爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ネットいじめはなぜ『痛い』のか」 原清治、山内乾史編著

学校などでのイジメ横行には歯止めがかからず、イジメ被害者の自殺により明るみに出るといった事例が頻発しています。

 

まあ、日本では大人社会というもの自体が大変な「イジメ社会」ですので、子供ばかりが是正されるはずもないのですが。

 

しかし、最近のイジメには、ネットを利用した「ネットいじめ」なるものも出現し、それがこれまでの一般に知られているようなイジメとはまた違う側面を持ったもののようです。

こういった昨今のイジメ事情について、教育学者の編者の原さん、山内さんのほか教育学者や教員などといった著者陣により現場の事情についての報告がまとめられています。

ただし、各著者の研究方向により若干統一性がない面もありますが、それも各地のそれぞれの事情に差があるということなのでしょう。

 

本書主題は「ネット」を頻繁に利用している現代の子供たちの中で「ネット」に深く関わるイジメ事情ということなのですが、その前に一般論として「現代のイジメ」についても書かれています。

そこには、我等のような中高年層が忘れがちな事情も指摘されています。

かつての「学校でのイジメのイメージ」と、現代のイジメとはかなり変化があり、それを認識していない大人たちの発言には現代の事情とは噛み合わないものが多いということです。

 

以前(15年以上前)のイジメというものは、クラスで誰とも親しくなく、いつも一人で座っている子供をクラス全員が集中して攻撃するようなものが主流だったそうです。

したがって、教員からも発見することが容易であり、教員が上手く働きかければ解決といったものが多かったということです。

しかし、現代のイジメは一見して「仲良しグループ」と見える数人の子供たちの中でイジメの対象を作り出して行なわれます。

そのため、教員から分かりにくく、「仲良くしている」という認識でしかないのにその内部では深いイジメに発展しているということが多いとか。

 

これは、子供たち自身が「いじめ問題」というものをはっきりと認識しており、そういった摘発を避けるために巧妙に偽装・隠蔽しているということでもあります。

したがって、そう簡単に見抜けるはずもないわけです。

かつてのイジメ事件のイメージしか持てない大人たちは、イジメ自殺事件が発生するたびに教員や周囲の大人が気づけなかったとして批判しがちですが、実際には間近に居ても分からないということが多いようです。

 

そのような子供たちの友人関係というものの変質に加えて、急激に発達したネットというものにより出来上がってきた「ネット社会」の中で発生する「ネットいじめ」というものは、子供たちがすでに「ネットネイティブ」という立場であるのに、新たにネットに参入してきた大人たち「ネットイミグラント」などがすぐに理解できるものではなくなっているということです。

 

ネットネイティブの子供たちとは言え、ネットでの匿名性というものの認識は甘く、警察が本気で捜査すればすぐに分かってしまうとは思わずに悪口の書き込みや、もっとひどい場合は犯罪になる行為をしてしまいます。

それを受けるのは、実は学校で親しくしているように見える友人からであるということで、被害者はさらに傷つくのがネットいじめというものです。

匿名であるために、誰にそのような批判の書き込みをされているのか、分からないのですが、学校で友人との付き合いの中での出来事など秘密のことも明かされるなど、悪口の出処が分からないままさらに批判されるなど、被害者の苦痛を大きくしてしまいます。

 

なお、このような事件が明らかになると、教員や親などはその加害者探しに走りがちですが、現代の子供たちは「なりすましメール」などは簡単に行うことができるので、本当の加害者に至らずに使われただけの名前に引っかかるということが多いようです。

 

ケータイ化が進み、常時接続というものが当たり前になってくると、授業中でも自宅でも常にケータイを見てメールが来ないかをチェックしなければならないという状態になってしまいました。

風呂に入っている時にも見なければという強迫感から、完全防水のケータイを求めるという傾向も強くなったとか。

それでメール着信から15分以内に返信しなければイジメられるという「15分ルール」なるものもできてしまいます。

家庭の教育も重要なところで、食卓でもケータイをチラチラと見ると言ったことが起きているとすでにそういった状態に陥っている可能性があります。

これは家庭のルールとして「食卓ではケータイを見ない」ということを決めれば回避できる可能性もありますが、「もしも子供に守らせたければ親も破ってはいけない」ということができない親も増えているそうです。

 

こういった状態を「ネット依存症」という場合もありますが、そう名付けたところで解決の見通しはなく、別の解決法が必要となるところです。

 

少し前の本ですが、現場の最新の状況が分かるものです。

それにしても、イジメの状況も子供のネット社会の状況も、自分は何も知らなかったのだということが再認識されました。

 

ネットいじめはなぜ「痛い」のか

ネットいじめはなぜ「痛い」のか