爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「インド三国史」陳舜臣著

国史というと中国後漢末期からの魏呉蜀の並立期を中心に描かれた時代の小説が有名ですが、インドのムガル帝国の最盛期が過ぎたアウラングゼーブ皇帝の時代もそのような情勢であったということで、陳舜臣さんが中国の三国史になぞらえてインド三国史という形にしたというものです。

ムガル帝国中央アジア出身でティムールの子孫と称したバーブルがインドに侵入して16世紀に立てた国です。アクバルからシャージャハーン皇帝まで隆盛を続け、タージマハールといった壮大な建築も作りました。
しかし、シャージャハーンの後の相続争いで国が乱れ長男を攻め滅ぼしたアウラングゼーブが帝位に就きますが、それまでは皇帝はイスラム教徒でありながらほとんどの国民がヒンズー教徒でありアクバル大帝なども宗教融和策を取ってきなものをアウラングゼーブは狂信的なイスラム教徒であったために異教徒抑圧の政策を取りそれまでの協力体制にあった国内部族を次々と反乱に追いやります。
南部のデカン高原一帯に住んでいたマラータ族もそれまではばらばらだったものがシヴァージーという英雄の下に団結しムガル帝国に反抗しだします。また、ちょうどその頃ヨーロッパ各国もインド付近に進出し交易の権利を争って互いに抗争します。それまでのポルトガル勢力に代わってオランダやイギリス、フランスが相次いで東インド会社というものを設立し、直接間接に国家の後援を受けて争います。

マラータ王国相手だけでも手を焼いていたのに、さらに西部のラージュプート族にまでそれまでは免除していた異教徒に課す人頭税(ジズヤ)を強制すると言う愚策を行ったためにさらに反乱の火が大きくなり、さらにアフガン方面のイスラム教徒も反乱を起こしてしまいます。

アウラングゼーブ亡き後もまだしばらくはムガル帝国は存続し、最終的に滅びるのはイギリスがインド全土を掌握する時なのですが、実質的にはこの時代に衰退の道は決まったと言うことでしょう。
なお、非常に興味深い内容なのですが作者自らが書いているようにこのインド関係の歴史と言う主題は日本ではなかなか一般には受け入れられないようで、本当はさらに続ける構想だったのかもしれませんが、なにか中途半端な終わり方になってしまっています。少し残念に感じますが、いくら書いても読者がつかないのでしょうか。