爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

STAP細胞論文騒動

昨日の小保方氏の会見で一段落するかと思ったらそれが不十分だということでテレビ新聞の取り上げ方はますます過熱しているようです。
研究者にコメントを求めると「会見内容には違和感を覚える」といった感想が帰っていますが、このようなテレビ報道の過熱自体にかなり「違和感」を感じてしまいます。

世界的に注目を集めるような重大な論文のデータの取り違えや画像改ざんというのは大きな誤りであり弁解の余地の無いことのように見えますが、だからといって日本の科学技術の程度の問題などと大きく構える必要があるのでしょうか。
質の悪い研究者などというものも今に始まったわけではなく昔から多数居たはずですし、現在立派になっている研究者でも若いことのことを思い出すと冷や汗ものということも多いのではないでしょうか。

問題はそのような質の悪い研究者がなぜ理化学研究所のユニットリーダーなどと言う地位に就けたか、そしてテーマは非常にタイムリーなものではあってもなぜ理化学研究所の名前で不確実な論文が発表されたか、そしてNatureともあろうものがなぜそのような論文を掲載したかということでしょう。理研の調査委員という人々もその点の調査からやり直した方がよさそうですが。

なお、データ改ざんという点ばかりが話題に取り上げられますが、一番大きな問題はSTAP細胞が本当に作られたかどうかであるべきです。仮に正当な方法でデータを揃え、間違いない画像を添えてこの論文が発表されていたらどうでしょうか。おそらく掲載直後から世界中の研究者が追試験を実施し、ほどなく「再現できない」という声が大きく上がったことでしょう。しかし、それも科学論争としてはよくあるもので、おそらく手法の細かい点の相違、結果の解釈の正当性などの点が検討され、この実験で得られたものが本当にSTAP細胞と言えるものなのかどうか、また手法に間違いはなかったかどうかなどが詰められ結論に至ったことでしょう。これでたとえ原著論文側が負けたとしてもそれは科学論争の上でのことなので仕方の無いことです。
不正さえなければこのような展開を見せたはずで、現在は非常に残念な状況ではありますが、細胞機能のリセットという大きな疑問の解明に向けて本来の議論に立ち戻ってもらいたいものです。もちろんマスコミ抜きで。

どうもこの件は最初の発表の報道の時から若い女性の研究者の発表という点ばかりが興味本位に強調されており、違和感という以上の不快感を感じておりました。早くマスコミにも飽きてもらいたいと切望しています。