爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ダーリンの頭ン中 英語と語学」小栗左多里&トニー・ラザロ著

トニー・ラザロさんはハンガリーとイタリア系で、英語で教育を受け、さらにドイツ語スペイン語中国語も話すという人ですが、もう30年ほど前から日本にやってきたそうです。

そして、漫画家の小栗さんと知り合い結婚しました。

 

小栗さんも英語は話せるようですが、それでもペラペラというわけには行きません。

また、トニーさんも日本語はかなり使えるようになったものの、まだ次から次と疑問が湧いてくるようです。

 

そんな二人が、英語と日本語についてあれこれ起きた疑問について、話し合っていますが、まあ結論は出ないようです。

 

佐多里さんも漫画を書く仕事になかなか気分が乗らず、描けない日が続くそうです。

そんな時「テンションが上がらない」と言うのですが、これにトニーは唖然。

「テンションが上がる・下がる」ということは全く理解できないようです。

テンション(緊張)は「増す」「高まる」ということはあっても、「上がる・下がる」というものではないようです。

電気のボルテージが高いことを「ハイテンション」と言うことがあるので、それを日本で流用した和製英語の一種とか。

 

日本では中学英語の最初に習う、「母音の前のTHEは”ジ”と読む」ですが、トニーはそのようなことを意識したことはまったくなかったそうです。

「ジと読めとは教わらないが、無意識にジと読むことが多い」と言う状態だとか。

そんなものなのと思いますが、実は日本語にも同様のものが多いそうです。

「あたたかい」を「あったかい」と言ったり、「あたたかい」と言ったりするのと同じとか。

 

トニーさんは日本語を勉強するのに、カナから漢字まで習いましたが、外国人の中には「ローマ字で日本語を学ぶ」人もいるとか。

しかし、それでは日本語を話す場合に聞き苦しい癖がついてしまうそうです。

やはり日本語は「脱ローマ字」で学んでほしいそうです。

なお、日本語の会話がきれいに発音できるようになったら、歌にも挑戦するのも良いのですが、「桑田佳祐元ちとせの一部の歌はカナで言い表せず、発音記号が必要」だそうです。

 

最近のテレビなど見ていると日本語ペラペラという外国人が多いようですが、皆こういった努力はしているんでしょうね。

 

ダーリンの頭ン中 英語と語学

ダーリンの頭ン中 英語と語学

 

 

「ゾンビ・パラサイト ホストを操る寄生生物たち」小澤祥司著

他の生物の体内に寄生する動物は多種ありますが、その中にはホストの行動を操り、自らの生存と種の繁栄に有利なように仕向けることができるものもあります。

寄生されたことにより脳の働きが正常ではなくなり、おかしな行動を取っていると見られていたのですが、どうやら寄生生物の利益になるような方策が取られているということが分かってきました。

 

「ゾンビ」というのは、中南米などで信仰されているブードゥー教で信じられていると言われる、死者を蘇らせて思い通りに動かすということです。

寄生生物が、ホストを死なせるわけではないものの、思うがままに操って自分に有利に動かすという、そのような状態が実際に存在するようなのです。

これを「パラサイト・マニピュレーション」と言います。

 

カマドウマやカマキリのような昆虫に寄生するのが「ハリガネムシ」という生物です。

類線系動物という種類に分類されていますが、太さ1mmで長さは10cm以上にもなるという形態の虫です。

この一生は、まず水中で卵から孵化し水生昆虫に侵入します。

そして、その体内でシストとなって待機します。

水生昆虫はやがて羽化して陸上に飛び立つのですが、そこでカマキリやカマドウマと行った肉食昆虫に食べられてしまいます。

すると、シストであったハリガネムシはカマキリなどの体内で成長を再開します。

そこから先が本番で、ハリガネムシに寄生された昆虫は普通は近寄らない水辺に移動していきます。

そして、水中に身投げして溺死するのですが、ハリガネムシはそこで水中に抜け出して交尾・産卵するということになります。

ハリガネムシは昆虫を操るために何らかのタンパク質分子を作り出しているようです。

それにより、ホスト昆虫は行動に異常が発生し、水中に飛び込むということが起きているようです。

 

