東日本大震災とそれに続く福島第1原発事故の記憶はまだ新しいものですが、その時のテレビや新聞の報道というものも印象に残っているものです。
津波が押し寄せている映像や、原発が爆発しているところなど、多くの記憶がありますが、しかしメディアの報道というものがあれで良かったのかという思いも誰でも持っているのかもしれません。
そういった思いは、社会情報学などがご専門の大学教授の遠藤さんも同様であったようで、地震直後からしばらくの間のメディアの報道について詳細に収集し、解析されました。
メディアには大手のテレビ、新聞は言うに及ばず、地方新聞社も含み、さらにネットメディアの状況も調査しまとめてあります。
テレビの報道の地震直後のものや、原発爆発後のものなど、分刻みでどういった映像が流され、どいった言葉が語られたかまで記されていますので、当時それを見た覚えがあれば記憶が蘇るかもしれません。
3月11日の地震発生直後には、東京キー局は東京周辺でもかなりの揺れがあり、地震の最大の被災地がどこかということも正確にはつかめなかったために、報道も東京周辺のものが多かったようです。
しかし、すぐに東北地方が中心であることが分かり、さらに大津波が押し寄せるということになったのですが、映像は東北のものが間に合わず、ようやく夜に入って放送することができたのですが、録画画像が主となりました。
その間、ライブ映像は首都圏のものが多かったようです。
なお、特に被災地では放送設備の被害やさらに電力供給遮断などでマスメディアに触れることができなくなった地域が多かったのですが、その間を埋めるべくネットメディアが健闘したそうです。
そこで、テレビ放送の画像をそのままUstreamなどで配信するということが行われました。
これは、通常時には著作権侵害にあたるために滅多なことでは許可されないのですが、緊急時であることからNHKは担当者が独断で許可し、それがネットで広まったということです。
その後、民放各局の放送も問題なく配信することができるようになり、ニュース映像が行き渡ったということです。
原発事故報道は、地震からは少し遅れて始まったのですが、最初は被害の大きさを隠すようなものであったり、かなりの混乱を見せました。
これは、戦後日本を支えてきた科学技術に対する信頼が一気に崩れ、皆が落胆が大きかったことによるものです。
その中で、原発1号機の爆発の瞬間というものが、福島中央テレビのカメラだけがとらえることができました。
これは原発の近くではカメラの使用ができなくなることから、2000年に離れた地域にカメラを設置したということですが、それでもカメラコントロールは不能となってしまい、たまたま動かなくなったカメラが1号機の方を向いていたので映像が取れたそうです。
しかし、それがどのような種類の爆発なのかは局側も判断できませんでした。
それが原子炉の爆発なのか、周辺機器の爆発かもしれず、そこでこの映像を放送してよいのかという躊躇はあったようですが、それでも放送することを選んだそうです。
地震・事故の後、しばらく経ってからはドキュメンタリーの放送ということも行われるようになりました。
全体としては放射能汚染の問題がもっとも多く取り上げられているのですが、そこにはNHKと民放各局で傾向の違いが見られるそうです。
NHKは汚染地図の作成や食の安全性など、マクロな様相に着目するのに対し、民放では被災地や被災者に寄り添うという形の番組が作られる傾向が強いそうです。
また、NHKに多い「原因究明」や「エネルギー問題」といったテーマのものは民放にはほとんど見られないようです。
原発事故を受けて、ヨーロッパ各国では原発廃止を政府が打ち出したり、選挙でそれをうたう政党が善戦したりと言ったことが起きたのですが、日本では各種選挙でそれとは違う様相を見せました。
地震直後の4月に統一地方選挙が行われたのですが、脱原発を掲げる候補者、政党は議席を伸ばすことはできませんでした。
この本は2012年1月の出版ですので、そこまでの状況しか記されていませんが、その後もご存知の通りです。
メディアは大震災・原発事故をどう語ったか─報道・ネット・ドキュメンタリーを検証する
- 作者: 遠藤薫
- 出版社/メーカー: 東京電機大学出版局
- 発売日: 2012/03/10
- メディア: 単行本
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この地震の時には北陸で勤務していたので、自分自身が身をもって感じたというものはほとんど無かったのですが、テレビでの津波の映像には衝撃を受けました。
このように、他の地方の人が見るニュースと現地の人が必要とするニュースとはまったく違うでしょう。
本書の中にある、石巻日々新聞の「壁新聞」というのは知りませんでした。
これは世界的に話題となり、現物がアメリカワシントンの新聞博物館に永久展示されるようになったということです。新聞社冥利に尽きるというところでしょうか。