著者は研究者ではなく出版社で編集の仕事をしていたそうですが、列子の面白さに惹かれこれを書いてくれる人が居ないかと探したものの専門家は誰も応えてくれず、それならと自分で書いてしまったと言うことです。
列子は実在が疑われてもいますが、諸子百家の中でも老荘に近いものと考えられていますが、その語り口が非常に面白いと言うことです。
列子の中でよく知られているのは、杞憂や朝三暮四といった言葉ですが、朝三暮四などは荘子にも同様の事柄が取り上げられているものの、物語性ははるかに列子が勝っており文句無く面白いということです。
このようなことから、列子が書として成立したのははるか後の時代であろうという推定にもなるわけですが、そのために列子自体の実存性も怪しくなってきてはいます。
それでもまあ読んで面白いということは、それだけでも得がたい利点かもしれません。とは言っても原本を読むのはきついかも。