仏教や寺院については様々な書籍も出版され、知る機会も多いのですが、神社、神道についてはあまり見る機会がありませんでした。
そんな中、国学院大学教授で神道学が専門という(そういった学問分野があるのも知りませんでした)三橋さんが神道、神社について一般向けに書かれた本書を見つけました。
「神社とは何か」神社の定義というものから本書は始まっています。そこから問い直す必要があるほど、神社と言うものが一般には分かりにくくなっているのかもしれません。
「神社」と書いて古代では「もり」と読んでいたこともあるように、神社と森、杜というものは密接に関係しているようです。「杜」と言う漢字自体が「社」と関連があり、「社」を「もり」と読んだ例もあるようです。
また、神社と言えば普通にイメージされる本殿を持たない神社もあり、森林や山をご神体とするものもあります。
「みや」「やしろ」という言葉も神社と関連が深い言葉ですが、これらは本来はみだりに立ち入ることのできない禁足地という意味だったようです。
そこの境界を示すのが「さかき」という木だったとか。
神社というものがいつ始まったか、その起源と言うものはまだ定まった学説はないようです。縄文時代、弥生時代にも呪術や宗教的行為は行われていた形跡は残っていますが、その場所として神社というものがあったのかどうか、現在も研究が続けられているようです。
日本書紀に至るとそこにはすでに古来より神社と言うものが存在したかのような記述がありますがそれがそのまま歴史的事実ではないでしょう。
しかし、その時代にはすでに神社が大きな存在であったという記録は様々に残っており、それ以前よりあったのは間違いないところです。
神社に祀られている神を「祭神」と言いますが、これも各神社により千差万別です。一般に多いように見られているのは天照大神や伊弉諾尊といった天皇家の祖先(皇祖・皇族神)ですが、それ以外にも自然現象(太陽・月・嵐・風)地理地形(山・海・川)英雄、御霊神(非業の死を遂げ祟りを起こしそうな人)などです。
なお、一つの神社で複数の祭神を持つことは普通であり、中心を主祭神、その他に配祭神、相殿神などと呼ばれる祭神を祀っています。なお、主祭神が複数と言うところもあるようです。
神社を中心としたさまざまな信仰には多数の例があり、それに沿って神社も建てられている例が多いようです。
天満、八幡、日枝、愛宕、秋葉、出雲等々、中心となる本社はそれぞれ有名なものを持っていますが、分社が各地に建てられ多い物では数千に上るものもあるようです。
諏訪などは長野県諏訪市の諏訪大社が総本社ですが、有名なものでは長崎の諏訪神社もあります。また、浅間神社は富士山信仰を中心としたもので、「浅間」という言葉も群馬の浅間山と言うことではなく、アイヌ語で火山を意味する言葉から出ているようです。
九州の当地では「阿蘇」が多いようですし、一時住んでいた金沢近辺では「白山」があちこちにありました。
とはいってもそればかりということではなく、別系統の神社分社が隣り合っている例もあるようです。
本書の最後には神社とイタリアのパンテオン、ギリシャのパルテノンを比べています。石造りのパンテオン、パルテノンは古代のそのままの姿を残していますが、その精神を受け継ぐものは失われており、ただの遺物となっています。それに比べ日本の神社は数十年で建て替えるという風習のために古代そのままのものは残っていませんが、周囲に精神を受け継ぐ人々がおり、まったく不変のまま続いています。それが神社と言うものの価値だということです。
神社について、かなりすっきりと整理された知識が得られる本でした。