一応、日本の称する終戦の日(これについても色々の議論があるそうですが)となり、戦争で辛い思いをされた方々についての報道など、例年通りにこの時期だけ満載です。
これについては、2年前にも記事を書きました。
簡単に「戦争をしてはいけない」なんて言っちゃって、大丈夫なのという思いでしたが、それは2年経ちさらに強くなりました。
明日にでも北朝鮮のミサイルが落下してくるかのような宣伝があちこちに流されています。
それに対して、防衛網構築と言う動きも強くなっていますが、これは一歩違えば敵基地攻撃と言う問題につながってきます。
もしも東京などにミサイルが命中すれば反撃をするということに抵抗を感じる人は少ないでしょう。
アメリカ軍がミサイルで反撃するかどうかは別として、日本の自衛隊も必ず行動を起こすでしょう。
しかし、「東京に命中」なら反撃に同意する人が多いでしょうが、東京落下途中に防衛ミサイルで撃墜できた場合はどうでしょう。
これでも反撃するでしょうか。
「相模湾沖の太平洋にポッチャン」ならどうでしょう。
どうしても「戦争をしてはいけない」と言う思いが強いのならば、現在の北朝鮮とアメリカに言うべき言葉は数々あるはずです。
それをせずにただ制裁強化というでけでは北朝鮮を追い込んでいくだけです。
もしも、北朝鮮が「核武装国家として名誉ある処遇を受けたい」というのなら、それを飲んででも関係改善をはかるという道もあるはずです。
今のアメリカやそれに追随する日本の外交は戦争をしないという方向とは全く逆のようです。
外交の場でも、絶対に戦争を避けたいのならば「我慢に我慢を重ねて」行かなければなりません。
中国の春秋時代、晋の国を分割して領有していた趙の趙鞅は嫡子を廃し、妾腹で卑しい生まれの子どもの無恤を後継としました。その際に「よく社稷のために恥を忍ばん」(淮南子)と語ったそうです。
つまり、どれだけ侮辱され辱められようが、簡単に怒るようでは国を守っていけないということです。
国会の議論程度ですぐにカッとなるようでは全く不適任ということでしょう。
歴史に学ぶのは当然すぎるほど当然の態度であり、完全に誤った道をたどった満州事変から日中戦争、太平洋戦争への課程をよく学び、どうすればよかったのかをきちんと総括し国民全体で共有するというのが必要なことでした。
しかし、これまでそういったまともな対応をしたことがあったでしょうか。
「戦争はいけない」というのなら、なぜ戦争に向かっていったのか、国民はどのような態度を取ったのか、そういったことを思わねばならないのに、すでにそういったことを知っていた人たちはほとんど記憶を抱えたまま鬼籍に入ってしまいました。
わずかに残った人々は幼くして戦争の災禍にあった被害者だけです。
今から見直すのは非常に難しいことです。しかしいつかはやらなければならないことでしょう。