猫に寄生する原虫で、トキソプラズマというものがあります。

これは、人間が猫を飼うようになってから人間にも寄生するようになりました。

トキソプラズマは猫が終宿主ですが、その他の哺乳類が中間宿主となります。

ネズミにも寄生することがあるのですが、トキソプラズマに寄生されたネズミは異常行動を取るようになります。

それは「猫を恐れない行動を取る」というものです。

普通は天敵の猫を警戒して近づかないのがネズミの習性なのですが、トキソプラズマに感染したネズミは猫の前を堂々と横切るようになります。

実は、このような行動は寄生しているトキソプラズマが取らせていることなのです。

そうして、そのネズミが猫に食べられればトキソプラズマは終宿主に到着することができ、目標を達成するわけです。

これがどのような機構によって起きているのかまだ解明されていないようです。

 

ここで類推されるのは「トキソプラズマに寄生された人間も何らかの異常行動を取るのではないか」と言う可能性です。

まさか、「猫を怖れなくなる」ということはないでしょうが、感染者は非感染者に比べて2.6倍交通事故を起こしやすいと言う調査結果もあるようです。

トキソプラズマにとっては人間などは目標外でしょうが、そのとばっちりを受けている可能性はありそうです。

 

本書で取り上げられた寄生生物以外にも、多くの寄生生物が存在しますが、それらが実はホストを何らかの形で操っているのかもしれません。

 

ゾンビ・パラサイト――ホストを操る寄生生物たち (岩波科学ライブラリー)

ゾンビ・パラサイト――ホストを操る寄生生物たち (岩波科学ライブラリー)

 

 

「資料で読む 世界の8月15日」川島真、貴志俊彦編

終戦記念日といえば「8月15日」というのが当然のように感じますが、実はこの日を第二次大戦の日本戦が終わった日として認識しているところはあまり多くはありません。

 

それはこの日の意味を考えてみると分かります。

1945年8月15日に、前日にポツダム宣言の受諾を連合国側に伝えたということを踏まえて、昭和天皇が国民にラジオ放送で伝えました。

したがって、その日をもって「終戦」と捉えたのは主に日本国内であり、その他の国や地域では異なるということになります。

例えば、アメリカやイギリス等日本の対戦国では、ポツダム宣言受諾の連絡が日本から来た「8月14日」や、戦艦ミズーリの艦上で降伏文書に調印した「9月2日」(あるいは9月3日)を対日戦終戦の日と認識するのが普通です。

 

さらに、実は日本国内でも沖縄ではすでに沖縄戦終結しており、アメリカ軍占領下にあったので、8月15日というものはほとんど意識されず、北海道でもソ連軍が攻撃を続けておりそれに対する戦闘が継続していました。

また、当時は日本の植民地であった朝鮮や台湾でもその意味は異なってきます。

 

こういった各地の事情を、当時の当地の新聞などの資料を元に調査したというのがこの本の元になった研究グループの結果でした。

 

そもそも、歴史的事実として「8月15日に終わった戦争」というものはありませんでした。

大本営が停戦命令を全軍に出したのは8月16日でした。

それが末端まで行き渡ったのは、海軍で17日、陸軍で18日でした。

ソ連が千島作戦を開始し、日本の守備隊が戦闘を開始したのがまさに8月15日でした。

実際に1945年8月15日に戦争が終わったとホッとした人はほとんど居ませんでした。

それが、8月15日を終戦とする意識改革は徐々に進んでいったのです。

9月2日の「降伏記念日」を徐々に忘れさせるということも隠れた目標であり、1955年の「終戦十周年イベント」あたりから固まってきたようです。

 

交戦国の中でも、中国はその後の国共内戦が重すぎたために8月15日どころの話ではなくなりました。

北朝鮮は、ソ連が侵攻しそれを「朝鮮解放の戦い」と粉飾したためにこれも別の事情となりました。

東南アジアの各国はイギリスの植民地支配が復活するのかどうかということの方が大問題となりました。

 

どうやら、8月15日に国民総出で終戦を思うと言う現状は、一回反省することが必要なようです。

 

資料で読む世界の8月15日

資料で読む世界の8月15日

 

 

「食育のウソとホント 捏造される『和食の伝統』」魚柄仁之助著

「食育」とは、食べること全体について教えるということなのでしょうが、どうもこう唱えている人の中には「伝統的な和食」推進とか、「地産地消」といったことを絡めたいということが多いようです。

 

こういった風潮に対し、食文化研究家として面白い視点からの指摘をされている著者が、ユーモア混じりに辛口の紹介をしています。

 

