爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

2014年まとめ 経済成長に振り回される

各月の出来事など思いつくままに印象深かったことを書いてみましたが、とにかくこの年は「経済成長」を求める政治と人々に振り回されていたと言えるでしょう。

経済成長という数字さえ得られれば成功と言うだけのアベノミクス政策がすでに破綻しかけているにもかかわらず、「まだ足りない」と思わせる手法で選挙まで勝ち抜きあと4年間のフリーハンドを手にしたかのような首相ですが、その先行きはどうなるでしょうか。
賀茂川耕助のブログ”の最新記事にはアメリカのジャーナリストはこの「アベノミクス」を「バンザイノミクス」と呼ぶ人が居るそうです。アメリカで「バンザイ」といえば第2次大戦時の特攻隊や玉砕攻撃を意味するのでしょうが、まさにそのイメージがつきまとうのでしょう。的確な呼称だと思います。

経済成長が盛んで景気の良かったと言えるのはどのような時代だったのでしょう。(この先は色々な本などで仕入れた知識をまとめたもので、これといったまとまった引用元はありません)
まず江戸時代の新田開発が盛んな時代があげられます。これは人々の労働と努力と言えますが、見方を変えれば自然というものを収奪しただけのことかもしれません。新田となった場所の元の自然に住んでいた生物は確実に死滅しました。
明治時代になり殖産興業という名の元で工業化が進みますが、これは裏ではアジア各国からの農業産物などの輸入というもので支えられてきました。それで食糧も増えて人口の増加にもつながりました。より確実にできるように植民地化を進めた過程で列強との摩擦が増し戦争になりましたが、この辺の事情は西欧列強の経済成長の経緯と重なります。資源供給国からの収奪で成長できただけのことと言えます。

敗戦後、復興の延長のように高度経済成長期が訪れますが、これも他の国々と同様に「安価な石油に支えられた工業化」による成長でした。石油だけではなく鉄やコンクリートなどの資源もその時代を支えている限りでは無限のように思えるものでした。私はこれは「エネルギー資源からの収奪による成長」であったと考えます。人類史上極めて稀な事態だったと考えています。おそらく後の世から見れば一瞬の幻と感じられるでしょう。
最後の経済成長はバブル経済だったのでしょうが、身分不相応と言うべき円高水準になったためにアブク銭が出回り(まさにバブル)これまた一瞬の夢の時代が到来し去っていきました。これもその後の経過を見たときに感じられるのは「後世からの収奪」だったのでしょう。あれからの20年という時代のあるべき利益をすべて一瞬にまとめて受けたようなものでした。

このように見れば「安定的な経済成長」などと言うものは幻にすぎず、それを求める限り何らかの歪みが出てくるのは当然でしょう。
現在の経済成長至上主義の政策もその実態は首相の仲間達への儲けのプレゼントなのですが、その根本にある経済成長信仰が間違いであることに気がつかない限り、実態が表に出ることはないのかもしれません。
なんとか良い方向に向けたいものです。