爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

またも悲惨な交通事故発生、自動車の存在自体が危険だということ。

北海道でバスとトラックの正面衝突で5人が死亡という悲惨な交通事故が発生しました。

news.yahoo.co.jpこれまでの所、トラックがセンターラインを越えて反対車線に出てきたのは間違いなさそうですが、それが何故かということは分かっていないようです。

アルコールチェックには問題はなく、また長距離トラックのように長時間勤務ということでもなさそうです。

 

酒酔い運転であったり、過重勤務や無謀運転など、責任を問うことができる問題点があればそこに集中して批判すれば良かったのですが、何が悪かったのか分からなければそれもできません。

なぜ「自動車交通の存在自体が非常に危険」ということに気が付かないのでしょう。

運転をする人なら誰でも「このままハンドルの操作を誤れば対向車に突っ込む」という思いをしたことが一度はあるのでは。

 

自動車の運転は自動化も何もされていない現状では、運転者にすべてが任されており、すべての責任も運転者が負うということです。

このような自動車という存在自体、非常に危険なものでしょう。

しかも普通の道路はただ真ん中に線が引いてあるだけの対面交通。少しハンドルの操作を誤れば誰でも大事故を自ら引き起こすことになります。

 

交通量の多い交差点を、個別の自動車を見るのではなくぼんやりとただ脇から眺めたことがあります。

こういった映像は映画などでも見たことがありますが、通り過ぎる自動車の残像が線の重なりのように見えます。

それが信号の合図によってパタッと入れ替わり直角の方向の線に交代、そしてまたわずかの時がたちまた直角に交代。

つまり、同じ空間を単なる取り決めにより別の車の群が動き回るということです。

一歩間違えばそれも衝突という事態に向かいかねません。

 

車の存在は現代社会に不可欠のものとなってしまったので、このような「自動車の存在自体が危険」などという言説は誰も触れたがらないものとなっています。

しかし本質というのはここにあるということです。

自動車自体を無くせば車の事故の犠牲者もなくなります。