爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「依存症臨床論」信田さよ子著

「依存症」といってもいろいろなものに対しての依存というものがあるようで、最近では「ギャンブル依存」というものが、カジノ法案審理の際に問題となりました。

 

この本では、「アルコール依存」を主に扱っています。

著者の信田さんは、アルコール依存症というものが治療の対象として見られるようになったごく初期から、関わってこられた方です。

医師ではなく、心理職として精神科病院に入り、しばらく治療に加わった後に、独立してカウンセラーとして開業しました。

 

アルコール中毒と言われて、あまり治療もされないまま精神病院に入院しているだけのような状態であったアルコール依存症患者に対し、医師や心理職の人々が取り組もうとしだしたのは、1960年代になってのことだったそうです。

とはいえ、酒の忌避剤というものはあったとは言え、依存症そのものを治療する薬剤もなく、治療方法というものも無い中で、断酒と言うことをやっていくということは、医師だけでできることではなく、その他のスタッフや患者の家族なども巻き込んでもものとしていかなければならないものでした。

 

精神科医療の世界では「コメディカルスタッフ」という言葉がよく使われており、看護師や薬剤師は別として、ソーシャルワーカー心理療法士、作業療法士といった人々が診療に関わっています。

その中で、「心理職」と言う人々はまだ国家資格となっていないそうです。

しかし、患者自らの意志として断酒会に参加してアルコール依存から脱却するためには医師だけでは不可能といえるもので、多くの人々が支える必要がありそうです。

 

アルコール依存症というものに長く関わってきた著者が、それを取り巻く多くのものについて書いたという、重い内容の本ですが、著者がその仕事を始めた40年前と比べて現在は状況が改善されているのでしょうか。

まだまだのようにも見えます。

 

依存症臨床論

依存症臨床論

 

 

「洗脳の世界」キャスリーン・テイラー著

「洗脳」と言う言葉が生まれたのは、朝鮮戦争の時でした。

もちろん、同様の事例はそれ以前にもいくらでも存在したのでしょうが。

 

国連軍の主力として参戦したアメリカ軍の兵士の中には戦闘中に捕虜になり、その後捕虜交換等で帰国した時にはまるで根っからの共産主義者のように毛沢東を賛美しアメリカを批判するという者が見られました。

 

このような事態がなぜ起きたのか、それを調べていく内に中国軍の捕虜収容所で「洗脳」ということが行われているということが分かりました。

英語で「Brain washing」と言いますが、これは中国語の「洗脳」の直訳でした。

 

中国軍では捕虜に対して拷問とともに教育や思想改造などを効率的に組み合わせ、彼らの望むように捕虜のアメリカ人の思考を変化させるということが行われていました。

 

洗脳、あるいはマインドコントロールと言うことが問題となるのは、その後も数多くの事件とともに明らかになりました。

カルト宗教の場合もそういった事例が頻発しています。

 

チャールズ・マンソンが立ち上げたカルト集団は富豪の娘のパトリシア・ハーストを誘拐しましたが、その数ヶ月後にはパトリシアはマンソンの信者たちと一緒にシャロン・テートなどを襲い殺害するという事件を起こしました。

パトリシアが洗脳されていたと裁判の弁護士は主張しましたが、それは認められませんでした。

 

ジョージ・オーウェルSF小説、「1984年」はこのような洗脳が社会の隅々まで行き渡っているという状況を描き表していました。そのような社会がいつかは来る可能性があるということを読者もみな共有できました。

 

本書著者のテイラーは脳科学者ですので、そういった洗脳の事例の紹介だけでなく、脳の機能や神経科学の概要まで詳細に説明しています。

ただし、その部分はやや一般読者には難解かもしれません。

 

洗脳と言うことが無くても、人間の心理や意識は徐々に変わっていくもののようです。

それをうまく利用して都合の良いように変えてしまうと言うことができるのでしょう。

洗脳というと、共産主義政権や独裁者がやりそうなことというイメージもありますが、そればかりではないようです。

 

洗脳の世界―だまされないためにマインドコントロールを科学する

洗脳の世界―だまされないためにマインドコントロールを科学する

 

 

