍部の大本営側からは、参謀総長など4名、合計して10名だけと見なせるそうです。

彼らは国と国民の生命や財産を危機にさらす決定を真剣に討議した後もないまま決めてしまいました。

そして、彼ら10名は実はすべて「官僚」であったということです。

そこには、政治家・重臣・経済人・言論人のいずれも存在せず、官僚か官僚出身の閣僚でした。

 

太平洋戦争をめぐっては、その指導者の見通しの無いこと、指導者の責任逃れ、そして当時の声明や文書など、すべては官僚というものの性格によるものといえます。

 

本書を執筆した2008年当時は官僚の失敗というのが連続して起きていました。

農水省事故米販売、社会保険庁の年金事務失態、防衛省事務次官の収賄事件など、官僚の暴走が相次いでいた頃です。

そして、それを見て連想されたのが、太平洋戦争開戦の第1の責任者の東条英機でした。

東条は軍部に属しますが、軍人と言えるようなものではなく「軍官僚」というべき立場です。

著者は東条を取材し本を書いた経験がありますが、そこに表れていたのは指導者としての責任に対する反省もなく、犠牲となった国民に対する思いもないものでした。

 

こういった軍官僚の特質は現在の霞が関エリート官僚にも続いているものです。

著者は官僚体質について、高橋洋一氏、岩瀬達哉氏、佐藤優氏と討論をしていますが、そこに表れているのは有能とも言えない霞が関官僚たちが思い上がり国民をないがしろにしている現状でした。

 ここで記されている官僚の惨状は読むだけでも腹が立つようなことばかりですが、

佐藤氏が語るのは特に外交官僚の能力の急激な低下です。

外務省にはロシア関係で200名ほど職員がいるそうですが、そのうち辞書を引かずにロシアの新聞が読めるのはわずかに6名程度、辞書を引いても読めるのは2割とか。

岩瀬氏は年金業務監視等委員会で委員を勤められたそうですが、そこでは社保庁厚労省の官僚が「ウソと沈黙」に終始したとか。また彼らは首相の指示も公然と無視し開き直ったとか。

高橋氏は小泉内閣で政策スタッフをされたのですが、財務省の官僚がもっとも抵抗したのが政策金融機関の整理統合でした。それは、かれらの天下り先が無くなるからというのが理由です。官僚は「省益」だけを重視しているという批判がされますが、実際は「省益」ですらない、「個人益」だけを考えているそうです。

 

著者は、元大本営参謀として太平洋戦争当時さまざまな暗躍をしていた瀬島龍三氏の評伝を書いたことがありました。

瀬島も著者の言う「軍官僚」そのものという人物です。

取材にあたり、瀬島本人にも長時間にわたるインタビューをしました。

そこでは、開戦時に外国電報をすべて検閲していたとか、台湾沖での航空戦の報告を握りつぶしたとか、ソ連と終戦の交渉をしたとか、シベリアの捕虜収容所で特別待遇を受けたのかといったことも聞こうとしたのですが、都合の悪い点は上手く論点をずらしながら答えないという周到さを示したそうです。

しかし、以前に私も読んだことのある本の著者で昭和史に深い知識を有する半藤一利氏が瀬島と対談した時にはさすがの半藤氏の追求に思わず真実らしきことを語ったそうです。

 

最近の風潮で、日本の悪い点に触れようとするとそれは「自虐史観」だといって批判する勢力が増えてきているということがあります。

著者の保坂さんも度々そういったことを言われる機会があったそうです。

しかし、保坂さんから見ればそのように言う連中の歴史観などは穴だらけ、スキだらけの粗雑なものであり、取るに足らない程度のものでしかありません。

そこで、著者が言うのは「自虐史観」ではなく「自省史観」というものを確立すべしということです。

そのためには、徹底して史実を洗い出し立証すること。さらに、自虐史観などと言って批判する勢力は戦後ずっと潜伏しておりようやく今表に表れてきたということを認識することだということです。

なお、著者は自らを「保守言論派」と考えていますが、自虐史観と言い出す歴史修正主義者は保守派とも言えないような者たちです。

なお、「革新」という勢力もその歴史観は史実を適当に取捨して都合の良いものだけを見るような人々が多く、著者は決して与することはできないようです。

 

 

本書第2部は皇室に関するもので、ちょうど10年ほど前に皇太子が雅子妃が「人格否定されている」という発言を記者会見の場で発し、また天皇も皇太子一家がほとんど会いに来ないということを批判的に語ったということで、その間の摩擦が大きいのではないかということ。そして、その間に立って秋篠宮が非常に大きな存在感を示しているということが書かれています。

詳述はしませんが、この問題は昨年の天皇の退位希望発言で大きく変わっているようです。

そうなれば皇太子が即位するのでしょうが、秋篠宮がどうするのか、興味ある問題です。

 

官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質

官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質