爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「全体主義の起源」ハンナ・アーレント著

かねてから名前だけは聞いていたハンナ・アーレントですが、最近その伝記を読んだこともあり、代表作の「全体主義の起源」に挑戦してみました。

 

sohujojo.hatenablog.com

ドイツ生まれのユダヤ人であり、ナチスの迫害を際どく逃れたアーレントの著作ですので、全体主義としてはナチスドイツを指し、さらにユダヤ人虐殺を大きな主題としているのは当然のことでしょう。

したがって、現代でもその危険性を増している全体主義そのものを考えるという意味では直接は参考にしづらいものかもしれません。

 

本書は邦訳版は3部になっており、今回読んだのはその第1巻のみです。

構成としては、第1巻反ユダヤ主義、第2巻帝国主義、第3巻全体主義と別れており、できることなら3冊を通読してから読後感を持つべきなのでしょうが、非常にボリュームも大きく、このまま3冊を読んでいったら最初の方は忘れそうです。

 

冒頭に翻訳者による注釈があり、アーレントはこの本を1951年に英語版として発表し、その後ドイツ語版を1955年に出版したのですが、この日本語版はドイツ語版からの翻訳であるということです。

この前の伝記にもありましたが、アーレントは当時暮らしていたアメリカで英語版を最初に発表したのですが、その後母国のドイツでも発行する際に、かなりの加筆修正をしています。

したがって、さらに外国語に訳する場合はドイツ語からの方が妥当ということでしょう。

 

第1巻は、ヨーロッパで暮らしていたユダヤ人に対して、反ユダヤ主義というものがどうして発生していったかという点について書かれています。

ヨーロッパと言っても国によってユダヤ人に対しての姿勢も異なり、英仏では比較的緩やかなのですが、他国では厳しく差別もあったようです。

また、昔から金融業を専門としていたユダヤ人に対しては、国家の財政を任せる代わりに特別扱いということもされていたようですが、逆にそれが反ユダヤ主義を強める理由にもなっていたようです。

日本でも財務省官僚などという連中は、極めて尊大な態度を取っていますが、これが彼らのみ別人種ということにでもなれば、どういう感覚かということは想像できます。

 

ヨーロッパのユダヤ人を巡る問題として、ベンジャミン・ディズレーリやドレフェス事件を扱って第1巻は終了します。

 

本番はこの後の第3巻なのでしょうが、そこまで読み続けるかどうか、迷います。

 

 

「関東大震災記憶の継承」関東大震災90周年記念行事実行委員会編

1923年に起こった関東大震災、それから90年が経った2013年にその記憶をまとめる活動としてまとめられた本です。

 

90年以上前とは言いながら、今でもホットな話題を提供してくれます。

小池都知事が追悼行事にこれまでの都知事が出してきた追悼文を拒絶したとか、

小池百合子東京都知事の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼文送付拒否問題について | 希望のまち東京をつくる会 宇都宮けんじ公式サイト

北朝鮮が、当時の朝鮮人虐殺の真相解明と、謝罪賠償を求めたとか、

www.tenkinoarekore.com9月1日付近にはそういったことが今だに吹き出してきます。

それはなぜか、と考えるには、この本のようにその時に本当は何が起きたのかということを、調査研究している人々の解説を見ておくことは有益でしょう。

 

関東大震災では、建物倒壊や火災により多くの人が死亡したのですが、それとともに、地震後の混乱の中で、朝鮮人、中国人や社会主義者などが殺害されたということも知られています。

(ただし、近年はこれらを隠蔽しようとする勢力も強くなっています)

しかし、その中でも日本人社会主義者の虐殺はある程度明確になっていても、朝鮮人中国人がどの程度殺害されたかということはあまり知られていません。

 

この本を読んで驚いたのは、その実態がほとんど調査もされていないということです。

殺害被害者の数も分かりません。

これを捉えて、「被害者数も曖昧な、”だから起きたかどうかも分からない”事件」だとする人々も居る始末です。

こういった事実も、この本の執筆者たちは細かく調査を続けています。

 

