爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「株式会社の終焉」水野和夫著

資本主義という経済体制はもはや先が無く、それに気付かないままに続けられている、成長信仰による延命策はすべてさらに傷を広げるものだという、私が常日頃考えていたことと非常に近い内容の書籍を次々に出版されている水野さんの本です。

これまでも数冊の本を読んで感銘を受けました。

 

sohujojo.hatenablog.com

 

さて、本書は2016年9月の発売で、まだ温かいような新刊と言えるものです。

内容は、資本主義が資本の自己増殖ができなくなった時に、その主役である株式会社というものがどうなるかというものです。

一言で言えば、従来型の株式会社には未来はありません。特に、現金配当というものはできなくなります。

したがって、もっと配当を出せと迫る株主という存在も存立できなくなるでしょう。

 

限界労働分配率という指標があります。

これは人件費を付加価値で割ったものですが、この値は1963年から1986年まではほぼ1.0程度で安定していました。

バブル期には急上昇し、1998年に1.43まで上昇したのですが、その後労働規制の緩和や企業リストラの増加で、低下し続けて2004年にはマイナス値となり、現在までマイナスのままです。

 

仮に労働分配率が1.0のままで推移したとし、人件費総額を試算してみると2014年度は58兆円となり、実際の値の51.4兆円を6.6兆円も上回ります。

これは本来は労働者が手にするはずの所得だったのですが、実態は株主や経営者に流れ込んでいます。

 

さらに、安倍政権が採用した円安政策で企業利益は大きく増加しましたが、輸入物価の上昇をもたらし国民生活を苦しくさせました。

さらに日銀がとったマイナス金利政策は、日本の国債の価値を下げ、その保有者(結局は預金者や保険の契約者であり国民全体です)の利益を政府や外国人に渡しています。

また、これで住宅建築が進み景気上昇につながるという目論見もあるのですが、実はこれで住宅が過剰になれば将来の住宅価値が下落し不良債権となる怖れも強いものです。

 

 

さて、それでは本書主題の「株式会社」とはなんでしょう。

この歴史的な経緯の説明というのは、非常に簡潔でありながらダイナミックな動きを感じさせてくれるものであり、知識として知っておくべきことでしょう。

これを間違いなく要約する力は私にはありませんので、書かれていた中で印象的な言葉だけ紹介します。

 

パートナーシップ資本主義というものは、11世紀のイタリアに始まったそうです。

これは地中海資本主義とも言えるものですが、地中海世界という閉じられた世界の中で有限空間を前提として動いていました。

しかし、16世紀になり新大陸というものが大きく世界の(ヨーロッパのですが)経済に影響を強めていくと、これが株式会社資本主義というべき近代資本主義に変質していきます。

これはどんどんと拡大していった新大陸というものを取り込んでいるために、無限空間が前提となってしまいました。

さらに、蒸気機関や電信の発明により移動と通信の速度上昇により世界中を巻き込んだ経済展開ができるようになります。

 

そして、企業は巨大化していきそれに必要な巨額の資本調達を求める企業家と、高いリターンを求める資本家が株式会社という形態を選択したのですが、それはたかだかこの150年に過ぎません。

 

株式会社は「無限空間」を前提としなければ利潤極大化が不可能なのですが、IT革命とグローバリゼーションはかえってこの地球を「閉じた世界」としてしまいました。

無限空間はもはや存在せず、「有限の地球」しか残っていないのです。

こうなると「成長」自体が軋轢を生むことになり、数々の事件も引き起こしています。

フォルクスワーゲンの不正、日本の家電産業の数々の不正会計などもその結果です。

 

 

20世紀に、民主主義国家は共産主義国家や全体主義国家に勝利したように見えました。

しかし、その実はシュムペーターが指摘しているように、「租税国家」から「債務国家」への転落でしかありません。

債務国家とは、「現実にはまだ存在していない金融資源の投入によって社会的紛争を解決する国家」(シュトレーク)ということです。つまり、将来の税収を今使っている日本のような国家のことです。

 

 

預金はローリスクローリターン、投資はハイリスクハイリターンだと言われていますが、預金者が間接的に保有しているのは日本国債です。

預金の4割に相当する506兆円が国債であり、それが暴落すれば預金も吹っ飛びます。

ローリスクと言われている預金は実はかなりのハイリスクであり、それにも関わらずリターンはほぼ0というのが本当です。

 

 

