爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「NHK 危機に立つ公共放送」松田浩著

この本を読んでいるとたまらない不快感がこみ上げてきました。もちろん、著者の松田さんに対してではなく、そこに書かれている”公共放送”NHKに対する政府自民党の執拗な絶え間のない攻撃に対してのものです。
本書は約10年前に最初の原稿を書いたのですが、それは「ETV番組改変事件」と言うものにより危機感を覚えてのことでした。しかし、その事件が徐々に押しまくられるように不当な方向に向けられる中で、当時の一方の主役の官房副長官が現在は首相として返り咲くに至り、さらにNHKに対する圧力が公然と強力に掛けられるなかで、さらに危機感を大きくして「新版」としてかなりの部分を加筆し2014年12月に出版されました。
それから半年あまり、あのような言語道断の発言を繰り返す会長もそのまま居座っており、それに対してのマスコミの批判もほとんど見られなくなっています。著者の持った危機感というものはまさに現実の危機となり日本を覆っているようです。

2014年1月に安倍首相が送り込んだ「お友達」籾井は数々のトンでも発言を繰り返し、大きな問題となりました。3月にはイギリスのBBCで「日本の公共放送は脅威にさらされているのか」と言う特集番組まで放映されました。これだけでも世界的な物笑いの種ですが、この点について日本では詳しく報道されていなかったようです。私もBBC放送は知りませんでした。
言うだけ徒労感が湧いてきますが、公共放送というものがどのようなものであるべきかと言うことをこの会長は全く考え違いをしているようです。イギリスのBBC元会長のダイク氏は「公共放送にとって重要なのは政治家を監視することだ。そのために公共放送は政府から独立していなければならない」と語っているそうです。日本の関係者の放送についての意見と大きく異なっています。
籾井問題の大きな点は、その発言がNHKの信頼性を大きく損なっているというだけではなく、公共放送の生命である「自主・自律」が根底から脅かされていることにあります。
しかし、日本でも一応放送の自由と独立は原則として認められています。それがなぜこのような事態になったのかと言う経過が皆が知っておくべきことであるということでしょう。

元来はNHKは放送の自由を保障され、政府からの独立を配慮されていたはずです。しかし、その独立性を空洞化し政治権力からの介入が常態化していったのには歴史的な経過があります。
戦後の初期には放送の独立を保障するために「電波監理委員会」と言う制度が作られました。しかし、これはその2年足らずの後には吉田茂内閣により廃止され、電波行政権は政府が持つことになりました。
その結果、NHKの予算案についても国会に提出する前に政府の検閲を受けさせるという、放送法には定められていない手順を認めさせることになりました。これでNHKは財政的に政府の支配下に完全に置かれたことになりました。これが1950年代後半から1960年代にかけて徐々に進行してきました。
人事権ももともと政府が経営委員の任命権を握っているという状況にありましたが、それでも良識派の存在は大きかったものの、人事を巡る紛争は常に起こってきました。しかし、それが圧倒的に崩れてしまったのがやはり第1次安倍政権になってからということです。

その大きな現れが2001年に起こった「ETV番組改変事件」です。戦時の性暴力について取り上げようとしたのに対し、事前にその情報を得た政府の当時の官房副長官安倍晋三らが番組の改変を強要し、結局跡形もないようなものに作り変えられてしまいました。これに対し取材に協力した市民組織などから訴訟が起こされたものです。
しかし、裁判の経過も複雑なものとなり、さらに当時すでにマスコミの中にも政権にすり寄る勢力が増えていたためもあり、なし崩し的に政府統制強化に向いてしまいました。

その後、強制的なデジタル化という事件が起こっても、それを批判する勢力もほとんどないままに、全国民に受像機買い替えと言うことを強制させることになりました。放送というものの価値よりも受像機の買い替え需要喚起と言うものを優先したというものです。まあそれで喜んだ受像機メーカーがその後没落したのは偶然ではなかったのかもしれませんが。

インターネットにほぼ全国民が接続できる時代となり、放送と言うものの重みもなくなったかのように見られる時代ですが、著者によればこのような時だからこそ「公共放送」の存在価値はこれまでにないほど上がってくるということです。これは、すでに多くの人が実感しているようにネット情報というものはほとんどが石ころだらけの「玉石混交」状態であり、その中で信頼できる情報と言うものを確認できる「公共放送」というものが無ければならないからだということです。
そのような状況下で肝心の「公共放送」NHKが政府の御用機関となっていたらどうでしょう。どこにも信頼できる情報が無いまま漂うばかりになってしまいそうです。
著者の提言は、独立通信・放送制度の確立、NHK人事の選任システムの改革、等を実施し、本当の「公共放送」として信頼できる放送局となってほしいというものです。
しかし、どうも現実はそれとはまったく逆方向に進んでしまっているようです。