爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「とにかく目立ちたがる人たち」矢幡洋著

臨床心理士で作家の矢幡さんの本は以前にも読んだことがありますが、本書は「目立ちたがり」と言われる人の中でもまったく相反する二種類の性格について、アメリカのパーソナリティー障害の理論で最大と言うセオドア・ミロンという学者の説の紹介と解説を行っています。

その二つとは、「演技性パーソナリティ」と「自己愛性パーソナリティ」というものですが、それぞれ「ヒストリオニクス」「ナルシシズム」という別名があります。
ヒストリオニクスとは、常に「大袈裟な感情表現」をして周囲の注意を引きたがると言う性格です。これは病的でない軽いものは「社交的性格」とも見なせるもので、決して異常なものではなく広く見られる性格ですが、程度を越すと少々困った人と見られることになります。あまり物事を深く考えずに、周りの人々を喜ばせれば良いといったもので、お笑い芸人のようなもののようです。
こういった人々は内面は空っぽと言う人も多く、その場限りの付き合いで深い人間関係も作れないということになります。
著者はこのタイプの典型として、杉村太蔵元議員を挙げています。もちろん本人に会ったことも無く精神分析を行ったことも無いと言うことは明言しており、あくまでも報道などで得られた状況を分析しただけだと言うことは注釈をつけていますが、まあ誰もが納得の人選かも知れません。
ただ、いろいろな発言で世間を騒がせましたが、すべて深い意味があってのことではなく周囲を楽しませようという気分からだけのことで、そのため本人がそういった発言ができない状況になるとマスコミなどは裏では非常に落胆していたと言うことです。(面白いネタがなくなった)

もう一つの「ナルシスティック・パーソナリティ」の方はヒストリオニクスとはまったく逆に自らの自己評価が高すぎるというところから出てくるようです。
ギブアンドテイクということも、感謝の気持ちというものも知らずに周囲を搾取しようとするだけの行動をしてしまいます。
著者がここで挙げている例は、元長野県知事田中康夫氏です。これももちろん上記の言い訳はきちんとされています。
行動の例は一時騒ぎになった温泉での入浴剤使用の事件です。ここで田中氏は自らの知事としての役割を強大に見せようとして、違法ではない行為をことさら取り上げてマスコミに流すなどの問題行動をとったということです。

しかし、著者が強調しているのはこれらの性格というものが決して否定されるものではなく、これからの時代には結構受け入れられる可能性があるということです。特に、ヒストリオニクスというものは昔は日本では否定的に見られていたのですが、現在ではかえってそうではない性格が「ネクラ」などとしてネガティブに見られるようになってしまっています。
そのような傾向自体が問題ではないのですが、これらの性格では内面的な深さというものを求めることはないために、軽薄に流れてしまうということが問題と言うことです。