「食べる」ということはまず、生き延びるということでもあります。

そのためには、使える食材を簡単に捨てるのではなく、なんとか活かして食べていくというのも立派な食育かもしれません。

最近では漬物を食べる習慣も薄れていますが、漬物がちょっと古くなると捨ててしまう人も多いようです。

そんなもったいないことをせず、古漬けの食べ方を教えるというのも必要かもしれません。

 

米食推進というのも、それを提唱する人たちの下心ミエミエというべきでしょうが、「玄米食」を勧める人も居ます。

しかし、「昔は玄米を食べていたから健康だった」というのは事実と違います。

現在の「玄米」とは籾殻を取り除いただけのものを指しますが、このような脱穀方法が取れるようになったのは、1923年にコントロール脱穀機というものが発明されて以降のことであり、それ以前には土臼でついただけのものでしかなく、現在で言う「七分搗き」だったようです。

さらに、江戸時代には米を多く食べることができたのは上層階級と江戸の市民だけでした。

ただし、江戸といえど今のような流通体制はなく、野菜や魚はごくわずかだけであり、ほとんどは米以外にはわずかな汁と漬物ていどの食事でした。

とても、「健康的」とは言えなかったようです。

 

「和食推進」ということが特に強調されていますが、この「和食」というものも時代によって変わってきたようです。

江戸時代以前には砂糖などほとんど流通もなく、料理もわずかな甘みのみのものでした。

明治から大正に入る頃には砂糖がどんどんと入ってくるようになり、料理にも大量の砂糖を入れるようになりました。

このころから「和食」と言うものも非常に甘くなっていきます。

大正から昭和にかけての料理レシピを見ると惣菜ではなく「お菓子」を作っているかのようです。

その後、戦争を挟みますがその後も甘さ全盛の料理が復活、和食と言っても甘さ控えめのものなどは無くなってしまいました。

 

テレビなどでよく流されている番組に「ご長寿さんに聞く食べ物」などというものがあり、あたかも「長寿食」というものがあるように言っていますが、その年齢層の人たちはだいたい皆そういった食事をしていたはずです。

しかし、その生き残ったご長寿さん以外の人はもうすでに死んでしまった。

その人たちにとっては「長寿食」ではなかったんでしょうか。

 

伝統的な料理というものも、食育のターゲットのようです。

クジラ料理が取り上げられることもありますが、本当に「クジラを食べる伝統」などというものがあったのでしょうか。

クジラは千葉や和歌山などで昔から捕られて食べたという記録はあります。

しかし、それはあくまでも沿岸の漁師町だけの話であり、それ以外の地域にまで流通できるようなものではありませんでした。

クジラが大々的に捕られ、全国に流通したというのは第二次大戦後のわずかな期間だけでした。

この程度のものを「伝統料理」とは言えないでしょう。

 

さらに、和食のメインとも言える「刺し身」

これも実はごく最近までは沿岸部の人々以外には食べることができないものでした。

言うまでもなく、魚の生食である刺し身は鮮度が悪くては食べられません。

したがって、水揚げ後に運べる範囲がごく近くだけだった昔は、そこでしか食べられないものだったようです。

 

これは、最近流行の「ジビエ」も同様の問題点といえます。

鹿やイノシシなど、野生動物の害が大きくなり、駆除と称して射殺することが増えていますが、その肉がもったいないからと言ってジビエと称して料理に使おうという動きもあります。

しかし、このような肉というものは射殺後の処理を急がなければなりません。

畜産の食肉は、屠殺場のすぐそばに解体処理施設を置き、屠殺後速やかに解体処理し食肉化するという手順の工程が確立されているからこそ安心して食べることができます。

しかし、野生動物はどこで射殺するかも不定、そこから解体処理施設まで運ぶ時間もどれほどかかるか分かりません。

ただでさえ、どのような寄生動物や感染症があるか分からない野生動物ですから、死亡後に長い時間をかけたものなどかなり危険と言えそうです。

 

「食育」と言いますが、この本で主張されていることは、大人でもしっかりと考えておくべきことでしょう。

 

食育のウソとホント 捏造される「和食の伝統」

食育のウソとホント 捏造される「和食の伝統」

 

 

「株式会社化する日本」内田樹、鳩山友紀夫、木村朗著

内田樹さんはその著書を何冊か読んで以来、非常に的確な社会情勢の判断に感服し、その後「内田樹の研究室」というブログを常に拝読し注目しています。

今回は、その内田さんが元首相の鳩山友紀夫さん、鹿児島大学の木村朗さんと鼎談したという本をたまたま訪れた書店で見かけ、思わず買ってしまいました。

 

