爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

時間感覚の異常。あまりにも刹那的なこと。

利益は四半期や半年でしか見えず、5年計画などと言えばもう長期計画。

10年も続けばそれは「持続的」などと言うあまりにも刹那的な時間感覚しか持てないのが現代人でしょうが、それが気候変動や気象災害と言ったところにも広がっているのでしょうか。

 

ここ数十年のあまりにも平穏?な気象に慣らされてしまったのか、少し極端な気候になると「気象観測開始以来100年で初めて」などという脅し文句で報道されます。

1000年、10000年に広げて目を向ければ全く異なるものが見えてくるはずなのですが。

 

縄文海進という現象がありました。

この時期には温暖化が進んだために海水面が上昇し今ではかなり海から離れたところまで海水が広がっていました。

またその前の氷河期最終の頃には逆に数百mも海面が下がり対馬海峡も狭まっていたことがありました。

 

台風も気候変動で強力になっていると言われます。

しかし台風の強さのランキングを見ると、いまだに1961年の第2室戸台風が一位のままです。

ranking.netそれに続くものも1950年代、60年代が多くなっています。

60年代では私も覚えている伊勢湾台風が犠牲者も多かったのですが、それももう60年以上も前、ほとんどの人は生まれる前のこととなりました。

あの当時、温暖化が進んでいたとも思えません。

そういったことはもう考えもしないのでしょう。

 

こういった気候や地質学の問題を考えるにはどうしても100年どころか1000年、10000年を見ていくだけの時間感覚が必要となります。

破局噴火とも言われる大規模カルデラ噴火も日本列島では1万年に1回程度起きています。

100年しか考えていなければとてもこのような事象は目には入らないでしょう。

ところがもしもこれが起きれば日本列島の大半は甚大な被害を受けます。

それは「遠い昔」の話とは言えません。

 

福島原発事故の前に津波被害の見直しを求めた研究者がいたそうですが、東電経営者は愚かにもそれを否定しました。

わずか1000年前の津波被害すら見ることができずここ数百年は大丈夫だったという根拠だけでした。

自分が死ぬまでの間に起こらなければ良いと言わんばかりの態度だったのでしょう。

 

百年河清を俟つという言葉があり、かつての中国人は長い目で見据える考え方があったと言われています。

(今の中国人に当てはまるかは怪しいですが)

しかし、これでもわずか「百年」です。

 

放射性廃棄物を地底に埋めるという事業も数万年という時間を考えなければならないはずなのに、今の都合しか考えていないようです。

実は数万年という時間単位では地層の変化はかなり大きくなるはずです。

1年に1㎝隆起するという場所もあります。

1万年なら1万㎝、100mです。

10万年なら1000m、深く埋めたつもりがいつの間にか山の上になっているなどと言うこともあり得るのかもしれません。

 

せいぜい1年先のことしか考えられない政財界の指導者たち。

大きく道を誤るのも当然なのでしょうか。