爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

幼い頃の記憶 本当かどうかわからないけれど

「偽りの記憶」と言う本を読んだのですが、人が幼時の記憶として持っているものは結構怪しいものが多く、のちに作られたものも混じっているようです。
私自身もおそらく3-4歳頃からのことと思われる記憶がありますが、これも本当のものか、あとから親や親戚などとの会話で作られたものか、よく考えてみると疑問があります。

父が転勤が多い職業だったため、定年間際に落ち着くまでは長くて3年で転居するような状態でした。そのため、記憶として残っているものもその場所に特有であれば、ある程度はっきりと年代が特定できるという利点(?)があります。
出生から2歳まで 埼玉県浦和市 ここの記憶は全くありません。
2歳から4歳まで 名古屋市千種区城山 ここの記憶がうっすらとあるのですが、これがどうも怪しいものです。当時の家の中の様子や、近くの寺院(覚王山)への参拝の様子。東山動植物園平和公園への散策など。確かに覚えているのですが、実はあとから作られた記憶かもしれません。
母に連れられて映画館に行ったというのもここの記憶かもしれません。次の大久手時代に家にテレビが入り、その後は子供用映画を見に行くことはあっても大人用の映画を見には行かなくなりましたので、行ったとすればこの時代です。
4歳から7歳まで 名古屋市千種区久手 ここは幼稚園から小学校入学ですので、ある程度はさまざまなエピソードが記憶されています。幼稚園の様子、小学校入学前後、友達との遊びなど、また父母に連れられてあちこちに出かけた様子の記憶もあります。ただし、近くの市場で買い物の途中に迷子になったというのもあるのですが、これはフォールスメモリーとしてできやすいものらしく、実際は無かったけれどそう覚えている例が多数あるそうです。
ちょっと普通ではないような体験では、父の仕事の関係でなぜか名古屋港に入港した貨物船を見に行ったということがあります。はしけのような船に乗り貨物船に近づくと外国人の船員がぎょろっとにらんだというものですが、これも怪しい記憶ですがもはや確かめる術はありません。
また、伊勢湾台風が来襲したのもこの時期ですが、細かいところは記憶がないのですが台風一過の翌朝に家の外を見ると板塀がすべて倒れていたというのは鮮明な記憶です。
8歳以降、福岡に3年、東京に1年半、神奈川県には10年と続きますが、ここまで来ると記憶はかなり鮮明でありまあ間違いはないでしょう。

年代がはっきりしないものでは、長野の母の実家に夏に遊びに行き、田んぼの用水で叔父さんたちと一緒に小魚取りをしたというものがあります。この年代ははっきりしないと言っても昭和36年(1961年)以前であることは間違いないようです。実は36年9月にあの地方には大水害があり、それ以降は特に天竜川の河原と同じ高さの田んぼ周辺の風景は全く変わってしまいました。小魚を取るような小川は無くなってしまったのでそれ以前である(つまり6歳よりは前)ということです。
また、長野の実家についての記憶では、家の中に稲の籾殻を入れてある部屋があったのですが、そこに間違えて落ちてしまい体中籾殻だらけとなって親に怒られたというものがあります。これも非常に怪しい。とはいえそこの家も私が10歳の頃には改築してしまい、昔の部屋の構造は残っておらず記憶だけです。

フォールスメモリーがあるといっても、それ自体特に悪いことではないのかもしれません。父母や年上の親戚、近所のおじさんおばさんなどが「お前の小さい頃はこんなことが」といって話をしてくれるということは、得難い体験です。それで偽記憶ができるのであれば、仕方のないことかもしれません。