爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「インダス文明の謎 古代文明神話を見直す」長田俊樹著

古代の四大文明というと、エジプト・メソポタミア・インダス・黄河と歴史の授業で覚えさせられ、どれもが大河の流域に栄えたと言われてきました。

また、インダス文明にはモヘンジョダロハラッパ遺跡で高度に計画された都市が建設されたとも習いました。

 

しかし、どうやらそれらのイメージは相当な間違いがあったようだと、著者の長田さんは書いています。

著者は専門の考古学者ではないそうですが、インドパキスタン地方にいる少数民族の言語を専門に研究していた縁でインダス文明遺跡研究の世話をしてきたのが関わりだったということです。

 

インダス文明の遺跡というのは、非常に広範囲に分布しておりまたその数も現在では約2600と言われているそうです。

その範囲は1500kmから1800kmに及び、日本列島と同じくらいの広さに散らばっています。当然ながらインダス川の流域だけというわけではなく、川のない場所にも分布しているようです。

 

しかし、インド・パキスタン両国の政情不安や遺跡発掘に対する資金欠乏などの要因で、これまでに発掘された遺跡というのは遺跡全体の1割にも満たないとか。

まだほとんどの遺跡が放置されたままになっています。

 

インダス文明遺跡の発掘はさほど古くから行われていたわけではなく、20世紀に入ってからのようです。

研究の第1人者と言われてきたモーティマー・ウィーラーがハラッパ遺跡を発掘したのはなんと第2次大戦後の1946年からのことでした。

ウィーラーの研究は、メソポタミア文明との類似点を見つけ出すことだけに注力されていたような、先入観に囚われすぎたものだったようで、インダス文明の理解というものを大きく歪めてしまったと著者は批判しています。

 

メソポタミア文明のような大河の流域で大規模な灌漑農業を行なうような中央集権的王政国家というイメージをそのまま当てはめるような発掘でした。しかし、実際はその解釈では間違えてしまったものが多かったようです。

 

ウィーラーに先行したエジンバラ大学のピゴットは、モヘンジョダロハラッパを二大首都だとみなした説を発表し、ウィーラーもそれに従ったのですが、実はそれ以外に無数の同程度の都市遺跡が存在していました。

 

また、インダス文明の衰亡について、アーリヤ人の侵入によるという説がピゴット、ウィーラーなどにより唱えられましたが、これも現在ではまったく否定されているそうです。

 

現在では特に大きな都市遺跡が5つあると言われているのですが、その一つのパキスタンのガンウェリワーラー遺跡は完全に砂漠の中にあり、付近には大河などありません。

古代文明は皆大河のそばに成立したという昔の固定観念から、かつては大河があったが気候変動などでなくなったといった説も出されていましたが、どうやらそういった事実も無かったようです。

どうやらインダス文明の各地の遺跡というものは、同じような状況で成立していたのではなく、各地で多様な方法で成立していたようです。農業のやり方も場所によって異なり、その他の産業も異なる。それを支えている人々も多様な人種だったようです。

 

しかし、インダス文明についてはまだ多くの研究されていない部分があり、謎の多いものとなっています。

研究が進めばさらに新たな知見が得られるのではないかというのが著者の望みでした。