イギリスには伝統的にユーモアや笑い、冗談、風刺といったものが根付いていると言われます。
しかし、19世紀のイギリス文学研究が専門の著者から見ると、そんなに良いものではなく下品な下ネタや強烈な風刺を相手構わずに垂れ流すようなものであり、それでも苦笑いをしてみていなければならないものなのかどうか。
とはいえ、かなり辛口にそういったものの批判をしているようで、この本の中では下品であっても楽しんで見るというところが見えています。
イギリスでは、すでに18世紀には現職の国王について、様々な方向から批判的な文章を発表するということが行われていました。
18世紀の国王ジョージ3世について、リットン・ストレイチーという作家は「老齢の狂人で、外の世界のことにはまったく対応できなかった」などと書いています。
さらにその子女についても「ヨーク公は競馬、トランプ、猥談三昧の生活を送っていた」「カンバーランド公はイングランド中でおそらく人望最低の男であった」
こんなことまで書いて良かったのでしょうか。
しかし、読んでいると苦笑いするしかないというのも確かです。
こういった伝統は現在の王室に対しても筆を緩めることありません。
2003年にザ・タイムズに掲載された「チャールズ皇太子の戴冠式の模様を伝える」という先取りパロディ記事では、「国王ご本人の発案になる、国王、カンタベリー大司教、シルヴィア・オナヌグ夫人、ウェストミンスター司祭イマム・オサマ・ビン・フセイン三者の列席による新スタイルの式典が続いた。それは世界のすべての主要な宗教の要素を取り込んだものであった(ただしキリスト教は除外)」
日本との大きな違いは明らかでしょう。
王家でもこうですから、政治家がどう扱われるか、想像以上です。
19世紀末の首相ディズレーリは、その容貌に特徴があったためか、風刺漫画が数多く描かれており、それも色々なコスプレで顔だけはディズレーリと言うものが書かれていました。
ただし、そこには彼がユダヤ人出身であったということも影響していたかもしれないということです。
パロディの伝統も強固なもので、ありとあらゆるものがパロディとなってしまいます。
ハリーポッターの物語はだれにでも知られているでしょうが、それのパロディも出版されています。
「バリー・トロッターと無認可パロディ」なる、タイトルをみただけで品の悪いもので、中味もその期待を裏切らないものになっているとか。
スパイク・ミリガンという作家がとんでもない「旧約聖書」を書いているそうです。
現代のイギリスのユーモア作家の中でも、その品の無さにかけては他の追随をまったく許さないのが彼だということです。
いかも、聖書であれ何であれ、手当たりしだいに笑いの標的にしたあとで行き着く先が下ネタなのだとか。
ただし、肝心なところでは抑制が効いていて、旧約聖書はパロディ化しても新約聖書には手を出さないそうです。
奥が深いというべきか、まあ少し野次られただけで怒り出す某首相よりははるかに上等というところでしょうか。