著者の藤岡さんはコルトレーン研究者と名乗っていますが、検索してみるとどうやら「世界的研究者」のようです。
そのような藤岡さんは、2007年にも「ザ・ジョン・コルトレーン・リファレンス」という本も出版され、好評であったそうですが、今回はさらに全米の資料館、図書館の調査、コルトレーンの親類縁者へインタビューも新たに実施し、新たなコルトレーン像を打ち立てようとしたそうです。
そして、それは最晩年の名曲「至上の愛」、有名な発言の「私は聖者になりたい」という言葉の真の意味も初めて解明し本書に盛り込むことができたということです。
ジョン・コルトレーンはジャズサックス奏者ですが、亡くなった1967年からはもう50年経ちます。
しかし、今でもやはりジャズの巨人であり続けているように感じられます。
本書は、彼の亡くなる前年の日本公演の描写から始まります。
東京・大阪での公演のあと、広島、長崎でもコンサートを行っています。
非常に厳しいスケジュールの中、今よりはるかに時間のかかる移動をしてもあえて広島長崎の訪問を選んだのはコルトレーン本人の希望があったようです。
ただし、その時期にはすでにコルトレーンの音楽は常人では計り知れないところまで進んでいたようで、演奏曲目としては「至上の愛」や「インプレッションズ」などの代表曲も挙げられていたにも関わらず、実際のコンサートではその一曲も演奏されず、何がやられているのか聴衆は分からなかったそうです。
その後は、伝記の常法にのっとって生い立ちから成長、音楽との出会い、デビュー等々が続いて描かれています。
同年齢ながらすでにかなりの業績を挙げていたマイルズ・デイヴィスによって、コルトレーンは見出されますが、麻薬中毒のために辞めさせられることになります。
その後悔があったようで、コルトレーンはその後麻薬からは足を洗い、さらに独自の音楽を作り出していくことになります。
その後、ジャイアントステップやマイ・フェイバリット・シングスなどの名曲を送り出し、ジャズの巨人としての名声を確立するのですが、本人はさらに奥深く突き進んでしまいます。
なお、この時期の曲ではテナーサックスからソプラノサックスに持ち替えて吹いているものが多いのですが、それについての記述で本書p106に「ソプラノサックスは、テナーサックスと同じEフラットキーであるため、持ち替えても吹きやすい」とあります。
ここは何かの勘違いでしょうか。これは「Bフラットキー」であると思います。
Eフラット楽器は、アルトサックス、バリトンサックス等のはずです。
この時期に発売されたレコードに「バラード」があります。(1961年)
発売時の評価では賛否ばらばらで、けなす評論家も多かったようですが、現在でも「究極のバラード」と絶賛されるものです。
実は、私が昔購入したコルトレーンのLPはこれだけでした。
マイルズのレコードでコルトレーン参加のものは何枚か持っていますが、結局彼の名義のレコードは他には買えませんでした。
今は、ネットでフリーで聞くこともできますが、昔はレコードも高価でなかなか買えなかったものです。
彼が亡くなった1967年はアメリカがベトナム戦争の泥沼に入り込み、他にも数々の戦乱があった頃です。
世界の平和を望んでいたコルトレーンは音楽で平和をもたらしたいという希望を持っていました。
それが、「私は聖者になりたい」という言葉にあらわれていたというのが、著者の辿り着いた結論でした。
なお、コルトレーンの死んだ1967年は、またビートルズが爆発的に広がり、他にもロックミュージシャンが出現しだすという時期でもありました。
それまでのジャズブームがそれからはロックに押され続ける時代になります。
コルトレーンが生きていてもそれは止められなかったかもしれません。