本日、10月17日は亡父の誕生日です。
1915年、大正4年のこの日に長野県南部で生まれました。
生きていれば105歳、ちょっと無理か。
普段はそれほど思い出さないんですが、さすがにこの日は印象深いものです。
子供の頃にはこの日には母は必ず栗ご飯を炊いていました。
小さい頃はまだ家も裕福だったようで、幼稚園に人力車で通ったという話はしていました。
しかし、その後祖父が知人の借金の保証人になり財産を無くしたとかで苦しい生活になったようです。
祖父母に関する話は生きている間にはほとんどしたことがありませんでした。
若い頃は仕事もいくつか転々としたようですが、終戦後に入った会社にずっと勤め続け最後はある程度の地位にまで上りました。
しかしその会社には心から従っていたわけではなく、私が大学卒業時にそこも受けようかと言ったところ「あんな会社ははったりが効く人間でなきゃやっていけないからお前じゃ無理だ」と言われてしまいました。
定年間近に始めた剣道には入れ込み、毎日暇があれば素振りをし、しょっちゅう道場にも通っていました。
最後には6段まで昇進しましたが、どうもあの昇段試験は若者と老人では基準が違うのではと思っていました。
しかし、竹刀や居合刀を構えた姿というものはさすがに凛としたものでした。
かなりの年齢まではしっかりとした生活を送っていましたが、さすがに90歳を越えるとかなりガタが来ているのは明らかでしたが、92歳で亡くなりました。
父親の破産もあり、戦争もあり、色々とあった人生だったのでしょうが、幸せだったのでしょうか。