爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「危ない精神分析 マインドハッカーたちの詐術」矢幡洋著

PTSD(心的外傷)という言葉は何かの事件事故があると必ず聞かれるようになっていますが、あまりそれが強調されるのも少し変な気分がします。
臨床心理士で自ら心理教育研究所を主宰されている矢幡さんがその当たりの経緯や現状について記しています。

PTSD自体は戦争にも関連して考えられており、著者も決してそれを否定するわけではないのですが、1996年にジュディス・ハーマンによって書かれた「心的外傷と回復」という本によって大きすぎる展開をしてしまったようです。
それ以前からハーマンが直接間接に主導する形で、多くのセラピストが関わり「幼児期の親から加えられた性的迫害」というものを作り出し、その結果多くの父親が告訴され実際に投獄されると言う事件がアメリカでは頻発しました。
これらはセラピストによる「グループ・セラピー」という集団で記憶をたどるといった手法で作られたもののようで、このようなヒステリー状態では存在しない記憶と言うものを自ら作り出してしまうという心理になることが実験的にも確かめられています。
しかし、その作られた記憶というものがアメリカ社会に大きな影響力を持つ「黒魔術カルト集団」という都市伝説と結びつき、「やはり存在した」というような雰囲気を作り出し冤罪を生み出してしまいました。

こういった状況の中でもそれに疑問を持つ研究者などの努力で徐々にこのような「記憶回復療法」への反論が続けられ、ようやく公的には排除されるようになったそうです。

著者は「解決志向セラピー」として、こういった精神分析とは異なる方向で問題解決を目指すということですが、日本での心理的な問題が関わる事件などが起こった場合、専門家に問われるのは「なぜこのような事件が起こったか」という原因追究であることがほとんどだそうです。そして、「幼児期の母親の愛情が不足した」などという不正確でも一応の原因を断言してしまえば安心して報道されるという現状で、実際はそのような単純な原因と結果の対応ではないことがほとんどであってもそこは問題とされないとか。

日本の現状では、さらに著者は「PTSD」概念の拡大と言う点に危惧を感じています。「心理的な要因によりこうなった」ということを何から何までPTSDと呼んで放り込んでしまうということが普通になっているようです。
これはPTSDに関わる心理療法家と精神科医との縄張り争いかもしれないということです。
問題は安易に心因性PTSDと診断することで、本当は別の原因によるものかも知れない症状に効果も無いセラピーを施すことで、重大な手遅れの事態を引き起こす恐れが大きいと言うことだそうです。
安易に「心の問題」と強調することは決して人を救うことにはならないようです。

なお、日本では精神分析を必要とする人々の特徴として、依存性が非常に高いと言うことがあるということです。偉い先生に何かの原因であなたはこうなったと言われるだけで満足してしまうという傾向が強く、著者のように患者を自ら考えさせて分析しようとしても上手くできないことが多いとか。これも困ったもののようです。

ハーマンの著書はちょうど阪神大震災の後に紹介されたため、日本でも非常な影響力を持ったようです。しかし、アメリカと異なり日本では「父親狩」などという事態はほとんど発生しませんでした。これは著者によると日本の父親はほとんど家に居ず、かえって外で浮気や不倫する可能性が多いと考えられていて、家庭内でそのような疑いを持たれる事は少ないためだそうです。それもそうかも知れません。
かえって日本では「母親批判」の方が強くなったようです。