爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「文明崩壊 下」ジャレド・ダイアモンド著

上巻の過去の様々な社会の崩壊の事例紹介に引き続き、過去としてはニューギニアと江戸時代の日本の森林保護の紹介がされます。
日本では戦国時代までは森林乱伐により特に人口密集地に近い山林は禿山になっていきましたが、江戸時代に入り安定すると幕府や領主が主導して森林保護を進めた結果、再生することができたということです。
これはおそらく「止め山」のことだと思いますが、そう言われると確かにその側面もあるのでしょうが、近くの住民は入ることも許されず「枝1本首1本」などといった圧政の象徴のようなイメージでしたので、この本のようにあれが「環境を守るトップダウンの制度」というとなにやら違和感もありますが。

そのような過去の社会の例を挙げたあと、いよいよ現代社会に移ります。ここで取り上げられているのは、アフリカの人口危機、一つの島の中で隣り合った二つの国で国境を隔ててあまりにも差があるハイチとドミニカ、環境が崩壊状態になっている中国、そしてほとんど農業が維持できなくなりつつあるオーストラリアです。
アフリカのルワンダでは大虐殺事件がありました。これは一般にはツチ族フツ族の人種間紛争と言われていますが、実はそればかりではなく同族間で虐殺が行われた例も多かったということです。ここでは爆発的に人口が増えたと言うことがあり、ほとんど生産も増えないまま人口増ばかりが起こったことで非常な閉塞感が生まれたようです。
ドミニカは現在ではハイチと比べて圧倒的に森林も多く環境が良いようですが、これも昔の独裁者が気まぐれのように森林保護を行った遺産のようなもののようです。
オーストラリアは小麦や羊毛や牛といった農業生産国というイメージがありますが、実は農業生産力は極めて乏しく今後は食糧生産の自活も難しいとのことです。これは大陸そのものが古いもので、火山活動もないために栄養素がすべて流れ出してしまった残りかすのような土壌であるためだそうです。
しかし、原住民の数も少なくほとんど手付かずであったために巨大な木々などが生えていたため、イギリス人が入植した際には地味が肥沃であるかのように誤解してしまったという経緯だそうです。
また、沿岸の漁業も土壌の栄養分が貧弱な場合は成立できないようで、漁業資源もあっという間に枯渇していき漁獲量も急減しているということです。

将来に向けての提言と言う最終章が著者の一番主張したいところだと思います。
現在の環境問題には12のグループがあるということです。
1.森林破壊、2.漁業資源の枯渇、3.遺伝的多様性の減少、4.土壌の崩壊、5.化石燃料の減少、6.水資源の窮乏、7.太陽光エネルギーの限界が見えたこと、8.毒性化合物の汚染、9.外来生物の蔓延、10.温室効果ガスによる温暖化、11.世界人口の増加、12.人口増加による環境悪化 

これらの問題点を著者のような環境学者が提議すると必ずお決まりの反論があります。それについても著者は丁寧に論破しています。
「環境と経済の兼ね合いが必要」環境悪化のためにいくら費用をかけても元に戻らなくなってしまったものがいくらでも存在します。問題が大きくなる前に対処しなければ先行きさらに費用がかかるばかりです。
「科学技術が問題を解決する」実業家や経済学者にはこういった考えを持つ人が多いようです。(自分たちは何もしないくせに)これまでもそういった例が多いように見えますが、実はそうでもありません。それよりも開発した科学技術でさらに新しい問題が引き起こされる方がよほど多い実例です。
「一つの資源を使い果たしても別の資源が開発できる」このような楽観論も人気を集めやすいようですが、開発には時間と人手をかけても成功するものと失敗するものがあります。開発中の技術があるというだけで間違いなく開発に成功できるなどという保証は何もありません。自然エネルギーなどというものにも開発にはまだ数十年の歳月と莫大な費用がかかるのに、今にも移行できるかのようなことを言う人もいます。
「食糧問題も解決できる」現時点でも飢えている人は非常に多くいます。遺伝子組換えや食糧流通問題などで解決しようとしても問題が大きすぎます。
「環境保護論者の大げさな破滅予想は何度もあったが外れた」外れた予想だけを言い立てて当たったものは無視すると言う態度が見えます。外れたと言っても完全に間違っていなかったものもありそうです。
「環境問題で絶望的な結果になろうとも自分はその頃には死んでいるから関係ない」こう考えている人が相当居そうです。しかし、著者も以前はそのように考えていたものの、自分が研究していた2037年の予想を考えながら、自分の子供を見た時に、「2037年にはこの子たちも50歳くらいで生きている」ということに思い当たったそうです。50年先などというのは遠い将来のように思いがちですが、身近な子供や孫などの未来の生活を考えてみるということは必要なことでしょう。

日本の政治家がその場限りの場当たり政策ばかりやっているように見えますが、著者が引用しているにはアメリカでも政治家は「90日思考」をしているそうです。つまり3ヶ月先のことまでしか考えずにやっているということ。アメリカの経済手法を取り入れた現在の日本経済でもせいぜい1年先までのことしか考えていないように見えます。本当は30年先、50年先、そして政治家ならば100年先のことまで考えなければいけないはずなんですが。

この本は別のところの議論で出てきたことがあり、機会があれば読んでみたいとおもっていたものですが、たまたま行きつけの図書館で見つけられました。読んでみていくつか異論があるところもありますが総体的には同意できるものであり、世界は危機に向かってまっしぐらに進んでいるというのは間違いないことかと思います。