爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ローマ亡き後の地中海世界(上)」塩野七生著

塩野さんの著書はローマ人の物語を読み、最近十字軍物語を読みましたが、その間の数百年間が抜けていました。
ローマ帝国が分裂し、西ローマ帝国が滅亡したあと、すぐにゲルマン人などの国が封建制を敷いたように感じていましたが、その間には幾分かの隙間があったようです。これは自分自身の感覚であるばかりではないと思います。高校などで習った世界史でもその間はほとんど抜けていました。
しかし、この本にあるように8世紀から10世紀に至るまで、スペインはイスラムに征服されましたが、イタリアも相当危なかったということがわかります。最初は北アフリカを征服した”原”ムスリムが聖戦(ジハード)の延長としてシチリアから南イタリアに押し寄せます。そこで得た捕虜を奴隷として取引するのに味を占めた”新”ムスリム北アフリカの原住民が海賊化し頻繁にイタリアを襲うようになります。現在でもイタリアの海岸線に数多く残る石塔は海賊を監視するためのものだったようです。しかし、監視していても来襲する海賊を追い払うのではなく、もっぱら警報を出して民衆を避難させるだけだったようです。

そのうちようやく力をつけてきたアマルフィジェノバなどの都市が軍事的にも海賊を追い払うことができるようになりますが、南イタリアは封建領主の領地となったためにその影響下には入れず変わらずに海賊の来襲を受け続けたとか。
囚われて奴隷となったキリスト教徒は北アフリカの諸都市にある昔のローマ帝国の遺跡である浴場に拘留され酷使されたとか。それが浴場という言葉がそういう意味で使われる基だったようです。
そして、それらの奴隷となっていた人達を救い出そうとする修道士や騎士が現れます。交渉して身代金で解放させたようです。それはイタリアでルネサンスが始まった頃まで続いていたようです。ほとんどが名も知られない庶民ばかりだったそうで、囚われ、解放された人々の名前もほとんど伝わっては居ませんが、その数はかなり多かったようです。ただ一人有名になったのはセルバンテスだそうです。

現在は静かな観光地としてしか印象のないアマルフィは諸都市の中では早くに海運業で栄えた都市だったようですが、没落し他の都市に力を奪われました。それにしてもヴェネツィアなどは最初は海賊のためにアドリア海から出るのも大変だったというのは興味深い話でした。