爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「”汚い”日本語講座」金田一秀穂著

”汚い”日本語といっても、よく言われるように一部の各地方言で例えば「河内弁は汚い」とか、「熊本弁は汚かー」といったような「汚い」という意味ではなく(本書題名をみて最初はそれだと思いました)本当に、「汚い」という言葉がどのようなものを指し、それで我々が何を伝えようとしているのかということを、詳細にわたって検討されるという極めて深い意味の言語学的検討でした。

 

汚いと言って思い浮かべることは何か、これには多くのものが登場しますが、たとえばゲロ、痰、便、尿、鼻くそ、歯くそからずっと排泄物が続き、涙まで到達します。

涙くらいになると汚いと感じるかどうか微妙なところです。

しかし、汚いとはどういうことかというとそれほど明確に区切られているわけではなさそうです。

臭いというのも重要な要素ですし、色も白いものよりは黒系、黄色系のものが汚く感じる。

またばい菌が多いかどうかも考えられる要素です。

 

しかし、こういった衛生的要素というものは民族によって大きく異なるようで、モンゴル人は歯くそが一番汚いと感じるようですし、東南アジアでの食堂やトイレの汚さは日本人には耐えられない場合もあるようです。

 

ただし、日本語の「汚い」にはこういった衛生的な汚さというもの以外にも「汚い字」「やり方が汚い」といった意味も含みます。

辞書の記述から考えられるこういった「汚い」ものには「触れたくない」という心理が隠されていそうです。

 

他にもいろいろこの種の言葉の中に含まれている我々の深層意識について記述がありますが、この辺で端折っておいて、最後の部分の一言。

 

原始の社会で言葉を話し始めた人類がかなり初期の段階から間違いなく発した言葉が「ばっちい」(という意味の言葉)であろうということです。

それでなくてもそういった社会には衛生的に問題となるような嘔吐物、排泄物、害虫、流血等々の物質があふれていました。そこに赤ん坊が這っていく時に母親が「ばっちい」と叫ばなければ危険だったということです。

 

言葉一つ一つをじっくり見ていくというのも面白いものです。

 

「汚い」日本語講座(新潮新書)

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