爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

野党側選挙準備遅れに対する理不尽な報道

小池新党の立ち上げでの失策については、私も批判的に書きましたが、このところのテレビ報道などを見ていると希望の党を含め立憲民主党など野党側の選挙対策遅れを批判する動きが強まっているようです。

批判だけならまだしも、揶揄するような論調もあり、嘲笑する雰囲気まで感じられます。

 

しかし、そもそもこのような選挙を策謀し突然解散という暴挙を行なったのは安倍政権であり、野党側が対策が遅れるというのも当然過ぎる話です。

 

そのことばかりあげつらって批判する、あるいはさらに上から目線で嘲笑するというのはあまりにも一方的であり、マスコミの視点というものが安倍政権と共通であることの現れのように見えます。

 

希望の党なるものの政策等にはなんの期待も抱いてはいませんが、いずれにせよ政策を発表してからは公正な報道をしていただきたいものです。

 

なお、マスコミは「モリカケ」問題について何の説明もしないで皮算用政策ばかりを唱え、責任政党であるかのような印象操作をしようとしている自公の糾弾はもはや忘れているのでしょうか。

政権に就こうというものは修身斉家治国平天下という教えをもう一度考え直してほしいものです。

(まあ今その関係の本を読んでいるもので、いずれそれは書評を書きます。)

「ヒットの教科書 プロジェクトを成功させた”挑戦者”に学ぶ」奥井真紀子著

日経トレンディ」という月刊誌で連載されていた「ヒットの軌跡」というヒット商品開発の話を18編まとめて1冊の本にしたというものです。

 

ヒット商品なるものには、中には単に上手いCMで売ったとか言うものもあるようですが、ここで取り上げられているのは誰でも納得の高品質、新技術があり、さらにそれを何とか商品にしようという熱意ありという、正真正銘のヒット商品ばかりとお見受けしました。

 

中にはあまり知らないものもありましたが、多くは名前もその売り物の新機軸もよく知っているものであり、その開発経緯を知ることができるということは、現役のビジネスマンにとっては大いに参考になることでしょう。

引退組の私にとっても、実利は無いものの興味深く読めるものでした。

 

味の素冷凍食品が発売した、「油・水なしで焼けるギョウザ」は大々的に宣伝もしているのでよく知っている(ただし買ったことはないけど)ものです。

 

味の素は、もともと冷食ギョウザではトップ企業ですが、その座を守るのではなくさらに新商品を開発しようという意欲を持っていること自体すばらしいことです。

 

主力商品である冷食ギョウザの改良の方向性を探ろうと、消費者を招いて実際に作ってもらい意見を聞くという機会を設けたそうですが、そこでの一般消費者の行動を見て開発者たちは大きな衝撃を受けます。

「主婦たちの中には、パッケージに書いてある調理法の通りに作る人が誰もいなかった」

特にギョウザ調理にもっとも重要である「加える水の量」に注意を払う人は居らず、皆目分量でざっと水を入れるだけ。多すぎて軟らかくしてしまったり、少なくて焦がしたり。

これを見て、味の素開発陣はそもそも水を加えるということ自体を変えるという発想に至ったそうです。

「誰も失敗せずにおいしく食べていただくには水を不要にするしかない」ということです。

しかし、さすがの味の素技術陣も、その前の「油不要」のギョウザは容易に開発できましたが、「水不要」はかなりの難しさであったようです。

ギョウザ調理における水の役割と言うのは重要で、蒸気となって中身の具を蒸すことであり、そのために水分量や沸騰するタイミングが微妙になります。

さらに、家庭によりフライパンの種類や火力の強さも様々であり、どんな条件でも同様にできるというのは厳しい条件であったようです。

さらに新発売に当たっては広告宣伝と店頭での活動も連動させ一気に市場浸透を図ったとか。

 

 

もう一点取り上げたいのは「鍋キューブ」

これも味の素なんですが、別に味の素に贔屓をしているわけではないのですが、その開発力はさすがと思います。

 

鍋料理の調味料として、レトルト状態の液体の製品が多数の企業から発売されるようになりましたが、毎回使い切りで量の調節ができないといった不満があるということが分かりました。

そこで、「固形コンソメ」では1962年から発売している実績を持つ味の素が固形状の鍋つゆと言うものに挑戦したわけです。

 製品のイメージというものはできたものの、鍋つゆの素の固形化と言うものはそれほど簡単ではなかったようです。

コンソメで長い経験があるとはいえ、鍋つゆははるかに複雑な配合でありそれを形にするのは難しいことでした。

また小さなキューブ状にするということは濃縮のきかない成分がそれほど入れられないと言うことでもあり、どのように味を作り上げるかも相当大変なことだったようです。

一番苦労したのはキムチ風味だったとか。

 

思い切った製品設計であったため、パッケージデザインも既製品とはまったく異なる方向性を出すものとなり、社内の反論も大きかったのですが、何とかまとめ上げました。

各所にわたる強い開発姿勢があればこそ製品になったものと言えます。

 

他のヒット商品もそれぞれ深い意味を感じさせるものでした。

 

