爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「トラウマ」宮地尚子著

「トラウマ」という言葉は結構広まっているようで、普通の会話の中にも出てくるほどです。

しかし、その本当の意味は非常に強いものがあり、本当にトラウマがある人は話題が少しでもそこに近づくと激しく拒絶するほどのものです。

 

また、「PTSD」という言葉も、意味はまったく分からないまま良く聞くことがあるようです。

さらに、「心のケア」というのも(これはちょっと過度に)聞くことが多いと感じます。

 

こういった、心に深い傷をもたらすような事柄とそれに対する人間の心の反応と言った問題について、精神科医として臨床経験も多くまたトラウマというものの研究もされている著者が、(分かりやすく)説明をしています。

 

本書構成は、まず「トラウマとはなにか」の説明から始まり、次いで「トラウマを抱えながら生きる人」の生き方とはどういうものか、そして身近にトラウマを抱えた人が居た場合にどうすればよいのか、さらに社会やグローバルな視点から見たトラウマ、そしてそれは人にトラウマを与える加害者になるかもしれないということも触れています。

 

なお、さすがに本書でも「心のケア」と言う問題については最初のところから段落を変えて説明しています。

あまりにも安易に使われすぎているということなのでしょう。

「心のケア」は心理の専門家のカウンセリングとすぐに結びつけているようにも見えますが、実際には専門家の役割もさることながら、トラウマを持たされた人の近くにいるすべての人が関わってくることだということです。

 

トラウマ、すなわち心の傷というものを受けるような体験というものは、並大抵のものではありません。

衝撃で通常の適応行為では対処できない、心が耐えられないほどの経験です。

具体的には、戦争体験、自然災害、暴力犯罪、拷問、児童虐待、性暴力、悪質なイジメといったものです。

これが自分に起きた場合だけでなく身近な人に起きた時にもトラウマ体験となることがあります。

 

トラウマ体験も、一回もしくは短期間の体験と複数回または長期にわたる体験があります。

前者をシングルトラウマ、後者を反復的トラウマと呼びます。

それぞれ回復へのアプローチの仕方が大きく異なります。

 

PTSDという略称がよく使われますが、これは「Post Traumatic Stress Disorder」の略で、日本語では「心的外傷後ストレス障害」ということです。

PTSDがトラウマの代名詞のように使われることがありますが、実はPTSDはトラウマ反応の一部のみを示します。

トラウマ体験から一定期間たったあとでも特定の症状が続き著しい苦痛が続くものをPTSDと呼びますので、それ以外のトラウマというものも数多く存在します。

 

トラウマというものを考えやすくするために、著者はその構造を「環状島」に例えています。

激しい体験から時間が経つと世間では徐々に忘れられていきますが、当人にとっては激しい感情が続きます。

そういった外からは見えなくなった苦しみがカルデラのような形で内側に深く存在し、外輪山に自分は内から、外部の人間は外から登っていって初めて出会えると言うイメージでしょうか。

高く外輪山がそびえているとなかなか外の人間は内の人間の苦しみも見えません。

徐々に外輪山が下がってきて、サンゴ礁の環礁のように波間に隠れるほどになってようやくトラウマも消えていくのでしょうか。

 

トラウマを抱えた人の周辺の人々がどう振る舞えば良いかということは難しいもののようです。

著者も精神科医として多くの人々と接してきましたが、医者としてトラウマ患者と接することも非常に困難なものがあり、患者の本当の気持ちを聞くことも難しかったことがあったようです。

まして、医者ではない人々がトラウマを抱えた人と接するのは大変なことでしょうが、できる限りのことをするという必要があるのでしょう。

患者の語りたがらない体験を聞くというのも必要になる場合もありそうです。

日本では、語らないことはわざわざ聞く必要はないということが一般的でした。

しかし、それだけでは済まないのかもしれません。

 

トラウマを消して忘れ去ることだけが解決ではないそうです。

これを「トラウマを耕す」と表現しています。

トラウマを起こすような状態というものはあってはならないものかもしれません。

しかし、それが繰り返されるのも事実であり、目を背けるばかりではいけないのでしょう。

 

あまりにも大きく、深く辛いものを含むテーマでした。

これが1000円もしない新書版の本に含まれている、大したものです。

 

トラウマ (岩波新書)

トラウマ (岩波新書)