爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「石油は枯渇するのか、代替エネルギーは その1」

そこそこ科学的な考え方をする人でも勘違いをしていることが多いのが、「石油が枯渇する」です。
そもそも「石油が枯渇する」とはどういった状態と考えてこの言葉を使っているのでしょうか。
現在普通に得られているような原油が得られなくなるということを指しているのであれば、このような「石油枯渇」はありえると言えるかも知れません。しかし、現在ですらそのような「石油」でない石油を採掘してすでに使っています。「シェールオイル」というものはそれに当たります。これは決してこれまでの概念での「石油」ではありません。しかし、「石油成分」と呼べるような有機化合物を含んでおり精製することで使用できるために「石油資源」と考えることができます。

例えばシェールオイルのようなものまで「石油」と考えるならば、こういったものが「枯渇する」ということはありません。なぜならそれをすべて使い果たすということは不可能だからです。
ここで、EPR(Energy Profit Ratio)という考え方が必要になります。これは、エネルギー資源の質を考える上で、それを得るための投入エネルギーと産出した後で使用できるエネルギーの比率を表す指標です。(産出エネルギー)/(投入エネルギー)ですので、この指標が高いほど安価で優れたエネルギーと言うことができます。
石油資源をみると、昔々の開発当初の油田のイメージのような、少し掘り進んでいけば原油がすごい勢いで噴出するといったものではこのEPRの値が100に近いものだったということですが、その油田も採掘が進み老朽化してくると海水を注入してその圧力で搾り出すようになり、そうなるとEPRが10を切ると言うこともあるようです。
シェールオイルなどはこのEPRが5以下という説もあるほどで、ほとんどコストが合わない程度のものだそうです。このような「石油」まで使い果たすということはまったく経済的にもエネルギー的にも無駄であり、結局最後までは使いきれないまま終わってしまうと言うことになるでしょう。

この言い方で枯渇と言うことを言い換えれば、「EPRが10以上の良質石油は枯渇する」のは確かかもしれませんが、「EPRが3以下の悪質石油は残る」と言えるかも知れません。

オイルピーク論」という学説がありますが、これを「石油枯渇説」であると一方的に誤解して非難する人も居ます。しかし、オイルピーク説ではどのような意味でも石油が枯渇するなどとは言っていません。あくまでも控えめに「石油の供給はこれ以上増やせない」ということを主張しているに過ぎません。これを否定できるのでしょうか。
石油供給が増やせないのは産油国が収入減を避けるために産出量を制限しているだけだと言う見方をする人もいますが、そうでないことは最近のOPECのごたごたを見ても分かります。あれだけ価格が一時的にせよ下落していても協調して生産減ということすらできません。彼らにはできるだけ生産すると言う以外の行動は取れないようです。
オイルピーク論の怖ろしいところは、「供給が増やせない」ことがそれだけで石油価格の高騰を招き、世界情勢を不安定にしてしまうということにあります。

なお、EPRという指標もその標準的な算出方法ということも決まっていないようで、かなりの部分は研究者の恣意的な算出がまかり通っているような状況です。石油にしても原油が油田で得られるEPRは各油田で算出できるかもしれませんが、それをタンカーで運び精製し、さらにタンクローリーでガソリンスタンドまで配達して給油できるまでになったガソリンのEPRといった細かな数字を計算した例は見たことがありません。おそらく原油のEPRよりははるかに低い値になるものと考えられます。細かい計算は煩雑すぎ、こだわっていても話が複雑になるばかりですからある程度のところでまとめた値を示すと言うのはやむを得ないことですが、しかしそのような値は確実に現実のものよりも高目に出るものと考えられ、それを認識していないと考え違いをする可能性が強いように思います。
また、原子力発電のEPRが30以上などといった数字が出されることもありますが、これも穴だらけの理論であることは明白で、事故の対応に要するエネルギーを計算に入れていないのは仕方がないにしても放射性廃棄物の処理にかかるエネルギーすら計算していないのも明らかで、これらすべてを算入すればEPR1以下(エネルギー源とも言えない)であることは間違いないところです。