爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「考古学はどんな学問か」鈴木公雄著

慶応大学の名誉教授であった著者の鈴木さんですが、考古学に関するあれこれを記した本書出版の直前に亡くなっています。遺書のようなものだったのでしょうか。

考古学の主流は文献が出始める歴史時代の前の時代を扱ったものかもしれません。著者も縄文時代の発掘から研究をスタートしたようです。

しかし、たまたまかもしれませんが、東京港区の依頼を受けて港区内の貝塚の発掘を担当し、その際に江戸時代の遺跡の発掘ということも行ない、これまで考古学としては少々軽視されがちであった近世の遺跡の考古学的発掘という方向にも目を向けるようになったようです。

こういったものを歴史考古学と呼ぶようですが、江戸時代などの文献も相当残っている時代であったもその遺跡から得られる情報は貴重なものがあるようです。

どうも何から何まで文章に残すわけではないということがあるようで、当然視されることはなかなか改めて文にしないことが時代が移ると情報も失われるということでしょう。

 

考古学を語る前に、歴史学というものを考えていくうえで、西洋の考え方として文字が現れた時点を境としてその前が「無文字史学」そのあとが「文字史学」と分けて考える方法があります。

ヨーロッパではそれがちょうどうまい時期に境があって良かったのでしょうが、文字を使わなかった文明では相当新しい時代にその境がずれることもあり、一概にはうまい分け方と言えるものではないようです。

 

この本出版の2005年はあの旧石器捏造事件の直後でした。当然、それにも言及されていますが、本職研究者の著者から見ればあの捏造者やアマチュアであり、考古学界にとってはまだ良かったといえるようです。

しかし、学界としての反省点はいろいろとあるようで、やはり批判を自由にできる風土というものが必要ということです。さらに、マスコミの過熱報道も問題があったということです。

 

縄文文化というものがやはり著者の研究生活の原点となるためでしょうか、その描写も詳細ですが、弥生に入り米作がおそらく大陸から人とともに渡来してその後の社会を大きく変えてしまったとはいえ、日本列島に住む人々の心の根底には縄文の伝統があったはずであるという指摘です。

確かにその面は否定できないでしょう。

 

文明と数の好みというのは特有のものが見られるのですが、アイヌでは6という数が特に好まれていたそうです。また日本では8が好まれ、八重垣、八雲、八岐大蛇など古代の神話に多く取り上げられている数が8で、これを特定数と呼ぶそうですが、それ以前の縄文土器から見られるのは、縄文人は奇数を好んでいたようだということです。

特に5や7が多いのですが、これが実は現代までつながる「家紋」のデザインに残っており、五角形の模様が多いのはこのせいではないかということです。

 

著者が長らく携わってきた「先史考古学」に対し、その研究生活の後半で着目した「歴史考古学」というものの将来を考えていたようですが、残念ながらその途中で亡くなってしまいました。この後もその重要性はあると強調されています。おそらく続く研究者がいらっしゃるのでしょう。

なかなか奥深いものがあるのが考古学というもののようです。