中国の周王朝の時代の後半は秦や斉など大きく成長した列国が競い合う中で、諸子百家と呼ばれる思想家たちが活躍します。
その中で、「名家」と呼ばれる一群の人々がいました。
彼らは、言語哲学とも言うべき論を展開しますが、それは詭弁とも捉えられるものでした。
名家の中でも有名なのが公孫龍です。
この名は歴史の教科書にも出てくるはずですが、彼が唱えたと言われる「白馬非馬説」というものは知られていますが、公孫龍自体の伝記はそれほど伝わっていません。
史書や他の思想書などに登場するのは、趙の平原君の食客であったことや、燕の昭王に自論を説いたということ程度です。
そこに宮城谷さんは大きく創造を加えてその生涯を描きます。
(以下は完全なネタバレ、小説のあらすじを紹介するのはできるだけ控えていますが、これを書かなければまったく書くことがありません)
何と、宮城谷さんは公孫龍を周王朝の王子であったとしています。
とはいえ、生母はすでに死に、現在の寵姫は自分の子を周の跡取りにしようと陰謀を巡らし、公孫龍(この時はまだ王子稜)を燕の国に派遣し、その国で殺させようとします。
その密書を偶然中身を開くことになり、主人公は使者の役を捨てて逐電、そして趙の国の公子何(のちの趙の恵文王)公子勝(のちの平原君)の命を救い、さらに燕に入り昭王の厚遇を受けるという大活躍をするというものです。
史実からはかなり離れるのでしょうが、かといって全くこの可能性が無かったかというとそうでもない。
司馬遷の史記などの史書に描かれていることも、史実そのものでは無かったという話です。
それなら、自由に面白く描くというのも一つの楽しみかもしれません。
本書はまだ第一巻青龍編、このあとが楽しみです。