かつて、おぼろげながらも語られていたのは、「朝鮮人などが地震の混乱に乗じ、強盗や婦女暴行、井戸に毒を入れるといったデマに対抗して自警団が作られ、彼らが朝鮮人などを捕らえて殺害した」というものです。

しかし、本書によれば、その多くに警察や軍隊などの官憲が主導権を取り、実際の殺害も多くは実行したようです。

彼らはその後は徹底的に隠蔽工作を行ったために、自警団が自然発生的にやったというイメージを確固としました。

しかし、部分的に残された記録からも軍と警察主導というのは誤りのないことのようです。

 

このような状況で、また東京近辺にアメリカ軍の空襲が加えられた太平洋戦争時には、震災時の記憶として「朝鮮人の暴動」というものだけが民衆の意識に植え付けられていたために、空襲被災時には朝鮮人を危険視する動きがあったようです。

 

また、これもよく知られた挿話として、「朝鮮人と間違えられた聾者(話のできない人)が多数虐殺された」というものがあります。

朝鮮人かどうかを調べるために、日本語の話し方がどうかを見るということが自警団を中心に実施されたのは事実です。

その際に、話のできない聾者は朝鮮人だと決めつけられ、殺害されたというものでした。

しかし、詳細に調査をしてもただひとり、東京聾唖学校の生徒が殺害されたという記録はあるものの「多数」ということは証明されないようです。

 

非常に重い話ですが、まだきちんと決着されていない事件であったと思います。

 

関東大震災 記憶の継承―歴史・地域・運動から現在を問う

関東大震災 記憶の継承―歴史・地域・運動から現在を問う

 

 

「〈階級〉の日本近代史 政治的平等と社会的不平等」坂野潤治著

一億総中流という幻から目が覚めて、格差拡大と言われている今日このごろですが、しかし「階級」という言葉には現代の社会とは関係のないと感じさせる響きがあります。

 

しかし、紛れもなくほんの数十年前までは日本も「階級」差だらけだったわけです。

 

日本近代政治史がご専門の坂野さんが、明治維新以降の社会変革の中で階級というものがどう推移したのか、詳細に解説されています。

 

第二次世界大戦までの日本には耕地を持てなかった小作農や、ストライキを始め労働者の権利というものを何も持てなかった労働者が存在しました。

しかし、敗戦とともにやってきた占領軍が、小作農に耕地を与え、労働者には各種の権利を付与しました。

自らが闘争し勝ち取ったものではなかったけれど、一応社会革命と呼ぶにふさわしい変革がなされたのです。

 

このために、逆に日本の左翼とリベラル(革新勢力)は「社会改革」という目標を失ってしまいました。

これ以降、彼らは「平和」と「自由」の擁護には熱心に当たりましたが、「国民の生活向上」にはなんの考慮も払いませんでした。

これらの活動に執心したのは、保守政党たる自民党政府だったのです。

 

国民の生活向上をうたっていても、顔がどこを向いているかで政策は大きく異なります。

自民党政府はもちろん大企業や資産家たちのための政治をしており、その結果格差が更に広がり「平等」という目標からは離れる一方でしたが、革新勢力がそれをまともに扱うことはありませんでした。

 

しかし、「護憲(平和主義)」と「言論の自由」だけを求めてきた戦後民主主義は崩壊寸前になっています。

ここで、戦前の実際に「階級」のあったころのことを詳しく見ていくことは、現在の「格差拡大」の答えを出すことはできなくても、それを考える一助になるだろうということで、この本を書かれたということです。

 

 

明治維新を成し遂げた維新政府は、ついでそれまでの士族支配体制を終わらせます。

幕藩体制のもとでは、士農工商の身分にさらに士分の中にも細かな等級を持っていました。

土佐藩などは、侍の中にも38の格式等級があったそうです。

士分には幕府や藩から支給される家禄があったのですが、明治政府はそれを一時払いの手切れ金で廃止してしまいました。

もちろん、それまでの家禄に従って一時金の額にも大差があったのですが、その意味としては、士分の間の格式の違いを金額の違いに反映させただけで、一気に失くしてしまったということです。