「LPレコードに潜む謎」山口克巳著

私らの年代のものには懐かしい、LPレコードですが、実はLPの歴史というものはわずか30年に過ぎなかったそうです。

SPからLPとなってレコード文化が一気に広まりましたが、やがてCD化が恐ろしい勢いで進み、あっというまに事実上LPレコードは終了してしまいました。

 

しかし、その30年の歴史の中にもさまざまな変化が次々と起きていたために、LPといってもその中身は千差万別、いろいろな問題を含んでいるそうです。

 

著者の山口さんは、本職はデザイナーということですが、若い頃から音楽に親しみ多くのレコードを聞いてこられたそうです。

そのジャンルもクラシックからジャズまで、しかもその聞き方も非常に深いものであり、わずかな違いにも気がついてしまいます。

 

レコードの録音も、ごく初期にはダイレクトカッティングといって音楽を直接レコード盤に刻み込むと言う方式が取られてのですが、すぐにテープレコーダの発達で直接の録音はマスターテープに録り、そこからレコードにカッティングするという方式に移行しました。

その技術のおかげで、多重録音などといった録音方式も発達しましたが、一方では実際に皆で一緒に演奏ということは、クラシックのオーケストラやジャズセッションなどに限られ、ほとんどの録音では演奏者がバラバラに演奏すると言うスタイルになってしまいました。

 

また、テープからレコードへのカッティングと言う工程ではその担当者がかなり音質を左右できるということになり、演奏者の意図以上にカッティング技術者の意向が最終製品のレコードに現れると言うことになってしまいました。

そのため、レコード会社によって傾向が違ってくるということにもなりました。

 

レコードの材質は、比較的硬い塩化ビニール類と、比較的柔らかい酢酸ビニールの共重合体に、少量のカーボンブラックや滑り剤、帯電防止剤などの添加物を加えて作られます。

それも時代により変化してきたそうで、モノーラル盤の初期などは厚さ、重さも異なります。その割合により音にも影響が出ていました。

 

レコードによっては「再生が難しい」ものも多かったようです。

これはレコードのカッティングがおかしかったわけではなく、再生装置の調整を合わせるのが難しいという意味だそうです。

 

レコードというものがあまりにも奥深い世界であったということに、今更ながら初めて気が付きました。

それにしても、このような微妙な音の違いが聴き分けられるというのはすごいものだと感心します。

私など、多少の違いがあってもほとんど分からなかったということでしょう。

 

しかし、それでも楽しめた自分で良かった。(この著者ほど細かいことが気になっていたら、なかなか音楽を楽しむことができなかったでしょう)

 

LPレコードに潜む謎: 円盤最深部の秘密を探る

LPレコードに潜む謎: 円盤最深部の秘密を探る

 

 

「この洋画タイトル、英語では何て言う?」東郷星人著

映画のタイトルはその映画の人気とも関わるためにいろいろ考えられて付けられています。

英語圏の映画は当然ながらだいたい英語のタイトルが付けられていますが、それを輸入して日本で封切りする場合、あまり直訳調でもまずいということで、まったく違うタイトルに変えられた場合も昔は多かったようです。

最近では、訳しもせずにそのままという例も増えていますが、どちらが良いのでしょうか。

 

この本は、そういった洋画のタイトルについて、本職は医者でありながらミステリー小説や映画が大好きという著者がいろいろな例を挙げて紹介しています。

一応、クイズ仕立てになっていますので、自分の知識を確かめるということもできるでしょう。

 

往年の名作映画でもいろいろな例があります。

ほぼ直訳そのものというのが、「風と共に去りぬ」(原題:Gone with the Wind)や「戦争と平和」(War and Peace)といったところです。

 

全く違うのでは、「慕情」(Love is a Many Splendored Thing)、「翼よ、あれが巴里の火だ」(The Spirit of St.Louis)といったものがあります。

 

ただし、日本語の題名でも流行というものがあり、たとえば

何がなんでも「愛と◯◯◯の✕✕✕」というのもありました。

一番早いものでは1947年の「愛と王冠の壁の中に」というのもありますが、これはそれほどヒットしたわけではないので、やはり1977年の「愛と喝采の日々」(The Turning Point)あたりがブームの始まりだったようです。

 

同様に、1930年代から40年代にかけて、「踊る・・・・・」という題名のミュージカルが次々と封切られていました。

「踊るブロードウェイ」「踊るアメリカ艦隊」等々ですが、別に原題に「dancing」が入っていると言うわけでもなく、ただ単にヒット作にあやかって付けられた邦題のようです。