ヒットの教科書

ヒットの教科書

 

 会社勤めをしていた頃は新製品開発といったことにも関わっていましたが、この本に出ているようなヒットする新商品などという方向にはまったく持っていけないような会社でしたので、大したものはできませんでした。

こういう会社でそのような仕事に就いていたら楽しく仕事ができただろうなと、今更ながら思います。

海外で日本の「鶏刺し」が紹介される とんでもない誤解を生むかも

FOOCOM.NETの専門家コラムで、消費生活アドバイザーの瀬古博子さんが欧米で日本の「鶏刺し」が紹介されていることを論じています。

www.foocom.net日本では行政は一貫して鶏肉の生食は危険という注意喚起をしていますし、欧米でも同様なのですが、日本への観光客も増えてきて日本の食にも触れる機会が増し、日本で鶏刺しを食べたという経験者も出てきたようです。

 

日本での鶏刺しというものは一般的な食習慣などとは言うことができず、一部の営業店で食べることができるだけなのですが、その点も誤解が広がっています。

 

欧米人観光客が日本の料理店で食べたことで、公的にオーソライズされたかのように感じ、「日本では鶏肉生食もできるのに、欧米の我が国では衛生管理ができていないので不可能」といった理解をするようです。

 

とんでもない話で、日本の鶏肉流通では生食可能と言う鶏肉はほとんど存在していませんし、単に通常の肉を危険な状態で生食させているだけなのですが、その点はうまく伝わっていません。

市販鶏肉のカンピロバクター汚染率は、調査によって差はありますが少なくとも20%以上とか。

汚染菌の量によっては食べても運良く罹患しない可能性もありますが、非常に危険であることは間違いないところです。

 

鶏に限らず、「肉の生食は危険」という感覚を身に着けなければいけないというのは、これからの日本の大問題でしょう。

小池ブーム早くも興ざめか

民進党からの候補者受け入れに厳しい条件をつけ、政策一致を求めすぎるあまりにゴタゴタと不手際が相次ぎ、すっかり小池ブームも収まりつつあるようです。

 

今日のテレビワイドショーの論調でも、もはや最初のような「小池新党どこまで行くのか」といった半ば恐怖心を感じているような雰囲気は消え去り、半分嘲弄交じりでのコメントが相次いでいました。

 

どうやら小池さんも自らに集められた期待というものが、単に安倍おろしだということに気づかず、ご本人の政治姿勢というものに期待されていると誤解し、きちんとした政治手法を見せたかったのでしょう。

 

とにかく安倍を葬り去るだけに集中し、右でも左でも取り込んで選挙だけ済ませて大勝し、その後はじわじわと反対派粛清をしていけば良かったものを、こうなってはとても大多数の無党派層を取り込むことはできないでしょう。

 

立憲民主党を含めた共産社民、自民公明との三極構造などと言っても小選挙区制のもとではまた自公大勝の目も見えてきました。

 

あまりにもアホらしい展開に、また政治休眠に入ろうかと思い始めています。

 

「歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる」遠藤雅司著

歴史の中の人たちが何をどのように食べていたのか。日本の過去の人たちのこともよく分かりませんが、外国の人々のことになると歴史上の活躍が分かっていても食生活は想像ができません。

 

そこで、歴史料理研究家という遠藤さんが様々な資料を元に料理を再現してみようということです。

とはいえ、厳密な再現というのは非常に困難ですので、まあかなりアレンジはしているようです。

 

取り上げた時代は、1古代メソポタミア、2古代ギリシア、3古代ローマ、4中世イングランド、5ルネサンス期イタリア、6フランスブルボン朝、7フランスナポレオン時代、8プロイセン王国 といったところです。

 

それぞれの時代から5種の料理を作り上げていますが、さすがに古い時代のものではそこまで忠実に作れるだけの資料も少なくかなり想像も入っているようです。

また食材も完全に同様のものが得られるわけもありませんので、その辺はかなり違いはあるのかもしれません。

しかし、一応料理としての形までは作り上げられ、実際に食べられたということですので、面白いものでしょう。

 

資料と言っても古代メソポタミア古代ギリシアでそのような料理の資料が残っているのかという疑問を持ちそうですが、例えば古代メソポタミア文明の遺跡からは、楔形文字が刻まれた粘土板が多数出土していますが、その中には料理法やその材料などが書かれたものがいくつも発見されているそうです。

 

その中には、紀元前4世紀の「メソポタミア風だし」の作り方が書かれたものがあり、炒ったウイキョウ、クレソン粒、ネナシカズラ、クミン粒を水に入れて長時間煮るというレシピが書かれていたそうです。

まだハーブの類は使われていませんが、このスープでラム肉を煮ると食材の味が引き出され上品な味になるそうです。

 

 

中世ヨーロッパでは、王や貴族は肉類が食べられ、また非常に高価であった香辛料類を大量に使うといった富を誇示するような料理があったそうです。野菜としては、希少価値のあるアスパラガスやアーティチョークだけを食べるような習慣でした。