 

さらに、税制を大きく変革し、自作農民から直接の税を取り立てる、地租改正を実施しました。

この時に地租を課された地主や小作農は、全国で90万人でした。

これらには、士族は含まれていません。士族40万人は土地を直接持っていなかったからです。

 

初期の明治政府は薩長を中心とした藩閥政治であり、国民の声を取り入れる機構は持っていませんでした。

そこで声を上げた人々は、最初は士族中心でした。

士族結社と呼ばれるグループを作り、政府に対する運動を始めたのでした。

しかし、その後は地主階級からの声も上がり始め、「田舎紳士」と呼ばれる彼らの結社もできていきます。

 国会の開設を決められた中で、どのような勢力が主導権を取るかという争いが続けられましたが、士族中心の勢力が優越していました。

ただし、1890年の最初の総選挙で直接国税15円以上を収めるという条件を満たした50万人の有権者はほとんどが地租を収める「田舎紳士」でした。

その選挙で選ばれた300人の議員のうち、士族が109人を占めました。

とはいえ、自由党も改進党も、構成員は士族が多いと言えどもスローガンに地主向けの「地租軽減」を入れざるを得ませんでした。

 

一方、華族令により定められた華族から選ばれる議員の貴族院は、509人の華族の中から244人を議員として選出し、衆議院とまったく同等な権限を持ちました。

まるでかつての300諸侯の復活のようなものでした。これに大きな発言権をもたせた明治政府は封建的要素をかなり復活させた身分制約的な立憲制度といえます。

 

政党が「地租軽減」を唱えても、政府の必要とする財源が乏しければ軽減することは難しく、どうしても出費を抑えざるを得ません。

しかし、当時は是が非でも軍備を整え対外的な力を増やしたいところでした。

そこが政府と、ほとんどが農村地主であった有権者との対立点であり、政府の行動を遮るものだったのですが、ちょうどその頃に日清戦争で勝利できたという幸運があり、そこで得られた国家予算の4倍もの賠償金で一息つけました。

これでようやく「富国強兵」の財源が確保できたわけです。

 

その後、民衆の声も反映せざるを得なくなり、男子普通選挙制度というものを施行せざるをえなくなります。

それが成立したのは大正14年、1925年のことでした。

有権者はそれ以前の300万人から、1200万人に増加しました。

その中には、310万人の労働者と、150万人の小作農も含まれていました。

 

しかし、その制度で最初に行われた衆議院総選挙は1928年に行われたものの、社会主義政党が獲得できたのは46万票に過ぎず、労働者と小作農の90%は政友会か民政党に投票したのでした。

 

その後は、政党と軍部が絡み合って戦争に向かっていくこととなります。

なお、総動員体制を取ったことが、労働者や小作農の発言権を上げることにつながったという見方もありますが、実際はそのような総力戦が無かったとしても格差の是正は進んだのではないかという見方を著者はされています。

徐々にではあるが、無産階級の政党の得票率は上がっており、やがては発言権を得るまでになったのではないかということです。

「戦争」がなければ「平等」も得られなかったかのような史観は取るべきではないということです。

 

 自分たちの利益のためにならないような政党にせっせと投票を続けるというのは、戦後に始まったことではないようです。

延々と続けられてきた愚行なのでしょう。

 

 

 

「ドライブマップの旅」生内玲子著

著者の生内さんは、年齢ははっきりはしませんが、私よりかなり年上のようです。

若い頃、というとおそらく高度成長時代の日本に自動車時代がやってきたあたりから、カーライフを満喫し、新聞記者であったのがやがて交通旅行評論家として活躍するようになったという、現在の自動車社会を先導してきたような方です。

 

この本も、昭和59年の出版ですが、その表紙の紹介文には「50万キロ走破の著者」とありますので、様々な自動車の乗り方、使い方を世間に先駆けてやってきたのでしょうか。

 