地球が「有限」であることが現実となった現在、成長というものは終わりました。

会社というものも、これを前提としてあり方を考え直していかなければなりません。

 その「取るべき道」の概要も示されています。

 

初期時点

マクロ経済がゼロ成長であるなら、企業利潤、雇用者報酬、減価償却費も前年と同額となります。これが出発点です。

しかし、それ以前に積み重なった歪みは同額に留めること無く是正しなければなりません。

 

第1段階

1999年以降の新自由主義のために歪んでしまった労働と資本の分配を見直す。そうすると企業利潤は当分はマイナスとなります。

 

第2段階

それ以外の日本経済の問題点も解消しなければなりません。

日本は資本を過剰に抱えすぎました。それを是正します。

具体的には過剰な内部留保金を減らしていくことです。

そのためには過剰分に対する資産課税を行うことです。

 

こういったことを行うためには「減益計画」を作り、「資産課税制度」を動かす必要があります。

 

減益でも良いとなると過剰な資本を集める必要はなくなります。海外から投資を受けることなどはかえって有害となります。

そのためには、現金配当はやめて現物配当にする。そうすれば株主も現地住民ばかりになるでしょう。

このような提案は成長主義者からは問題にならない「後ろ向き」思考と批判されます。

しかし、どちらが前で後ろか、逆転しかねないのが歴史の転換点である現在かもしれません。

 

価値観の大きな転換が必要となるということです。

「より寛容に」が「より合理的に」に代わっていくでしょう。

 

株式会社の終焉

株式会社の終焉

 

 非常に刺激的な内容の本でした。

お酒の話 酒会社での体験 その1 概要

何度か書いたかもしれませんが、退職まで30年以上務めた会社は発酵会社でした。

そこで酵母やカビ、細菌といった微生物関連の仕事をした時期が長かったのですが、その中で40代に10年足らずの間ですが、酒類の仕事に就いたこともありました。

 

多方面の業務をやっていた会社ですが、ここまであちこちの部署を経験できた者はあまりいません。(まあどこでも使い物にならなかったのでたらい回しだったんでしょう)(カードのババ抜きみたいなものでしょうか)

 

微生物の話は以前に書きましたので、今度は酒類で経験したことを書きましょうか。

ただし、あまり詳細なことを書くと支障もあるので概略だけ。

 

 

会社全体で見れば、酒の酒類もあれこれと多く、また業務にも原酒の製造から瓶詰め、物流から販売といろいろな仕事がありますが、私の所属していたのはその中でも主に焼酎の製造・包装の部門で、その中で品質管理や製法研究といったことをやりました。

 

焼酎と言っても、原料用アルコール(高純度エチルアルコール)を割水して作る甲類焼酎というものと、米や麦、芋などを原料に作る乙類焼酎がありますが、そのどちらも製造していました。

 

ただし、会社としては甲類焼酎を古くから作っており、乙類焼酎はあとから参入ということで、なかなか品質も上がらずに苦労していたものです。

 

 

また、瓶詰め部門では品質管理を担当した時期が長いのですが、これも大変なところでした。

異物混入というのが酒類も含めた食品メーカーではもっとも問題となるところですが、製造装置が古いこともあり思わぬところから異物が入り込むという経験を嫌というほどしました。

 

 

その他、製造販売している製品の利き酒(ききさけ・官能検査をして品質チェック)ということも経験しましたが、なかなか経験の長い本職たちには及ばないものでした。

しかし、やらなきゃならない立場に追い込まれると何とかなるもので、結構分かってくると面白かったものです。

 

それでは、ぼちぼちと思い出したところから書いていきます。

 

まだ消え去らないサマータイム制の亡霊

私が目を覚ます時間はたいていは朝4時から5時の間です。

ちょうど夏至も間近の一番日の出の早くなる時期とは言え、九州の西端ではまだまだ明るくなる時間は遅く、4時ではまだ真っ暗。

ようやく5時過ぎになって明るくなってきます。

 

最近はほとんど聞かなくなりましたが、「日本でもサマータイム制度を導入を」と言った声が多かったのは10年ほど前のことでした。

サマータイム制と言っても実感がない人が多いのでしょうが、たとえばこれまでの朝5時といっていた時間を翌日から6時にしてしまうということです。

まったく乱暴な話なのですが、先進国の多くが実施しているとかでやりたがっていた人間が多く居ました。

 