それにひきかえ、庶民は野菜などしか食べることができず、貴族からは「野菜食い」といって軽蔑されていたそうです。

しかし、ルネサンス期になるとイタリアなどの先進地域では、貴族階級でも野菜を食べることの健康への意味が認識されるようになります。

これは、上流階級でも多く野菜を摂っていた古代ローマの習慣を見直すところから明らかになってきました。

現在でも食べられている「ミネストローネ(野菜スープ)」などもこの時期から食べられるようになってきました。

 

料理の作り方、味という点から見て、中世と大きく変わって現代につながるものになってきたのは、18世紀のフランス宮廷料理からだそうです。

具体的には、ソースが大きく進化しました。

この時代にようやくソースそのものが仕込まれるようになり、マヨネーズソース、ホワイトソース、デミグラスソースなどが誕生します。

また、ソースなどのベースとなる「フォン」も発明されます。フォンドボー、フォンドポワソンなどが生まれ、グランドキュイジーヌと呼ばれる高級フランス料理の骨格ができたのがこの時期でした。

 

また、大航海時代以降、新大陸をはじめとする世界各国から持ち帰られた多くの食材が広範囲に栽培されるようになったのもこの時代であり、ジャガイモやトマトといった食材が料理のバラエティーを大きく広げることになりました。

 

歴史料理の再現、厳密性は劣るかもしれませんが、実際に作られた料理の写真を見るとなにか遠い昔の食卓を想像できるような気がして面白いものでした。

 

歴メシ!  世界の歴史料理をおいしく食べる

歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる

 

 

「遺伝子改造社会 あなたはどうする」池田清彦、金森修著

ゲノム編集と言うことがここ数年急激に発展しているようですが、この本は2001年出版でありながらこういった事態を予測しそうなったらどうなるかということを取り上げています。

池田さんは有名な?生物学者で、金森さんは哲学出身の科学史専攻の方です。

このお二人が遺伝子改変という技術の発展に社会はどう向かっていくのかということを対談しています。

したがって、まだ技術としては広がっていない時代にそこを考えているため若干の現実との相違はあるのかもしれませんが、考え方としては間違いはないでしょう。

 

遺伝子による遺伝制御ということは、今でもまだはっきりとはしていませんが、その辺の解説から始められています。

たとえば、「行動を支配する遺伝子など無い」とか、「犯罪遺伝子など存在しない」といったもので、ともすれば間違いやすい一般人の思考に釘を差します。

 

ただし、病気についてはこれまでの知識でもある程度は分かってきており、特有の遺伝病などは原因遺伝子がはっきりしているものもあります。

たとえば、胎児の遺伝子診断を行ないこういった発病遺伝子があったら選択的中絶をするのかどうか、これは非常に大きな問題になってきます。

 

しかし、「遺伝子改造」と言った場合は、このような明白な発病に留まらず、たとえば「身長を高くする」とか「美人にする」とか「頭を良くする」といった方向に向かう可能性が出てきます。

現状ではそのようなことは不可能ですが、いつまでも不可能なままではないでしょう。

必ずそれに近づくための努力がなされ、いつかは実現すると考えるべきなのでしょう。

 

それは「やってはいけない」ことなのか、それもよく分かりません。さらになぜ「やってはいけない」のか、「危険が伴うから」か、「天に挑む」からか。

 

もしかしたら、遺伝子改造から発生、分娩まですべて政府が都合の良いようにやってしまう時代が来るかもしれません。

まあ、怖ろしい時代がやって来るということなんでしょうか。

 

なお、現在の遺伝子操作植物(GMO)についても触れています。

これらは健康被害が疑われるとして反発されることが多いのですが、池田さんによればそれは大した問題ではないということ。しかし、環境改変と言う問題がより大きくなるだろうということです。

例えば現在、除草剤耐性遺伝子で組み替えた大豆などが広く使われていますが、この遺伝子が雑草に取り込まれたらどうなるか。

別の除草剤耐性遺伝子を作って組み替えるか。結局これまでの抗生物質と耐性菌の戦いを繰り返すだけになるだろうということです。

そうでしょうね。

 

 

 

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1197自動化が進む株式市場

賀茂川耕助のブログで扱われていたのは、もはや企業業績や将来性といった企業への投資を示すようなものではなく、単に取引の時間差や隙間狙いだけの競争に堕した株式市場の現状です。

kamogawakosuke.info

株式市場は企業が資金調達を行うためという元来の目的を失い、最も速くもうけを出すためのスロットマシンになったのである。

 

この文章にある「スロットマシン」というのがまさに実状をはっきりと示しているものでしょう。

 

株式のみに限らず金融というものはごく最近になって全く変質してしまったようです。

この変化をそのままにしておけばリーマンショックどころかもっとひどい大破局が訪れるのも必然のようです。

 

その時は安倍クンが消費税増税をまた先延ばしにできるのですが、それどころじゃないでしょう。(そもそも安倍クンがその時を迎えられるかどうかも分からなくなってしまいました)

 

それはともかく、そのような株式市場、そして金融資本支配の経済というものはいずれ破綻するということなのだと思います。

現在、それで儲けることにも無縁なほとんどの人々がそれで大きな苦しみを味わうことになるでしょう。