本の内容も、「高速道路で日本縦貫」というものから、「林道走行」「カーフェリー」「スキードライブ」「レンタカーの旅」など、バラエティーに富んだものとなっています。

 

私の記憶とも関連が深いのが、当時の高速道路網で最長のドライブを行ったという、「高速道路で日本縦貫」というものです。

現在であれば九州の南から青森まで、高速道路だらけですが、この本では「高速道路の一番長い区間を走ってみてやれ」と思いたち、仲間4人でドライブしたというもので、その区間が「東京から熊本県八代市まで」というものです。

 

何度も触れていますように、私の現住所が八代市、大学卒業し会社に入ってすぐに赴任して以来の縁です。

 

そして、高速道路の建設と延伸というのがちょうど私の若い頃の思い出とも重なるものです。

九州縦貫自動車道が、熊本、御船、松橋と次々に開通していったのが、ちょうど私がこちらに赴任してきた頃と重なり、八代ICまで開通したのが昭和55年(1980年)3月12日でした。

しかし、ここから先の人吉までの球磨川沿いの工事は大変な難工事で、1989年までかかっています。

したがって、この本で生内さんたちがドライブをしたという時期は1980年から89年までの間だと推定できます。

高速の八代開通まで、会社のバス旅行などで北方に向かう時は高速に入るまでは国道3号線を走っていきました。そこで印象に深いのが「南国ドライブイン」です。

途中の宇土市あたりだと思うのですが、いきなり道路際に大きな建物が現れ、バスを始め多くの車が吸い込まれていました。

その後、高速開通するとすぐに営業停止、閉店してしまいその後はどこがあの場所であったのかも分からないほどです。

 

本書のドライブの記述に戻りますが、そのドライブ日程は十分に余裕を持ったもので、東京から中央道経由で1日目は諏訪で一泊、2日目は中国道津山で泊まり、3日目に八代着で八代泊まり、ここまで1300kmという旅行だったそうです。

途中の中国道では大雨でハイドロプレーニング現象をもろに経験とか、食事をすべてサービスエリアで取ったら仲間の男性たちが最後は反乱を起こしたとかいろいろな経験をされたようです。

現在であれば、サービスエリアの設備や食事の質などもかなり向上していますので、問題はなかったのでしょうが、その代りにどこの高速も当時と比べればかなり混雑しているでしょう。

 

雪道ドライブも、最近の自動車性能やタイヤは改良が進んでいますが、かつては大変なことも多かったようです。

ただし、タイヤ性能が向上したといってもはやり運転に注意は必要であり、昔の苦労話を読み直すことも意味あることでしょう。

 

かつての「カーライフが光り輝いていた」時代の香りがするような本ですが、今では夢のようなものかもしれません。

 

 

「ズルい食品ヤバい外食」河岸宏和著

こういった題名の本では、単に食品添加物を使ってあるだけでダメとか、残留農薬は何でも危険といった、ほとんど読む価値もないものが多いのですが、パラパラとページをめくってちら見をしてみたら、結構面白いことが書いてあると感じ、読んで見ることにしました。

 

すると、かなりまともな論旨であり、実情もよく分かっているということが垣間見えるように思いました。

 

著者の河岸さんは、帯広畜産大学を卒業後、養鶏場、食肉処理場から惣菜工場、スーパーの厨房衛生管理者まで、様々な職場を経験されたという方で、経歴を見ればその確かな意見も納得できるものです。

 

本書を貫いている確かな主張は、「消費者のために商品を作っている企業」と「儲けるためだけに商品を作っている企業」の両方が存在しており、それを見抜くことが大切だということです。

 

食品添加物についても、「添加物はなんでもダメ」などという実態を知らない空論ではなく、「美味しくするために不可避の食品添加物」と「儲けるために使われる添加物」があるということをはっきりと述べています。

 

こういったことは、なかなか一般消費者が見ただけでは分からないことが多いのですが、それもできるだけ見抜けるようにヒントを記しています。

 

