爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「寺院消滅」鵜飼秀徳著

著者は新聞記者をしている方ですが、京都のお寺の生まれで忙しい時は実家の手伝いもされるとか。そのような寺院の実情にも詳しいために現状の厳しさを伝えようと各地の寺院の取材をされ、存亡の危機を迎えている寺院について本にしました。

 

本書の初めの部分は予想通りに地方の過疎化が進む中でのお寺の状況についてです。

檀家も毎年減少していき、収入がどんどん減っていくのですが、さらに寺の住職の高齢化も進み、後継者も居ないまま住職が亡くなると同じ宗派の寺が無住のまま管理するということになるそうです。そういった寺がどんどんと増加していき、全国に17万の宗教法人がある中で6万は消滅可能性が強いということです。

地方自治体すら消滅の可能性が言われている中、寺院も同様に消えてしまうのは当然なのですが、何とかしなければと頑張っている方も多いようです。

 

地方の過疎化と並行して東京などへの人口集中が進んでいますが、そのような都会地でも新たな寺院が起こるわけでもなく、寺と人とのつながりは薄まる一方です。

葬式の時だけ読経を頼むということになり、昔からの寺の住職を頼むこともせず、葬儀社と契約している僧侶にその場だけ取り繕うことが多いとか。これも仏教界の解体にもつながることです。

 

仏教組織自体が崩壊の危機にさらされているとも言える状況です。

しかし、このような危機は今回が最初ではないということが本書には述べられています。

明治初期に廃仏毀釈が起こったということは歴史上の知識としてはありましたが、それがどのようなものだったかはそこまで具体的には知らなかったことでした。

かなり地域差が大きかったようですが、特に激しかった鹿児島ではほとんどの寺が破壊され僧侶も還俗させられほとんど跡形もなくなってしまったようです。

わずかに住職が決死の覚悟で本尊を守った、出水市の感応寺と言う臨済宗の寺はその11年後にようやく再建を果たしました。しかし、このような例は鹿児島県内ではほとんど無かったようです。

 

さらに、戦前までは寺院が所有する農地がかなり広大なもので、そこに小作人を抱えていた例が多かったため、財産にも余裕があったものが、戦後の農地解放でほぼすべての農地を失いました。そのために財政的な基礎を失った寺院が多く、住職が他に兼職して稼ぐしかなくなったというのも、その後の寺院維持に大きく影を落としてしまったようです。

 

日本の各地の寺院では住職自体の希望が失われ、絶望が広がっているようです。中には現代に即した仏教のあり方を求める僧侶も居ますが、この後宗教としての存続ができるかどうか、難しいもののようです。