一年以上も途絶えてしまった「八代歴史散歩」ですが、近くの干拓用水の記念碑から再開。
八代平野と今は言われていますが、そのほとんどは江戸時代以降に盛んに行われた干拓事業で作られたものです。
その中でも明治時代に作られ、最大の事業であったのが「郡築干拓」ですが、それを作ったは良いけれど農業用水が不足し、そこに送水する目的で球磨川から水を引いたのがこの「郡築用水」でした。
我が家のすぐそばにその記念碑が立っています。
下部には碑文が記されています。
最初の部分ですが、郡築干拓の実施時期、および最初の灌漑用水計画が破綻し緊急に水を球磨川から引くこととなり、用水路工事を始めたことが書かれています。
次の碑文では、わずか1年余りの工事で完成したことが書かれています。
しかし、その後の土地改良事業で別に用水が作られこの郡築用水は終了しました。
略図が添えられていますが、この水が送られた郡築干拓はこの中には描かれておらず、実際はこの図の左側に大きく広がっています。
図の中央は八代市街中心部で、用水は当時の市街地の周縁を回って作られたことが分かります。
なお、この記念碑があるのはこの略図の左上の「松崎公園」というところのすぐ脇のところです。
現在でも、郡築は広大な農業用地として使われていますが、かつてのような米作、イグサの栽培はすっかり減ってしまい、今ではトマトなどの温室が広がっています。
この他にも干拓遺構が数々ありますが、なにしろ広大な干拓地のあちこちにあるため、とても歩いて行けるような場所ではありません。
自転車でもかなりきついが、どうしましょ。