当時に環境庁が作ったらしい解説がありますので、その最初の部分だけでも見てもらえれば概要は分かるかと思います。

https://www.env.go.jp/earth/ondanka/summertime/attach/pamph.pdf

 

なおこの文書の後半の、サマータイム制のメリットだとか効果だとかいった部分は大嘘ですので読む価値はありません。

 

確かに、北海道では夏至のあたりでは日の出の時間は4時前。普通の人が起きる時間は6時とすれば日の出から2時間は明るい時間を無駄にしていると思えば、1時間でも早くしようというのもわからないでもありません。

 

しかし、日本は東西にも南北にも長い。最初に書いたとおり、九州では夏至でも日の出は5時過ぎ。これを6時にされたら困る人も出てきます。

 

特に、農家の人たち。

こちらの農家は特に真夏などはあまりの猛暑に農作業は朝の早い時間に済ませてしまうことも多いようです。

ちょうど10年近く前に会社で一緒に働いている人が兼業農家の息子でした。

彼は朝4時前(こちらではまだ明るくなる前)から農作業を行ない、6時頃に上がってシャワーを浴び朝食を食べてから会社に出てきていました。

これを1時間早くされたら、農作業は不可能です。

 

 

また、サマータイム制度では朝の電力消費を抑えられるので省エネにつながるなどという根拠不明の説を流して導入を進めようという連中も見られました。

 

それもどうやらかなり怪しい話だったようで、それを分析された人が居ます。

 

https://www.time-j.net/uc/dst/

 

これによると、朝の照明用の電力は確かに減るにしても、夕方家に帰ってからまだ暑い時期では、家庭での冷房稼働が増加し、電力の総量としては決して減ることは無いということのようです。

 

なお、先ほどの環境庁の方の資料では、夕方の帰宅時が明るくなるので交通事故の危険も減るなどということも利点にあげていましたが、通学時の方はどうなるのでしょうか。

正に、何も考えていない議論そのものです。

 

この点では、さらに危険な問題点があります。

実はサマータイム制度を導入している国々では夏季時間は「半年間」です。

つまり、だいたい4月にサマータイムに移行し、10月に戻すということです。

 

4月始めなどでは、九州の日の出時間はまだ遅く、熊本市で4月1日で6時4分です。

これがサマータイムで1時間早められたら7時4分。すでに遠くの学校に通う小学生が登校を始める時間です。それが日の出直後の眩しい時間にされたら、交通事故もかえって増加する危険性大でしょう。

 

 

こういった危険性や矛盾点が薄々とでも広まったのでしょうか。

幸いなことに、サマータイム導入と言った馬鹿話も立ち消えになったかと思いきや。

東日本大震災後の電力不足対応とやらでまた息を吹き返しかけたようです。

 

再度強調しますが、エネルギー節約などといった効果は期待できません。逆に増える可能性もあります。

さらに、さまざまな社会への負荷も増加します。

これは特に西日本で顕著です。

こういった問題点があるにも関わらず、特に九州や沖縄の議員が積極的に否定しないのが不思議です。

まあ、元々頭を使わない人たちですから、何も気がついていないのでしょうが。

 

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1186「戦争をする国」への動き

(実はこの”賀茂川耕助のブログ”記事は最新のものではありません。6月2日に発表されているものですので、すでに10日経過しています。その内容は面白いものであり、当然ながらこちらでも読んだという記事を書いても良いところなのですが、あまりにもそれが政治的内容であるため、先に「政治的発言は控える」と宣言した手前、書きづらく感じていました。

しかし、やはり発言すべきところは言っていくべきと考えを改めようと思います。

そこで、賀茂川さんのこの記事から扱います。

注釈が長すぎました。では本文)

 

 

賀茂川さんのブログ記事は、「戦争をする国」への動きというもので、当然ながら改憲共謀罪法案などの政治の方向を取り扱っています。

 

kamogawakosuke.info

よく軍事力を持つのが普通の国などといった一見わかりやすい議論で誘導しようとされていますが、その実はアメリカの補完としての役割しか考えられておらず、とても自立した防衛力などというものにはなりません。

 

アメリカの姿勢は熟知している賀茂川さん(ビル・トッテンさんと言う方がわかりやすいか)ですから、建国以来延々と侵略を繰り返し、アメリカ西部から太平洋を越えたアジアまで手を伸ばしてきたアメリカの本性というものは今でも変わっていないことを骨身にしみて感じていることでしょう。