精肉は、今ではほとんどの消費者はスーパーで購入しているでしょうが、良いスーパーと悪いスーパーははっきりと別れています。

精肉は塊肉からスライスしてすぐに売られるのが一番です。

スライスして時間が経つとドリップという肉汁が抜け出してしまいます。

しかし、この加工場をスーパーの店内に作り、担当者がスライスするとコストが上がります。

そのために、加工場を一括して別の場所に設けたり、別の業者に委託するところもあります。

このようなスーパーを見分けるには、加工場の表示を見て、さらに加工年月日が書かれているかどうかを確かめること。

このような店内加工をしているのは「ライフ」イトーヨーカドー」「サミット」などだそうです。

 

食肉加工品は、加工食品ですので食品添加物や原材料を表示しなければなりません。

ここで、多くの消費者は食品添加物や原産地などを見たがりますが、実際はそれほど悪い食品添加物などありませんし、原産地も海外でもほとんど問題となりません。

それよりも簡単に判断できるのが「原材料に、大豆たんぱく、卵タンパク、乳タンパクなどを使って混ぜ物で水増ししていないか」ということです。

ハムなどは豚肉で作られていると思っているでしょうが、実は100kgの豚肉から上記の混ぜ物をして150kgのハムを作ることができるそうです。

 

ロースハムを作る時に、リン酸塩や発色剤、酸化防止剤はどうしても使ったほうがよくできるということがあります。

しかし、「混ぜ物をしたために使わざるを得ない食品添加物」は実はメーカーが儲けるために使われているということです。

こういったものには、増粘多糖類などがあたります。不要な混ぜものを使うための添加物であり、その使い方を見抜くことができます。

 

 

肉類だけでなく、鮮魚でも外注工場を使うスーパーが増えているそうです。

これも、売れるまでには相当な時間が経過しており、鮮度は落ちてしまいます。

ただし、見たところスーパー店内に厨房があるように見えていても、業者から刺し身の状態で仕入れて、その厨房ではパック詰めするだけというところもあります。

(それでも最終加工場はそのスーパーと表示しても嘘にはなりません)

丸々1匹の魚を「調理承ります」(三枚おろしなど)と書いてある店は大丈夫なようです。

 

さて、この本では良い店として推奨できると何店かの店名をあげているところがありますが(その店が著者の取引先とかいう疑いは棚上げにしておきます)

「悪い店」というのはさすがにほとんど明記していません。

しかし、一箇所だけありました。

牛丼チェーンで、客のためを思えば牛肉の味の向上が第一なのですが、そういった努力よりも店員人件費削減ばかりに努力?しているような「すき家」ははっきりと名前を挙げて批判しています。

以前、店員一人だけで営業させていた「ワンオペ」が問題となっていたのに、まだそれが続いているそうです。

とてもそのような店舗が「美味しい牛丼」を提供できるとは思えないと断罪しています。

ここの部分は、かつてちょっと業務上の関わりがあり、すき家の元締めゼンショーに苦い汁を味合わされたので、激しく共感しました。

 

読むまではちょっと不安もあったこの本も、著者の豊富で濃密な現場体験が内容の濃さを見せてくれて、なかなか良いものと思いました。

この本も、ちょっと題名で損をしているかな。やや品位に欠けるところがあります。

 

知らないと危ない! ズルい食品 ヤバい外食

知らないと危ない! ズルい食品 ヤバい外食

 

 

「〈石油〉の終わり エネルギー大転換」松尾博文著

著者の松尾さんは現在は日本経済新聞編集委員論説委員、東京外語大アラビア語科を出て日経新聞社入社、中東での勤務も経てエネルギー問題の専門家という人です。

 

石油の行末はやはり縮小に向かうという判断でしょうか。

その代りが、シェールオイル天然ガス、そして再生エネルギーということです。

 

こういった「経済専門家」の技術判断というのは、どこから情報を仕入れるのかと思ったことがあります。

おそらく、知人の技術専門家から聞かされるのでしょうが、「今はない技術」の見通しは誰に聞いても正確であるはずはありません。

 

