爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「テオティワカンを掘る」杉山三郎著

テオティワカンとはメキシコシティの北東60㎞に位置する、紀元前後から600年頃まで栄えた古代都市ですが、ほとんど解明されていないということです。

その遺跡を若い頃から掘り続けたというのが著者の杉山さんです。

大きな「太陽のピラミッド」などが立ち並んでいますが、計画的に作られたことは分かるものの、何のためにという肝心のところが不明です。

 

アメリカ大陸に人類が渡ったのは氷河期でベーリング海峡が地続きだったころと考えられていますが、その頃はそこだけ越えてもアラスカに巨大な氷河が横たわり、そこを越すことができたかどうかは分かりません。

舟を用い海沿いに南下したということも考えられています。

その時期は13000年前と言われていますが、それ以前の遺跡もある可能性がありその点もまだ確定ではありません。

しかし1万年ほど前に始まる農業・畜産化の動きは旧大陸と同様に新大陸でも起きました。

ただし、ドメスティケーション(農耕化、家畜化の双方を指す)の方法はアメリカでは他の地域と少し違いました。

旧大陸では栽培化、家畜化される動植物の種類が野生のものとは全く異なるようになったのですが、アメリカではその差が小さいものでした。

野生と栽培との中間くらいの程度のものと言えるようです。

 

メソアメリカとはメキシコや中米を指しますが、その地域にも固有の文明ができました。

紀元前2000年頃には文明化したものと見られます。

最初はメキシコ湾岸のオルメカ、そしてマヤ都市国家群の興亡が続きます。

そのマヤ文明の繁栄期に突然テオティワカンが現れます。

マヤからは1000㎞以上も離れたメキシコ中央高原ですが、何らかの影響は受けたものと見られます。

 

テオティワカン発掘の風景は長い間それに携わってきた著者だけに、具体的で詳しいものです。

「地表面から掘り始めると、メキシコ革命期の銃弾が出てくる20世紀初頭の層や植民地時代の残骸に出くわす。それらを掘り下げて14-16世紀のアステカ時代の遺構の層に到達する。アステカ構造物は簡単なつくりが多い。その層の下にはアステカ時代からテオティワカン期までの1000年ほどの人々の生活痕を含む文化層が眠っている。それらをさらに掘り下げるとようやくテオティワカン時代の立派な建造物、正確に同じ方向軸を持つ壁や床面にであう。しかしこれは都市が放棄された400年史の最後の残跡であり、さらにその下にテオティワカンの起源を語るデータが潜んでいる」

まるで目の前に見ることができるように感じられる描写です。

 

テオティワカンは大ピラミッドを組み込んだ都市計画を特徴としていますが、それぞれの建築群が何の機能を持っていたのか、何を表そうとしていたのかが分かっていません。

これだけの大都市を創設した集団がどのような人々だったのかも分かっていません。

大都市が突然出現したかのように見えます。

最近の調査でようやくおぼろげな姿が見えるようになったものもあり、まだまだ調査研究の課題が多いところのようです。

 

この遺跡でも生贄として人を殺した形跡が明白です。

その遺伝子調査を行ったところ、バラバラの人々だったようで、ここでも戦争捕虜を生贄としたことが分かります。

他に猛獣などを生贄にした形跡もあり、何らかの宗教的な意味があったものと考えられています。

 

遺跡としてはっきりと目に見えるものが在りながら、その意味が全く分からないというのはもどかしいようなものでしょう。

しかし実際に生涯をかけてその調査を行ってきたという著者の言葉だけに貴重な意味があるようです。