永井孝志さんのブログより、グリホサートのリスクについて、その2です。
ブログのその3にはグリホサートの発がん性のリスクはどれほどかという、このシリーズの中心となる話題が扱われています。
特にヨーロッパで反グリホサートの活動が盛んですが、それでも通常の毒性ではさほど強いものはありません。
そのためと言うだけでもないのでしょうが、「発がん性」を目指すことが多いようです。
多くの研究者が様々な検討を行っており、発がん性ありという結論を出しているものもいくつかあります。
しかしこれまでのところ公的な機関ではグリホサートの発がん性はあるとは言っていません。
難しいのは、これまでは「発がん性」の有無というのはオールオアナシングであり、一定の閾値以下の濃度では危険性なしといった、通常の毒性物質の評価とは異なる方法で決められてきたということがあります。
これは、発がん性というものは遺伝子に対する損傷を生じるものであり、どんなに微小であってもそれがあれば発がん性があるという原則で決められてきたからです。
そのため、発がん性はないと言っても「絶対にない」とは言い切れないことになり、断言はできないということになりました。
しかし現実問題として発がん性物質でもごく微量であれば発がんの確率はないと見なせることもわかってきており、この事情は変えなければならないのかもしれません。
永井さんの記述によれば、最近のリスク学の評価では発がん物質と非発がん物質を区別して考えるのは時代遅れとなっているようで、発がん物質といえども存在量によるリスクの評価(少なければ大丈夫)というのはあり得ることのようです。
永井さんのブログのこのシリーズの最終回は、発がん性を判断するということの歴史的な背景から説明されていました。
発がん性は、「少しでもあれば禁止」という原則で判断されてきました。
これは、アメリカで1958年に公布された「デラニー条項」によります。
当時の技術レベルでは「検出されたらだめ」「検出されなければOK」という基準でも十分に制御可能でした。
しかし分析技術がどんどんと向上していき、非常に低濃度でも検出できるようになるとこのデラニー条項では大きな矛盾が生じることが明らかなため、すでに1996年に廃止されています。
デラニー条項では「ゼロリスク」というものが求められていたのですが、それは現実的ではありません。
そのため、発がん物質であっても妥当なリスクレベルというものを制定する必要が出てきました。
どうやらこの点はまだ世界的な同意ができているとは言えない状況のようですが、その方向で討論されていくのでしょう。
このような情勢なのですが、ヨーロッパなどのグリホサート規制をめぐる議論はまだまだ続きそうですし、それは科学的レベルというよりは政治的な話になっているようです。
永井さんのブログでもいつまで続くのかと思っていましたがこれで終了のようです。
こちらも終了します。