著者の安富さんは東京大学東洋文化研究所教授ですが、経済学博士であり、「東大話法」という言葉を編み出した方のようです。
また、最近自ら女装を選択したということで、一筋縄ではいかない人だということが分かります。
この本も、満洲国という多くの人に災難をもたらした存在を歴史的に振り返るというにはとどまらないものを含んだ内容となっています。
とは言え、もちろん歴史事実の発掘ということは十分に調査研究をされているようで、そこら辺の記述は詳細なものとなっています。
本書冒頭に描かれているように、「満洲のイメージ」と言われれば「どこまでも続く地平線、果てしなく広がる大豆畑」でしょう。
私もその通りのイメージを持っていました。
しかし、この地は清朝を建てた満洲族の故地であったために、清の時代には開発が厳しく制限されていて、清朝盛期には移住や耕作といった開発は禁止されていました。
したがって、その当時の満洲の地は実は「樹齢500年を越える大木の大森林や広大な湿地帯、草原など多様な自然が残る動植物のユートピア」だったそうです。
1905年の日露戦争で戦った日本軍の記録にも当地にはまだ森が残り豹が出たというものがあったのですが、その後の1930年代に日本からの満洲開拓団が入った頃には森林は消え去り山は禿山となっていました。
つまり、わずか20年たらずでこのような大規模な森林伐採、自然破壊が行われたのです。
1895年に日清戦争の結果日本が遼東半島を獲得したのに対し、ドイツ・ロシア・フランスが異議を唱えて戻させたのが、「三国干渉」ですが、その代償としてロシアが清から獲得したのが、満洲を通りウラジオストクと旅順までの「東清鉄道」の敷設権でした。
シベリア鉄道の途中から別れてハルビンを通るというものでしたが、これを1905年に日露戦争の一応の勝利の代償として、ハルビン以南の路線を日本が獲得しました。
ここに日本が設立したのが、「南満州鉄道株式会社」いわゆる「満鉄」です。
それまでに、ロシアの東清鉄道では木材の薪を炊いて列車を走らせていましたのですでに相当の森林を伐採していましたが、満鉄になり各地に支線を伸ばすことでさらに森林を切り開いていきました。
そして、そこに大豆を栽培する農家が大量に入植し、生産物の大豆を満鉄で輸送するという社会が急速に出来上がっていったそうです。
こういった社会は伝統的な中国の農村社会と異なり、単純構造でした。そのために日本からの植民地化の進展においても、中心地の政権を押さえれば後は楽に進行するということができたため、比較的容易に進んだようです。
実はこのことが、その後に華北地方に侵攻した日本軍が満洲とまったく異なる社会であることに気付かずに苦戦をする伏線にもなっています。
こういった満洲と華北の社会構造の違いということにも意識が向かないままの戦略だったのでしょう。
満洲においては、馬賊あがりの張作霖が軍閥政権を作っていましたが、強固な政権というわけにも行かないままだったので、日本の関東軍が取って代わるということも容易でした。
そこで満州事変を起こし、さらに満洲国を作り上げてしまいます。
1931年9月、奉天郊外の柳条湖で爆発が起き、それを口実に関東軍は一気の進軍で中国軍を追い払いました。
これは板垣征四郎、石原莞爾らの謀略であることが後に判明し、さらに林銑十郎の朝鮮軍が独断で参戦します。これらの軍規違反は軍法会議で厳しく追求すべきものでしたが、勝利したということでまったくお咎めなし、さらに賞賛するという国内の反応でした。
このように、「原則に固執せず、既成事実に弱いというのが日本人全般の特徴だ」というのが著者の恩師の森嶋通夫氏が繰り返し言っていたことだそうです。
逆に、原則に固執する人を毛嫌いする傾向があります。これが、戦争を引き起こした日本人の性癖だろうとも語っていました。
こういった特徴は福島原発事故時にもみられたということで、著者が「東大話法」を取り上げたのはその点についての危惧からだそうです。
こうやって成立した満洲国ですが、このわずかな歴史の裏には「大豆・総力戦・立場主義」があるということです。
満洲大豆は日本にも大量に運ばれます。これは大豆粕として畑に入れる肥料にしました。
つまり、長年積み重ねてきた満洲の森林の肥沃な有機物が大豆に形を変えて日本の大地を潤したことになります。
さらに、満洲大豆は日露戦争後にはヨーロッパにも運ばれました。
ドイツで発展した化学工業の原料に大豆油が大きな役割を果たしたそうです。
総力戦という言葉は、第一次世界大戦から使われました。
しかし、著者によればこの「total war」 の訳語としての「総力戦」は誤訳であり、「すべてを包括する戦争」とすべきでした。
総力戦と訳したために、「すべてをつぎ込めば勝てる」かのような幻想を生み出したのではないかということです。
そうではなく、「国のすべてを巻き込む戦争」と考えるべきでした。
前述の石原莞爾もこれからの戦争は総力戦になることをはっきりと認識していました。
そして、総力戦となればアメリカなどと戦って勝てるわけがないことも理解していました。
しかし、彼らがその対策として考えたのは、「全中国を占領して国力を上げる」ことだったそうです。まったくの妄想というものでした。
なお、他の軍人が考えたのも「総力戦になると勝てないので、短期決戦に持ち込む」といった誤った観念でした。
「勝てないので戦わない」というのが唯一の正解だったのですが。
もう一つの「立場主義」というものが、著者がこの本で一番書きたかったことのようです。
日本は個人主義の国であるか、家制度の残る封建主義の国であるかと考えると、もちろん個人主義であるはずもありませんが、実は家制度というものも明治時代以降どんどんと崩壊していっており、とてもそれが支配するような国ではないと言えます。
それならば、日本はどうやって成り立っているかというと、それが「立場主義」だということです。
日本人の行動を支配するのは、その各人の「立場」であるということです。
著者はこの国を「日本立場主義人民共和国」と呼んでいますが、その「立場主義三原則」は次のとおりです。
前文 「役」を果たせば「立場」が守られる
第1条 「役」をはたすためには何でもしなければならない
第2条 「立場」を守るためなら何をしても良い
第3条 他人の「立場」を脅かしてはならない
結局、大戦時には陸海軍ともに自分自身の「立場」の暴走を止められませんでした。
STAP細胞事件も取り上げられています。
結局、理研は小保方晴子さんを辞めさせることすらできませんでした。(依願退職)
もし辞めさせるとなると、彼女を雇った人、一緒に研究した人、管理職などの人々の「立場」が無くなるからと見ています。
このように、満洲は「立場主義」の暴走で破滅しました。
しかし、著者の見る所、現在の日本もまさに「満洲国」同様の状況にあるようです。