爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「医学的根拠とは何か」津田敏秀著

最近、同じ著者の「医学と仮説 原因と結果の科学を考える」という本を読みましたが、本書はこの本と一冊にする予定だったものを分けて出版したということです。あとがきにあるように、著者としては本書の内容の方がより訴えたかったことのようです。

著者の岡山大学医学部の津田教授は疫学の専門家ですが、これは直接の人間の反応を数量化して分析するという手法であり、科学的に医学を扱おうとする態度で世界的にも主流になりつつあるということですが、日本ではその方向性がまったく見られず、医者や医学部教授などの専門家といわれる人達の中にもまったく認識が乏しい人々が多いので日本全体として医学そのもののレベルが上がらない一因となっているということです。

放射線の影響であったり、水俣病の原因であったり、またPM2.5のレベル判定についても皆「医学的根拠はなにか」と問われますが、こういった例が頻発しているようです。しかし、それに対する専門家としての医師の意見が次のように大別されるということです。
すなわち、医師としての診察経験だけで物を考える「直観派」、動物実験や遺伝子分析などの基礎研究で判断する「メカニズム派」そして実際の人間のデータを定量的に扱い判断する「数量化派」ということです。

この3つはどれも医学の見方として欠かすことのできないものですが、その中でも現在国際的な基準で優越しているとされているのは数量化だというのが著者の主張です。
これらの主張は医学の発展の過程で19世紀からずっと論争をされてきました。最初は直観派が優勢であり、多くの患者のデータをまとめるという数量化派の主張は退けられることが多かったようです。
また、細菌感染症が細菌やウイルス自体の研究が進むことにより治療できるようになったことからメカニズム派の隆盛という結果にもつながり、それは現在でも大きな力を持っていると言えます。

しかし、1992年にマックマスター大学のガイアットらが主導する「EBM(科学的根拠に基づいた医学)ワーキンググループ」がアメリカ医師会雑誌に発表した論文(EBM宣言)により数量化が科学的根拠の判定の基礎だという方向性が定まりました。そこには「科学的根拠に基づいた医学とは、直観的、病態生理学的合理付けを基本的根拠としては重要視しない。臨床研究からの根拠を重要視する」とあります。これが、直観派やメカニズム派ではなく数量化派を重要視するということです。

疫学の成果としては、タバコの有害性の証明、フラミンガム研究(心疾患と習慣の関係)、コホート研究など実施され重要な結果を出しています。
数量化の結果としては「○○病の発生率が○倍になる」という言い方で報告されます。一方、メカニズム研究からは「○○菌が○病の病原」とか「○○病の病原遺伝子」といった言い方がされますが、これらは正確には病気と病因の因果関係を表してはいません。発症させやすくなることはあっても原因と結果として1対1で対応している証明はありません。
因果関係の証明をする際に、個別の観察をいくら重ねても他の事例の因果関係に流用することはできません。

このあたりの事情は医学専門家にもまったく認識を欠くものが多いためにそれに引きずられた法曹家が誤った判断をすることにつながっています。タバコの有害性に関する裁判でも、疫学的判断は個人の発症原因には応用できないという判断をする裁判官がおり、それはそのような医学専門家の入れ知恵によるものだそうです。

このたびの原発事故後の放射能影響を考える過程でも、数値の扱いに不慣れな「専門家」により混乱が広がりました。それを受け取った行政など「素人」がさらに広めたため混乱が拡大しました。広島と長崎の被爆者データから、100ミリシーベルト以下の被爆者68000人について「発がん性について有意差がない」というデータがあるそうですが、それを「100ミリシーベルト以下では影響が無い」と捉えてしまう専門家が多いようです。
対象となる人数は今回の福島の方がはるかに多いので、今後の調査によって「有意差が出る」可能性も大きいものですし、そもそも有意差がないということと影響がないと言うことは違います。
こういったところは、医者に対してほとんどまともな統計学の教育がなされていないせいがありそうです。まあそれは他の分野の専門家も同様でしょうが。

1996年の大阪で起こった大規模なO157食中毒事件でも、その対応に当たったのがメカニズム派というべき細菌学者であったためにまったく的外れな方向性で調査されたそうです。アメリカのCDC(疾病予防管理センター)が対策マニュアルも送付していたにもかかわらずそれを理解できる人がいなかったとか。CDCから調査メンバーが来日したにも関わらず調査させたくない厚生省が反対してまともに調査もさせなかったそうです。

水俣病の原因調査、患者対応も当時優勢であった直観派とメカニズム派の医師・研究者が行ったために惨憺たる状況を呈しました。それがいまだに尾を引いているようです。

現在も大学での医学研究は基礎医学という名前ではあるものの、まったく医学の基礎にはなっていないメカニズム派のものだけになっているそうです。現場の医師が臨床研究をまとめたいとしてもそれを指導できる人材は大学には居ません。このような状況では世界の医学からはるかに遅れたものしかできないようです。
これは著者の意見では大学医学部の構造自体が関わってきているそうです。数量化した医学というものを理解もできない医師たちが大学医学部の指導者となっているため、自浄作用も起こりえないとか。
日本の大学の医学部では人間を目標とするという理念だけは掲げていますが、実際は人間を対象とした医学の方法論の教育も研究もされていないのが実情だそうです。医学の問題点はいろいろなところにありそうです。