内田樹さんの、「研究室」というブログから、以前の記事も読み返しているのですが、2017年7月31日付で興味深いものがありました。
ちょっと題名からは内容が見えにくいものですが、主題は「言論界の画一化、自己規制」というものです。
オリンピック招致について、内田さんも批判的な言論をしていたのですが、ちょうど招致成功のあたりには、ほとんど批判をする人も居なくなってしまったそうです。
そのため、マスコミからもオリンピック反対のコメントを内田さんに求められるということが相次ぎ、彼らに「他に招致反対の人は居ないのか」と尋ねたら、「想田和弘さんと小田嶋隆さん」だけだと答えられたとか。
同様の事態は、一時の維新の会全盛の頃の関西で、橋下徹批判の言論が事実上できなくなったという時にも見られたそうです。
特に、大学関係者で橋下批判をした人は学校上層部からすぐにストップをかけられたとか。
「空気を読む」ことの是非は色々と言われていますが、世間の意識にあまりに気を使い、空気を読んで世間に逆らうことは言わないという風潮が強まっているのではないか。
内田さんはそれを意識し、あえて非難されてもそういった異論を唱えようとしています。
私なぞ、世間の意向などはまったく無視して言いたい放題、内田さんのように名のある言論人ではないので、好き勝手なことを書いていますが、もしも実名であれば躊躇するかもしれません。
この記事は7月で5ヶ月ほど前のものですが、12月現在であれば「北朝鮮の脅威」と「ミサイル防衛システムの購入」でしょうか。
これに対しての疑問の声もほとんど見られません。
年金や健康保険料、生活保護費などをギリギリまで切り詰めようという国家財政窮乏の中、数千億円とも言われるミサイル防衛システム導入には異論も見られないようです。
そもそも、「北朝鮮の挑発」を煽りに煽っているのはトランプと安倍ではないでしょうか。
それで現実化した「北朝鮮の脅威」に、「対抗するのは当然」という雰囲気を作り出し、トランプから押し付けられたイージスアショアや戦闘機購入、巡航ミサイル導入などをすんなりと通す。
すべてが一つの流れの中で定められているかのようです。