 

朝鮮戦争ベトナム戦争すら防衛のためと称して引き起こしたアメリカですから、集団的自衛権などと日本が言い出せば、今後はそういった性格の戦争にも引きずり込まれる可能性が強いということになります。

 

「国民も歴史をしっかりと学ぶ必要がある」という賀茂川さんの主張は間違いないものです。

 

 

 

ここで、一つ気になったものを思い出しました。

数日前の新聞の投書欄に、たしか中年男性であったと思いますが、投書をした人がいます。

彼は「自立した防衛力をつけることが独立国として当然のことだから改憲に賛成する」と書いていました。

ここまで浅はかな意見を堂々と(新聞投書欄ですから実名記載です)述べる愚劣さには恐れ入るほどですが、おそらく同様な意見を持っている人も多いということでしょう。

 

しかし、「自立した防衛力」どころか、アメリカ軍の弾除けに先陣させられることが明白な「集団的自衛戦争」をさせられるのが関の山ということは、件の投書の彼は夢にも思っていないことでしょう。

 

ここにも賀茂川さんの意見の「もう少し学んでくれ」ということが当てはまります。

 

すべての政治的状況についてこれは言えます。「もう少し学べ」そして「もう少し考えろ」です。

夢の話「南信州の駅から九州まで帰る」

今日見た夢はその理由もはっきりしており、不可解な点は少ないものの、現実の状況とは差があるので、それがどういった意識から由来するのかは我ながら興味深いところです。

 

 

夢の中では私は南信州の駅に居ます。

とはいっても、現実の飯田線飯田駅とは全く違い、どうも新宿や東京のような大ターミナルのようなところです。

 

南信州というのは、つい最近実家に行って弟と彼の地の親戚の話などをしたばかりですので、そちらの夢を見るというのも納得できます。

 

ただし、今回の夢の中では親戚を訪れたとか、何のために行ったかというところは触れず、なぜかもう九州の我が家に帰るという状況になっています。

 

 

駅で列車の時間を調べると、すぐに東京行きの列車が出るようです。

それに乗って、東京まで向かい、そこから東海道新幹線山陽新幹線九州新幹線を乗り継げば今日中には着けるかなと計算し、切符を買って乗り込もうとしています。

 

 

そこまでは夢の話。

しかし、現実では飯田線飯田駅から列車に乗っても東京までの直通列車は現在は存在せず、途中で中央線に乗り換え、そんなことをしても少なくとも5時間以上かかり、昼ごろに出発したら東京までたどり着くだけで夜になります。

 

そこから新幹線に乗り換えたら九州まで着くどころか広島あたりで泊まりになりそうです。

 

実際は、九州方面から飯田に向かう一番速い手段は、新幹線か飛行機で名古屋に向かい、名古屋から高速バスを利用するのが最良です。

 

ただし、今はまだ「夢の話」に近いのですが、リニア新幹線が開通すればその長野県内の駅は飯田周辺にできるということで、これなら名古屋までわずかの時間で出られるようになるでしょう。(おそらく数十分)

そうなったら昼に出発して九州までたどり着くことも十分可能です。

 

そんなわけで、今回の夢の話は実際に見た夢と、さらに現実に進行中の夢の話のカップリングでした。

「その前提が間違いです。」清水勝彦著

ビジネスのいろいろな側面でよく考えなければいけないとは言われますが、経営戦略が専門の著者から見ると、「そもそも議論の前提がおかしい」と言うことが多いようです。

 

前提がおかしい議論はいくら続けていても結論が出ません。

そこで、本書では「よく耳にする問題」を「組織」「人」「戦略」のテーマに分け、それぞれも問題の「前提」と「起点」について普通に考えられているものが妥当なのかどうかを掘り下げているということです。

 

ビジネスマンが思考の前提を間違えてしまうのは、(まあ人間としての総合力が備わっていないということは置いておいても)言葉が一人歩きしてしまい、分かったような気になるため、そして、生半可な経営学書籍などから得た知識に振り回されてしまうためだそうです。

(この本は違うんでしょう)

 

「前提」を変えて考えれば、「視点」や「行動」も変わっていきます。できれば正しい前提・起点を見出すべきだということです。

 

 いくつかの例を紹介します。

 