 

あまりかけ離れた邦題もどうかと思いますが、昨今のように英語題名をただカタカナにしただけというのも芸がないようです。

直訳ではまったく意味が分からないものも多いようですので、頭の使い方次第と言うことでしょうか。

 

この洋画タイトル、英語では何て言う??英語の力もぐんぐん身につく映画タイトル・クイズ

この洋画タイトル、英語では何て言う??英語の力もぐんぐん身につく映画タイトル・クイズ

 

 

「もっと面白い本」成毛眞著

パソコン興隆期の有名人で、日本マイクロソフトの社長を務めておられた成毛さんですが、2000年に社長を退かれたあとはあまりお名前を目にしてはいなかったようです。

その後は投資コンサルタントをされているそうですが、それとともに、「読書」を奨める活動をされているようで、これまでにもその方向の本を何冊も出版されているとか。

 

岩波新書から「面白い本」という、読書を奨める本を出版、その後続編として出されたのがこの「もっと面白い本」ということです。

 

いろいろなコンセプトのテーマごとに、推薦する本を紹介するというもので、私も細々と真似をしている書評書きをずらっと集めて本にしたと言うものです。

 

前作とはコンセプトを少し変えたということですが、本書では「人間」「宇宙」「歴史」「芸術」「科学」といったものを取り上げています。

 

1冊あたりの紹介文はせいぜい2ページ、しかしコンパクトながらその本の面白さは十分に伝わるように描かれています。

 

しかし、数えてはいないので正確には分かりませんが数十冊の本が紹介されていながら、私が読んだことのある本が1冊も入っていないというのは衝撃でした。

読書傾向がまったく噛み合わない。

 

まあ、どちらが偏っているかといえば私の方でしょう。

 

中で一つ、非常に興味深いが、自分では絶対にすすんで読もうとはしない本について。

小林凛さんという方の書いた「ランドセル俳人の五七五、いじめられ行きたし行けぬ春の雨 11歳不登校の少年、生きる希望は俳句を詠むこと」というものです。

低体重出生児で水頭症の疑いもあるということで、ハンデのある子どもが、小学校でいじめを受け、学校には行けなくなったがそれやこれやについて、俳句を詠むというものです。

俳句も紹介されていますが、優れたものです。

 

まあ、考えるべき内容で、文章も優れたものなんでしょうが、まず読もうとは思わないのが普段の私の読書傾向です。

 

他も読むに値する優れた本ばかりの紹介のようです。

 と書きながらも、なにか心に引っかかるものが感じられるのですが。

もっと面白い本 (岩波新書)

もっと面白い本 (岩波新書)

 

 

「歴史に学ぶもの逆らうもの」吉岡吉典著

著者はすでに亡くなっていますが、共産党の中央委員会委員で参議院議員としても長く活躍されていた人です。

この本は1988年の出版、ちょうど昭和天皇が亡くなり平成に入った頃のことです。

 

昭和天皇の病状悪化から危篤、逝去までの世相というものは、もはや覚えている人も年を取ってしまったでしょうが、多くのイベントが自粛の名の下で取りやめになり、静かな町になりました。

それとともに、昭和天皇の平和主義者である面のみを強調する論調ばかりとなり、歴史的な事実としてそればかりでもないということは無視されました。

 

本書はそこの記述から始まりますが、主題は天皇の戦争責任を語ることではありません。

 

昭和から平成に変わる頃、別に時を合わせたわけではないのでしょうが、太平洋戦争の侵略性を否定したり、戦争犯罪を無かったことにしようとしたりといった、歴史上の問題についての攻撃が、主に自民党の有力政治家から発せられるようになります。

 

そのような政治的活動が、昭和天皇への過度とも見える対応と相俟って、軍国主義全体主義への回帰となるのではないかとの恐れから、歴史的事実を再確認しようとするのが、著者の主張です。

 

記述は歴史修正側からの主張を一つ一つ論破していくものとなっており、日韓併合は韓国側も同調したとか、閔妃殺害事件も性格をあやふやにごまかすとか、明らかに捏造した論議や、侵略を否定した中曽根発言など、少し前のことで忘れかけていた論議を思い出しました。

