爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「石油の無くなる100年後の世界 (1)石炭や天然ガスは 他のエネルギー源は」

(1)石炭や天然ガスはどうなのか、他のエネルギー源は。
石油は100年先には使えるほど供給されなくなるとしても他の化石燃料はどうなるか、予測は難しいところです。
天然ガスは石油より早く無くなると言う観測もあります。おそらくそうなるでしょう。シェールガスなんていうものの話題も出てはいますが、あれもほとんど詐欺のような話ではないかと考えられます。
天然ガスというものは通常は石油の油井の上部の岩盤の隙間に溜まる物のようです。そのため、無くなる時は一気になくなるものだそうです。シェールガスはそれとは存在様式が異なるようですが、そもそも分離して抽出するのにはコストがかかります。コストというと金だけの問題になるので、売値次第では使えると考えられるようですが、”エネルギーコスト”というものを考えるとそうは行きません。採掘するための投入エネルギーが多いようなエネルギー源というものは成り立ちません。
また、石炭は現在の使用状況ならまだ100年以上は持つという話もありますが、これも前提が大きく崩れる可能性があります。”現在の使用状況”というのは、”石油がまだある状況”であることをしっかりと捉える必要があります。
石炭の使用先としては、単純に燃やして熱源とするところというのが現状でしょう。内燃機関燃料としてはそのままは使えませんから、液状化などの処理をするとしても今のところは石油の代わりにはなりません。また、石油の重要な使用法として石油化学の原料というものがありますが、これも石炭では代わる事は難しいでしょう。
しかし、もし石油が高騰して使えなくなったらどうでしょう。石炭を代替として使うということは十分に考えられることでしょう。そういう状況になれば石炭の使用量は格段に増加します。そうやってあっという間に石炭も枯渇ということになるのではないでしょうか。

そうなると、”100年先”という近未来でのエネルギー源の予測は極めて危ういことが分かるでしょう。
現在のエネルギー源は大きく言って”化石燃料(石油・石炭・天然ガス”と”原子力”と、”太陽由来フローエネルギー”(自然エネルギーと通常呼ばれますが、意味から考えるとこう呼ぶべきでしょう)
です。
化石燃料は電力以外にも直接の熱源として、また内燃機関燃料として重要です。言ってみれば現代の産業社会は化石燃料によって成り立っていると言えます。(一蓮托生ともいえます)
原子力は今のところ発電用としてしか使えません。(核爆弾は除きます)放射能汚染という問題が最大の問題点で、事故の可能性や廃棄物問題もすべて放射能汚染の危険性に集約できますが、それ以外にもこの”電力以外には使いづらい”という属性も大きな問題点となります。
つまり、現代社会という石油によって作られてきた社会体制は電力だけで動かせる状態ではなく、そうするためには大きな変革が必要になるということです。
太陽由来フローエネルギーとは、蓄積された太陽エネルギーは含まず、太陽から流れ込むエネルギーをそのまま使うということです。実は石油などの化石燃料エネルギーも元来は太陽エネルギーです。藻類や植物が太陽エネルギーを変換したものが地中に埋もれ、何千万年や何億年分ものエネルギーが蓄積されました。それをこの100年ほどで使い果たそうとしているわけです。それを考えればCO2温暖化などということを言い出さなくても暑くなるのは当たり前といえますが。
それはさておき、人間社会だけではなく地球上のものはすべて太陽からのエネルギーで動いているともいえます。雨が降るのもそうですし、風が吹くのもそのおかげ、植物が生えるのも、動物が生きていくのも全てがそうです。
太陽光は事実上無限なので、太陽光発電はいくらでも増やせるなどと言う人もいますが、そうは行かないでしょう。
太陽光発電装置を遊休農地などに作るという動きもありますが、完全な効率で太陽光を電気に変換してしまうと装置の下では雑草も生えなくなります。(今のところは反射光などで生えるでしょうが)土地のそんな使い方をしていると来るべき食糧危機の際にはどうするのでしょうか。手ひどい報いを受けることになるでしょう。土地の一番の使い方は(ということは太陽光の一番の使い方ということですが)食糧生産であることは忘れてはならないことです。
(ヤサイ工場なんていうのも詐欺まがい商法です。電力料金が高騰すればどうしようもありません。第一、今でもレタスは余っています)