著者は歴史学者で特に日本の近現代史のなかでも太平洋戦争の開戦に至る経緯というものを一番の研究対象としてきたという、この時代の日本の政治、軍部等についての専門家です。
1941年12月8日、日本軍はイギリス領マレーシアのコタバルに上陸して戦闘を開始、その2時間後にハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊に攻撃を開始しました。
その後3年8ヶ月にわたり対米英蘭戦争を始めたのです。
敗戦後、連合国は極東国際軍事裁判(東京裁判)を開廷し、この戦争を侵略戦争と判決しその首謀者として東条英機ら7名が死刑となりました。
しかし、著者が調査研究したこの戦争開戦に至る日本の政府・軍部の状況を見るとこの7人が政治軍事を指導し侵略戦争に導いたなどとはとても言えないというのが実状です。
誰が指導したとも言えないような状況でなぜ開戦に至ったのか、それがこの本で書かれているところです。
本書の副題として挙げられているのは「両論併記」と「非決定」です。この2語がその性格を表しているのかもしれません。
いかにも日本らしい。
本書はまず「日本の政策決定システム」というところから論じ始められています。
現在の政府でもどこで政策が決められているのか分かりづらいところもありますが、戦前の「明治憲法」の下では国政の責任者というものがあちこちに分断されているような状況であり、総理大臣の統率力というものもかなり弱く限られたものでした。
かと言って形式的に置かれているだけのような天皇という権力もその実は何も決めず、責任も取らずということであり、その周囲に居る大本営なる軍参謀や元老などといった連中も口は出すが責任は取らないというものだったようです。
当時、中国に侵略した陸軍は部分的に都市を押さえてはいたものの頑強な抵抗を受けて膠着していた状態でした。
そしてそれに反対するアメリカなどは反発を強めており、当時は最大の産油国であったアメリカが石油の日本への輸出を禁じ圧力を強めていたのです。
これを解除するための交渉が続けられており、そこではアメリカ側から中国からの日本軍撤兵などの条件が提示され、それを飲んで事を収めるか、戦争に突入するかの判断が求められていたところでした。
しかし、ここで「誰も判断しようとしなかった」のが実状だったようです。
陸軍などは中国からの撤兵には反対しておりそれに同調する勢力も多かったのですが、もしもアメリカと開戦ということになればその戦闘の大半を担うことになる海軍は開戦には慎重にならざるを得ませんでした。
ここで旧憲法下での体制の弱さを示す事態になります。
交渉で開戦を回避しようとする近衛内閣ですが、陸軍の強硬姿勢により近衛は辞職してしまいます。
そして首相に任命されたのが陸軍の東条英機でした。
当時の政府の意見集約は内閣の閣議だけで決まるのではなく、天皇の前で審議決定される御前会議が必要でした。
それを経て決定されたのが「国策」(国策要綱等)ですが、これが近衛・東条内閣時の1940年から41年にかけて10件以上発せられています。
それも内容が二転三転するように変化しており誰か責任者が遂行する覚悟で定めたものではありません。
当時の国策を今見ても、政策担当者が何をやろうとしていたのかを汲み取ることもできないようなものでした。
そのような「国策」の原案は誰が発案したのか、それは陸海軍の参謀本部に属する幕僚クラスだったようです。
国の政策の基本案が軍隊の参謀によって作られていたも同然という事態だったのです。
すでに議会などはまったく意見も言えない状況になっていました。
政治学者丸山真男はこの政治意思決定機構を「神輿」(みこし)に例えました。確固たる中心がなく、皆で押し合いへし合いしているうちにどこかに流れていくだけです。
しかも担ぎ手が誰かも確定することが難しい。
日米開戦という国の方針を決める重要な時点でもこれらの当事者全員が意思統一して進んだわけではなく、むしろ「戦争回避策」というものをまとめることができなかったので、仕方なく「開戦」に向かっただけという情けない情勢だったようです。
開戦に向かった場合の戦争遂行能力というものが大きな判断要因だったはずですが、そこでは海軍の船舶製造能力、戦闘での被災による損耗率などが検討されていました。
しかし、それらをまとめた輸送能力算定は海軍軍令部の若手二人がわずか数日間で計算しただけの数字だったそうです。
そこでどの程度の輸送艦が被災して沈没するかという損耗率の算定というのが非常に重要なのですが、この計算のベースにしたのはなんと「第一次大戦時におけるドイツの戦争例」であったということです。
それから潜水艦の数量や攻撃能力向上が著しいにも関わらず、その現実と乖離した数字が歩きだしてしまいました。
このような穴だらけの数字を合算した戦争遂行能力ですが、それでも開戦後2年までは遂行可能という結果だったそうです。つまり3年以降は不可能という結論であり、それは間違いない見通しでした。
それは陸軍など開戦論派も認識していたことでした。
それにもかかわらず開戦を主張したのは、その時点での開戦が一番有利という論拠だけでした。そこで海軍がアメリカ海軍を叩いて大きな損害を与えればもしかしたらアメリカの戦意を喪失させ有利な条件で講和できるかもしれないという楽観的な期待だけでした。
不利な見通しを想像することもなく、楽観的な期待だけで開戦に踏み切ったものの緒戦での戦果も期待ほどではなく、かえってアメリカの闘志をかき立てるだけとなり、さらに戦争長期化により日本の戦争遂行力は激減して敗戦に向かいました。
このような本を読むと日本の政策決定というものについて絶望感を覚えるばかりになります。
当時も陸海軍の参謀といえば国内でも有数のエリート揃いのはずでした。
また政府にも優秀と言われる官僚がそろっていました。
何が「優秀」か、そこに問題があるのかもしれません。
しかし、この本を読むと現在の省益確保に明け暮れる官僚や、オリンピック開催準備や豊洲市場移転問題も思い出してしまいます。
一言、バッカじゃないの
日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)
- 作者: 森山優
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