私の見たところ、「技術者・科学者」の未来予想はすべて過大で楽観的、もっと端的にいえば「開発資金欲しさの我田引水論」です。

 

この本の趣旨に沿って言えば、「シェールオイル」なるものは、石油採掘の残りカス、しばらくは採れるがすぐに無くなるというものでしょうし、「天然ガス」も石油に先駆けて無くなりそうです。

さらに「再生エネルギー」は装置価格が下がってこないのがすべてを表すように、コストが合わないものでしょう。

 

経済専門家の見通しは5年、10年は確かに極めて正確なものでしょうが、100年、200年先を考える人はいません。

100年先にはエネルギーはかなり減少するでしょう。石炭はまだ少しはあるものの、石油はかなり減少。それにつれて値段は高騰。

それをカバーできる「再生エネルギー」はありません。

わずかながらに小規模風力や水力発電で電灯ぐらいは点くかもしれません。

 

そんなわけで、あまり期待もせずに読み始めた本ですが、その通りの印象でした。

 

「石油」の終わり エネルギー大転換

「石油」の終わり エネルギー大転換

 

 

「ひとり親家庭」赤石千衣子著

著者の赤石さんは、ご自身もシングルマザーとして生活しながら、苦しい人々の支援活動を続けられ、現在はしんぐるまざーず・ふぉーらむ理事長をされています。

 

2011年の推計で、母子家庭は124万世帯、父子家庭が22万世帯、推計値で40年で2倍になっているそうです。

その世帯収入は低く、年収100万から200万というところがほとんどのようで、ギリギリの生活をしています。

シングルマザーは働いていないから収入が少ないのではと言われるのですが、実際は就労率は非常に高く、2011年の調査で80%以上の人が職についています。

これは欧米各国と比べても高いのですが、その割に収入が低いのが実情です。

それだけ、低収入の職業にしか就けないという現状があります。

 

また、シングルファザーの収入は若干高いのですが、それでも下がり続けています。

これは、離婚または死別した時にはある程度高い収入の職業についていたとしても、子供の養育を理由に仕事に専念できずに、高収入の職場から退職を余儀なくされたりする場合が多いためと考えられます。

 

シングルマザーの貧困を問題とすると、離婚の際の取り決めが悪く養育費を取らないからだと言われますが、養育費を貰っている人がわずか20%弱、その金額も平均4万円あまりに過ぎません。

 

かつての制度では、「死別」「離別」「未婚」と厳然と分けられその間には格差を設けられていました。

死別した母子家庭は可愛そうだが、離婚などは我慢が足りない、未婚などは不道徳という価値観がそのまま出たものでした。

これを徐々に改正させていったのですが、まだその感覚が残っているようです。

 

ひとり親家庭の子供達はそのスタート時から大変なハンデを負わされていると言えるでしょう。

教育関連費用すら払うことが難しい場合も多く、塾などには行けません。

成績も低く、進学も難しいということになります。

 

ひとり親であっても、実家の支援や親族の助けがある人が居るということがよく言われますが、実際はそういった境遇の人は極めて少数であることが分かります。

確かに、そのような家庭では経済的な困難は少ないのですが、とてもそういった事例を一般的とみなす事はできません。

ほとんどの世帯ではそれは全く無いと考えなければいけないようです。

 

こういった家庭に対する支援は、児童扶養手当というものがあったのですが、その受給者が増えることで予算への影響が言われ、徐々にその額を減額するといったことになっていきます。

2008年には、児童扶養手当を減額する代わりに「ひとり親」の就労支援を拡充するという手法で財源をへらすという手に出てきました。

今でも目一杯働かなければいけないひとり親が、多少の技能訓練をしたところで収入アップなどできるはずもありません。

制度改悪と言わざるを得ないでしょう。

 

東日本大震災をはじめとする数々の災害も、ひとり親世帯に大きな悪影響を及ぼしています。

きちんとした制度改革が必要なのでしょう。

 

ひとり親家庭 (岩波新書)

ひとり親家庭 (岩波新書)