「仕事はできないくせに、社内政治ばかりに明け暮れてうまく立ち回る人がいる」

これは「仕事ができないくせに」というところがおかしいということです。

実は、いわゆる「仕事」が無能であっても、いや無能だからこそ社内政治というものに打ち込む人も居るということを認識しなければいけません。

正しい「前提」は、組織にはまったく考え方や価値観の異なる人が居るものだということです。それをしっかりと認識し注意して付き合う必要があります。

 

「トップは現場のことを知らなすぎる。もっと現場に足を運び現場の意見を聞くべきだ」

過去の現場体験だけで経営をしてしまうトップも危ないものです。

しかし、忙しい時間を割いて現場を歩いてもしょせんは「お客様」扱い、本当の意見など聞けるわけもありません。

正しい前提は、「組織のルールでは流れる情報は限られてしまう」ということです。

トップも現場も情報を「全部」知っているわけではないということを認識し、さらにそこから一歩進めてできるだけ情報を流すということが必要です。

 

 

「新しいことをしようとすると社内の抵抗にあって潰されてしまうことが多い。うちの会社はお先真っ暗だ」

組織には守るということが必要な場合もあります。

「新しいことを始める」ことが常に正しい結果をもたらすとは限りません。

場合によってはそれで組織が危機に陥ることもよくあることです。

正しい前提は「新しいアイデアには抵抗はなくてはならないもの」です。

抵抗があってもそれを乗り越えるだけの中味と真剣度がないような新しいアイデアはそれだけのものに過ぎません。それをさらに練り直すべきだということです。

 

なかなか面白いことが書いてありますが、これを実際に活かすのは極めて困難というイメージですがどうでしょう。

 

その前提が間違いです。 (講談社BIZ)

その前提が間違いです。 (講談社BIZ)

 

 

 

「ザ・対決 権力闘争の日本史」板垣英憲他著

歴史の中でいろいろな面を取り上げて並べたシリーズを出版元の世界文化社が企画しているようですが、その中で「日本の権力闘争」についてまとめたのが本書です。

 

政治権力を巡っての争いというのは古代から現代まで数限りなく行われてきました。

これが人間の変わらない本性なんでしょう。

この本では古代に蘇我氏物部氏の間で繰り広げられた崇仏論争から、つい最近まで起きていた自民党内の派閥闘争まで、38の政争を解説しています。

そのためか、執筆者も各時代ごとに別れており7名の方が分担しています。

表題に挙げた板垣さんは自民党派閥政争を書いている政治評論家ですし、その他にも静岡大名誉教授の小和田哲男さんも名を連ねています。

 

ほとんどが学校の日本史でも出てきたものですが、中にはそれ以外のものも含まれています。

古代の項では、藤原良房伴健岑橘逸勢を追い落とした承和の変源高明藤原北家に排除された安和の変は知りませんでした。

中世では、北条氏が支配権を確立するために比企氏を除いた比企氏の乱、三浦一族が葬られた宝治合戦安達泰盛一門が滅ぼされた霜月騒動など、鎌倉幕府も騒乱相次いでいたようです。

 

近世の対決を執筆した国際日本文化研究センター教授の笠谷和比古さんは、大坂の陣までの家康の統治姿勢について面白い見解を示しています。

関ヶ原合戦後に西軍に加わった大名の領地を630万石没収し恩賞として東軍大名に加増したのですが、その分布を見ると京都以西には徳川譜代大名は皆無であったということです。

これは家康が西国の直接支配をあえて抑制していると見るべきです。

その後、家康が征夷大将軍に任官し、一方豊臣秀頼は摂津など3カ国の一大名とされたというのがこれまでの歴史観ですが、実は秀頼は関白任官の準備が進められており、他の事例を見ても家康と秀頼の二重公儀制とも言える体制を目指していたとみられるそうです。

 

しかし、その後に家康が自らの寿命を認識し、このまま死没すれば息子秀忠についてくる大名がどれほど居るかということを考えて恐怖にかられ、豊臣を滅ぼすことにしたということです。

 

最後の自民党派閥抗争の話も興味深いものですが、小沢一郎橋本龍太郎の「一龍戦争」を最後にもはや派閥の力も失われてしまったようです。

派閥抗争に明け暮れるというのも困ったものですが、それすらできなくなった一強独裁の政党がどうなるのでしょうか。

 

 

ザ・対決 権力闘争の日本史 (事件と人物 知るほど歴史は面白い)

ザ・対決 権力闘争の日本史 (事件と人物 知るほど歴史は面白い)