爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本と中国 相互誤解の構造」王敏著

著者の王敏(ワン・ミン)さんは、1954年中国河北省生まれ、文化大革命でほとんど鎖国状態となった中国がそこから抜け出してようやく外に目を向け始めた頃に、日本語を教える学校が開校し、最初にそこで勉強を始めたそうです。

その後、日本に留学する機会を得て、さらに日本の大学で研究を続けることとなりました。

日本と中国という、同じ漢字を使いながら大きく性格の異なる両国の状況を深く捉えているようです。

 

「同文同種」という言葉が日本でも使われましたが、中国でも同様でした。

しかし、そこに存在する意識は、中国側から見れば自国の文化が伝わってそのまま少し変形して発達してきたのが日本文化であるとして、正面から取り上げ考えようという機運があまり働かないようです。

 

著者はそこで、「国字」というものに着目します。

漢字が伝わった古代日本では、漢字の表すものと日本の文物を対照させ漢字を使ってきましたが、どうしても元々の漢字では表すことのできないものがいくつもあることに気が付きました。

そこで、日本独自の漢字を作り出したのが「国字」です。

一般的には、動植物で日本にしかないものに新たな字を作り出したものが多いようで、鱈、鰯、榊、そして自然現象の凪、凩などが挙げられます。

 

しかし、そういった分類には属さないものの、日本独自の文化が作り出したのが、「躾」という字だそうです。

「身体を美しくさせる」から「しつけ」だということですが、中国にはそのような概念がなかったようです。

 

国字を作り出した時代から大きく下り、西洋文明を取り入れる幕末明治には、西洋文明の事物を日本語化する必要に迫られ、漢字を組み合わせた造語を数多く実施しました。

抽象、概念、演説、意識など、多くの言葉はこのときに作られたものですが、これらの言葉はちょうどその頃に多数来訪していた中国人留学生によって、中国に紹介され中国でも使われるようになったものも含まれます。

 

ただし、日本で使われているのが漢字であるとしても、それ以外に平仮名、片仮名の「カナ」というものを作り出し使っているということは無視できません。

しかもカナと漢字を併用しているというのが特色あるところで、ハングルのみに統一してしまった韓国とは大きな違いがあります。

 

日本に暮らす外国人が日本国内のニュースなどで見て驚くのが、凶悪犯罪の犯人に対してもあまりストレートに罵倒することが無いということです。

「罪を憎んで人を憎まず」という格言が人々の心に染み込んでいるかのようです。

そのため、様々な場面での「謝罪」というものも頻繁に行われますが、実際にはその罪を認めていないにもかかわらず、「世間を騒がせた」だけで謝罪してしまうという、形だけのものも多いようです。

そのために、謝罪はしたものの、心中ではまったく悪いと思っていないということもあるということが傍から見ても分かるので、これが日中間などでの歴史問題において、謝罪が何度も行われても信じられないということの理由にもなっています。

 

中国では「謝罪」というものは1回だけの土下座で済ませるということはなく、何度も反省を繰り返し、その姿勢が誠実であることを見せなければ信じてもらえないそうです。

このあたりの、日本人の感覚とのずれがトラブルの元かもしれません。

 

顔の表情や仕草、そしてセリフで表現するドラマや演劇にも中国と日本、そして韓国も含めて大きな違いがありそうです。

韓国や中国のドラマを見れば分かるように、あちらのドラマはとにかくセリフが多い。

すべてを言葉にしなければ分かってもらえないということがあります。

日本では、顔の表情だけをカメラで追ったり、場合によっては背中を向けた後ろ姿や、手先のアップだけでも言いたいことを感じさせる演出がありますが、中国韓国ではそれでは分かってもらえない。

そこで、ずーっと喋り続けるのだそうです。

 

中国でも民話「鶴の恩返し」はよく知られているもので、その最初の中国語訳は著者の王さんが行ったそうです。

あらすじは誰でも知っているでしょうが、中国人の多くが違和感を持つのが最後のところだそうで、「部屋を覗くな」という約束をしたのに覗いた夫に、何も言わずに去っていくというラストシーンです。

中国でも、韓国でも、「なぜ約束を破って部屋を覗いた夫とケンカをしないのか」と皆不思議に思うそうです。

黙って去っていくという行動は考えられないとか。

日本人だと、そこで夫婦喧嘩をするという方が考えられないことでしょう。

 

最後のところに書かれていますが、著者が最初に中国で日本語を習った際、その指導をしてくれたのが神奈川県教育委員会から派遣されてきた石川一成さんという教師だったそうです。

その指導と努力には著者だけでなく指導を受けた学生皆が感謝したそうです。

実は、石川先生は私が高校時代に国語を教えてもらった恩師です。

奇遇に驚きました。

 

日本と中国―相互誤解の構造 (中公新書)

日本と中国―相互誤解の構造 (中公新書)