ボーイング747、「ジャンボ」という愛称が広く使われていました。
その巨大な機体で500人以上の乗客を乗せることができ、空の旅行の需要が伸び続けている時には最適の航空機として多くの路線に導入されていました。
しかし、燃費の悪さから昨今では完全に時代遅れとなり、国内線からはすでにすべて姿を消してしまいました。
さらに、1985年8月に起きた日航ジャンボ墜落事故も忘れられないものでした。
この本は、その墜落事故の直後、1986年に航空評論家の中村さんによって書かれた、ジャンボ機について色々な方向から描かれているものです。
まだジャンボによって示された大量航空輸送というものが光り輝いて見え、巨大機の開発が次々と続けられるような情勢でした。
ジャンボ、ボーイング747は航空機の歴史に大きな一歩を記したのは間違いがありません。
しかし、その登場は周到に用意されたものではなく、偶然が左右したものでした。
1964年に、アメリカ空軍は当時の三大航空機メーカーであった、ダグラス、ロッキード、ボーイングに対し、巨人とも言えるようなそれまでの常識を越える巨大航空機の設計案を求めました。
このコードネームCX-HLSに対し、各社は総力を上げて設計を実施しました。
この輸送機はのちにC-5Aギャラクシーとなりました。
設計競争で敗退し、ボツとなった設計図を、ロッキードは捨てずに旅客機として利用することとしました。
当時は、旅客機の開発の主力はSST、超音速旅客機と考えられており、近距離輸送は707より少し大型のいわゆるエアバスとなるだろうと予測されていました。
時代はまだ、一般大衆が空を飛び回ることを予測していませんでした。
そのため、ボーイングの超大型旅客機開発と言う計画は危険視されたのでした。
しかし、ここで救世主となったのが、パンアメリカン航空の当時のトリッペ会長でした。
彼は、大衆が大量に旅行する時代がすぐそばに迫っていると確信し、ボーイングの巨大機を大量発注します。
とはいえ、ボーイングもこの飛行機が本当に空の主役となることは予想せず、もしも不調に終わればすぐに改装して輸送機として使うことも考えた設計にしたとか。
ボーイングもパンアメリカンも大きなギャンブルをしたのですが、それが大当たりをしました。
逆に、その後運行を開始したコンコルドは、開発が遅れたこともあり、就航したときには完全に時代遅れとなり、高い料金と大きな爆音で失敗してしまいます。
予測されていたような、超音速時代はやって来ず、大量輸送時代となり、ジャンボが制覇したのでした。
本書では、ジャンボの機械的な特徴を詳細に説明し、さらに実際にどのように運行されているかも細かに描写されています。
すでにはるかに時代遅れとなったとは言え、航空マニアにはまだ興味深いものかもしれません。
私も40年以上飛行機に乗ってきましたが、多くは熊本や福岡から東京への路線でしたので、最初の頃はジャンボによく乗りました。
二階席に乗ることができたことも数回あり、思い出深いものでした。
墜落事故の数ヶ月前に乗ったことがありますが、あれが事故機であったのではないかという思いが頭から離れません。