鳩山さんも民主党政権時代に首相となったものの、打ち出した政策に反対者たちから総攻撃を受け、あえなく総理退陣となったばかりでなく、その後も韓国や中国訪問については日本国内諸方面から国賊扱いだけならまだしも、狂人とまで言われることになっています。

しかし、この本を読む限り非常に的確な国際政治の判断基準をお持ちであることが分かり、現政権を含む他のほとんどの人々の方が狂っているとも感じられます。

もう一方の鹿児島大学教授の木村さんも同じような立場の方と見られます。

 

そのような3人が、現状について鼎談されており、その見方についてはどれをとっても肯かされるものばかりです。

第1章は「対米自立」を金の力で成し遂げようとしてきた日本の蹉跌。鳩山さんの首相時代の体験も触れられています。

第2章が、書名にもなっている「株式会社化する日本」について。

以前から戯言として「日本株式会社」などと日本社会を表現することが行なわれていましたが、今日の現状はまさにその通りとなってしまったということです。

第3章は、「グローバル資本主義の末路」

今全世界を席巻しているグローバル資本主義というものが間違っているということはそれに身を投じて金儲けに狂奔している人間以外は、全世界の人々が気づいていることです。

しかし、それをどうすればよいかということにはまだ解答はありません。

第4章は「沖縄問題から見た新しい世界地図」

鳩山さんが首相時代に沖縄の米軍基地は県外へという、これも極めて当然のことを言ったために、多くの人々から総攻撃を受けるきっかけともなったのですが、これを見ていくと沖縄や日本のことだけでなく、世界のことも見えてくるという話です。

 

あちこちに、非常に興味深い指摘が出てきますが、全部を紹介するわけにも行きませんのでそのうち数点のみ。

面白いと思ったら、図書館で見つけるか、ご自分で購入して読んでください。

 

戦後政治史を見ると、対米自立志向の政権は短命で、対米従属度が強いほど長期政権となりました。

前者は石橋湛山田中角栄、そして細川、鳩山といった人々で、後者が中曽根、小泉、安倍です。後者が一見「右派愛国者」的に装っているのが傑作かもしれません。

そして、「対米従属」と言っていますが、実際はアメリカという国に従属しているというよりは「在日米軍従属」であるという指摘はびったりと言い当てたという感覚です。

 

グローバル資本主義でほとんどの富がごく少数の富裕者に集中するというのは全世界に同時に起きています。

そこからのトリクルダウンも起きないということもはっきりしています。

すると、ほとんどの富は富裕者の懐に死蔵されてしまい、貧困者だけでなく中間層すら金を使うことができず、経済環境の悪化からテロや戦争に行き着くというのが避けられません。

多くの心ある思想家たちは何とかしてこの状況を変えようと考えていますが、妙案はないようです。

 

沖縄の基地問題はさらに混迷を深めていますが、対米従属の象徴的な問題となっています。

しかし、これまでの米軍基地というものは常に在日米軍が力ずくで奪って基地をしたのですが、はじめて日本側が進んで基地として提供しようとしているということで、これも象徴的な出来事となっています。

さらに、辺野古の飛行場ができれば嘉手納基地は返還されると称していますが、辺野古は「海兵隊基地」としてしか使われず、嘉手納は変わらずに「空軍基地」として使われるだろうとしています。

これは、沖縄でアメリカ空軍と海兵隊が勢力争いをしていることのとばっちりを受けただけだと。

そして、すでに中国のミサイルが照準を合わせている沖縄の基地に、米軍を置いておくのは危険以外の何者でもなく、海兵隊の存在自体が疑問視され始めている時代にもはや辺野古基地が完成しても使いようがないとも。

だいたい、「海兵隊が敵前上陸」っていつの時代の話でしょうか。

 

いろいろと、刺激的で「これこそ真実」と思わせる内容の本でした。

 

株式会社化する日本 (詩想社新書)

株式会社化する日本 (詩想社新書)

 

 

「掟破り」大下英治著

社会の様々な集団には、法律以前の「掟」と呼ばれる規律が存在し、それを破ったものに対しては厳しい処罰が下されるということがあります。

 

暴力団などのアウトロー集団では法律に頼るわけにはいかないのでなおさら「掟」の持つ意味が大きいのでしょうが、アウトローとまではいかなくてもそれに近い体質の?政治家や芸能界にも同様なものがあるようです。

