爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「水の環境戦略」中西準子著

最近では産業総合研究所でリスク論についての様々な仕事をされていたことで有名な中西さんですが、元々は東大の工学部で下水道に関する仕事をされていました。
当時の大規模な流域下水道というものを推進していた政府と、それに理論的な裏づけを与えていた当時の大学に楯突くような研究を続けたために、大学研究室内でまったく研究費も渡されずに村八分状態でずっと助手のまま留められた(辞めさせられないというのも面白い話ですが)というのは有名な話です。
本書はその状態から抜け出し、東大の環境安全研究センターというところで教授となった1994年にそれまでの水環境に関する研究をまとめたような位置づけのものかと思います。

しかし、本書中にはその後の主要な仕事の方向となるようなリスクというものの捉え方についての基本も触れられており、様々な方面のリスクの解明に関する業績の元はやはりこの水環境というものの仕事に始まっていたと言うことが分かります。

この当時の政府の姿勢はまだ旧態依然のようで、さすがにそれ以降は変化はしてきたでしょうが、基本は一緒なのかも知れません。
著者が鋭く批判しているのも一応当時の政府や企業姿勢などであると言うことです。

当時も現在も変わっていないのは、ダム建設というものに対する姿勢かもしれませんが、そこには大きなカラクリがあることはあまり知られていないようです。70年代から80年代にかけて渇水が相次ぎ取水制限がかけられたと言うことも頻発しましたが、制限率を詳しく見てみると農業用水、工業用水の取水制限はほとんど発生せず、一般用水のみが制限されていたようです。これは、農業などの水利権が強いためにダム建設などで生まれた水資源も優先的に農業用に割り振られていたために、農業用に確保された残りを一般用に向けていたからだそうです。結局、水資源が減ってきても農業用水には不足することがないように流したあとの話で取水制限を決めていたとか。

水道の水質もちょうど著者が研究を進めていた当時は悪化しており、特に化学物質汚染というものが水道水で進んでおり、中には変異原性があるものも見つかって大騒ぎになったころです。当局の対応もおかしなもので、著者の調査も拒否するなどといった稚拙な対応を取ったと言うこともあったようです。
細菌汚染を気にするあまり、過剰な塩素殺菌を施すことによってトリハロメタンなどの発生を促したと言うことですが、このあたりの理屈もまだ分かっておらず、右往左往といったところだったのでしょう。
河川からの取水ということを考えるとどうしても下流の取水口には上流の排水が入ると言うことになり、排水基準と水道水基準の関係が厳しいことになったということです。
それもあって、下水はすべて流域の最下流に別に送り処理して海に流すという流域下水道網計画というものができたのでしょうが、そうすると河川の水量が激減し水がなくなるということにもなったようで、やはり循環して戻すことが必要だったようです。

発がん性というものについての考え方もまだ定まっておらず、発がん物質には閾値がないということであっては駄目という態度を守ろうとするあまりに故意に目をつぶるということもあったようです。
しかし、著者のグループの、発がん性物質もリスクを数値化することで相対的に危険を評価すると言う方法の提唱から、ようやくトータルの危険度を取り扱うということもできるようになったということでしょう。
これが、著者のその後のリスク論確立への方向性を築いたと言うことだと思います。
その意味でも本書の扱った事柄と言うのは大きな意味を持っていたのでしょう。