 

ちょうど30年経った本ですが、この問題を取り巻く状況はさらに悪化しています。

ここに書かれている「第二次世界大戦の教訓」ばかりでなく、「歴史論議の教訓」と言う教訓も意識しなければならないこととなってきたようです。

特に、この時代にはまだ生まれていなかった若い世代が良いように取り込まれている事態には危機感が募ります。

 

 

「自治体ナンバー2の役割」田村秀著

市町村などの自治体のナンバー1は市長等ですが、ナンバー2は「助役」ということです。

この助役については、地方分権を進めるという点から見て、地方自治の変革を目指す中で現状がどのような役割であり、今後どのようにするべきかを検討する必要があります。

そこで、地方自治の研究をしてきた著者が、アメリカ、イギリスの同様な立場の人々との比較をしながら調査結果をまとめています。

 

地方自治制度が整備されていく中で、助役という名称が初めて登場したのは、1888年の市町村制の制定時でした。

その後、1911年には助役を必ず置かねばならないといった改正も加えられ、それまでの市会による選挙によって選任される方式から、市長が推薦し市会が選任する方法に改められました。

そして、1947年に地方自治法施行された時に現在の方式が確立しました。

選任も、市長が選任し議会の同意を得ると言う方式に確定しました。

 

アメリカでは自治体のナンバー2は「シティマネージャー」と呼ばれる職ですが、各地の自治体により様々な制度があり、必ずしも市長とシティーマネージャが並立するとも限らないようです。

しかし、多くの自治体では議会によって選任された行政の専門家であり行政府の実質的な長として政策を遂行する者とされています。

 

イギリスではチーフエグゼクティブと呼ばれる職がそれに当たります。

公選される首長とは別に、地方自治体の事務職員のトップとしての役割を果たします。

 

日本の市町村の助役は、出身にもほぼ似通ったものがあるようです。

もっとも多いのはその市町村の職員であったものが、そのまま助役に選任されるという場合ですが、それ以外にも所属する県の職員、国の職員、市町村議会議員等から助役になる場合もあります。

また、稀ですが民間出身者もなることがあります。

 

この点、米英の場合はシティマネージャー、チーフエグゼクティブともに専門職として確立しており、公募で選ばれるためにいくつかの自治体を渡り歩くと言う例も見られるようですが、日本の場合はそういった例はありません。

 

なお、女性の進出は助役の場合はあまり進んでいないようです。

米英も日本と比べれば女性比率が高いものの、他の職種や民間と比べればかなり男性に偏ったものになるようです。

 

平均年齢も日本はかなり高く、60に近いものです。これは、市町村職員などを長く経験した後に就任するために年齢があがるようです。米英では始めから専門職として就任するためにかなり若い人も見られます。

 

 日本では市長などの首長は公選制ですので、様々な経歴の持ち主がいます。

以前は役所でずっと働き、管理職も経験してから市長選に出馬し当選という人が多かったのですが、最近ではまったく役所に縁のない人が直接首長として当選して入ってくる場合も多いようです。

そのような場合に、ほとんど行政経験のない首長を補佐する助役と言う役割は非常に重要なものとなります。

民間から首長に当選し、助役も仲間を指名するという場合もありますが、多いのは役所の中から行政に通じた人を指名すると言う場合で、その際は首長との関係も良好で役所や議会とも通じ合える間柄ということが多いようです。

 

最近は地方分権の方向で進もうという風潮があり、その中で首長の存在も変わってきており、助役も変わらざるを得ません。

現行法制では首長は公選制であり、同様に公選された議会との二元的代表制を取っていますが、米英では必ずしもそうなっているわけではありません。

議会のみが公選であり、首長は議会が選挙するという制度もあるわけで、その検討も必要かと言われています。

ただし、いくら米英の制度が魅力的であってもそれをそのまま日本に当てはめるわけにも行きません。

慎重な検討が必要となるところです。

助役制度も、「副市長制度」に変えようという動きもあるようですが、どうでしょうか。

 

地方自治の実態など、これまではほとんど興味もなかったのですが、読んでみるといろいろな問題点もあり、可能性も多い分野かと感じました。

 

自治体ナンバー2の役割―日米英の比較から

自治体ナンバー2の役割―日米英の比較から