 

やむにやまれぬ事情により掟を破るということもあったでしょうが、しかし、時代の流れでその集団自体の性質が変わってきたために、確信犯的に破ってしまったということもあったのかもしれません。

 

そういった、「掟」と「掟破り」のドラマを、長年「週刊文春」で記者として活躍、その後は著述業の著者が描いています。

 

やくざの掟の項では、平成の最初の頃に広島で勃発したやくざ戦争を扱っています。

「親分からもらった盃を子分の方から返すことはできない」というのが掟ですが、それを破ってしまったらどうなるか、やはり血を流す争いとなります。

 

かつての首相、岸信介の退陣をめぐり、当時の自民党では派閥の領袖が様々な駆け引きと金やポストを使っての裏取引で次の総裁を争いました。

日米安保条約の改定に政治生命を賭けた岸は、それを成し遂げるために大派閥を率いる大野伴睦河野一郎の力を借りるため、条約改定後の総裁選には出ずに大野を押すということで密約を結びます。

しかし、首尾よく条約は改定したものの、岸は他にも「次期総理」という空手形を乱発しており、結局は大野の総裁就任はならず、池田勇人にそのポストは行ってしまいました。

政界の掟は「密約は破られるものである」だそうです。

 

小池百合子東京都知事立候補の際のドタバタ劇も取り上げられています。

自民党都連の掟は「自民党東京都連とその会長の決定は絶対である」ということだったそうですが、それに真っ向から刃向かい小池は都知事の座を射止めたばかりか、都議選でも自民党を大敗に追い込みました。

その後の挫折も印象深いものでした。

 

人が作る集団というものは、どのようなものであっても規律というものが重要なのでしょう。

しかし、それが変わらざるを得ない時代の流れというものもあるようです。

 

掟破り

掟破り

 

 

「地形観察 ウォーキングガイド」目代邦康著

日本は火山活動や造山運動が活発なためでしょうか、いたる所に興味深い地形があるようです。

実際にそこへ行ってみて、自分の目で観察してみたいという、「地形ファン」も多いのでしょう。

この本はそういったファン向けに、観察のガイドとして書かれたもので、見ることのできる地形とコースマップで実用向けにできています。

 

少し前に、火山の観察ガイドの本を読みましたが、それとほぼ同様の作りになっています。

sohujojo.hatenablog.comただし、今回の本では様々な地形について扱われていますので、より幅広いものです。

しかし、ちょっと幅広すぎたでしょうか。全国で26箇所しか紹介できず、九州を見ても3箇所だけと少し淋しいものでした。

できれば地域別に各地方でもっと細かいものまで取り上げていただければ、より参考にしやすいのでしょうが、やはりそれでは本が売れないか。

 

紹介されている場所のうち、私が実際に行ったことがあるのは6箇所、行ったことはないものの非常に親近感を覚えるところが1箇所ありました。

 

箱根には何度も行ったことがありますが、ここは芦ノ湖カルデラ湖で巨大なカルデラ噴火の跡だと思っていました。

しかし、本書によればそのようなカルデラ噴火は無かったということで、複数の小火山が噴火を繰り返しその後侵食されて今のような地形になったということが分かったそうです。

火山の中心部で陥没性の地形の証拠が見つからないことで推定されたとか。

 

長野県下伊那郡大鹿村の、大西山と言うところが取り上げられています。

これは、それほど知られているとは思いませんが、私にとっては非常に思い入れのあるところです。

父の出身地から川沿いに登ったところで、家伝には祖先がその付近に暮らしていたと言われています。

それが、昭和36年に伊那地方を襲った大水害の際に、大規模な山崩れが起き多数の死傷者を出しました。

赤石山脈の山裾にあたるこの地域の地質は、非常に崩壊しやすいものでこれまでにも多数の山崩れを起こしていたのですが、これは中央構造線周辺の断層地帯にはよくあることのようです。

 

岐阜県には知られている限りで最大の内陸地震、1891年の濃尾地震の際に動いた根尾谷断層が見られるところがあるそうです。

最大で9mもの横ずれが起きました。

今後もまたどこかでこのような地震が起きるかもしれません。

 

近くであれば見に行きたいところが多数ありました。

 

地形観察ウォーキングガイド―地形を楽しむコースマップ付き

地形観察ウォーキングガイド―地形を楽しむコースマップ付き