爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「道路整備事業の大罪 道路は地方を救えない」服部圭郎著

車ばかりに全てが偏重しているような社会には以前から疑問を抱いていましたが、それらの点をかなり明快に解説してくれた本です。
特に、国鉄時代の赤字ローカル線の整理が進められていた当時には、「100円稼ぐのに経費は何百円」といった論調での批判が強かったのですが、それに対しては当時鉄道好き少年だった私は「道路は税金で作っておいてなんで鉄道は全部をコストに数えなきゃいけないんだ」と不満を覚えていましたが、本書には「わが国の場合、公共交通に関しては事業採算性を重視する傾向があるが、道路は公共財として無料で提供されるにもかかわらず私的な交通手段である自動車が利用する道路に事業採算性を問わず、より公的性の強い公共交通に関してばかりそれを言うのはおかしな話だ」と極めて明確に断罪しています。すばらしい論旨です。

著者は工学部卒で専攻は都市計画ですが、現在は明治学院大学の経済学部准教授ということです。世界各国での都市の現状を見てきて、自動車優先の都市計画が一般的であった欧米でもかなり風向きが変わり歩行者を優先した都市も増えてきているのに、日本ではいまだに道路を作ることが第一と言われるような状況で、これが地方の衰退を加速しているということを論証しています。
東京などの大都会では比較的公共交通が発達しているために自動車を持たずに生活できるということがありますが、地方では道路整備を進めることで公共交通が壊滅し生活圏自体が崩壊していっているという現実を見れば、もはや道路整備を進めるという方向性は間違っているということは明らかなのですが、政治家や地方の経済界などはまったくその認識がなく変わっていません。

地方自治体などの長がよく「日本は道路後進国」などと言っているようですが、本書ではそのような主張はまったく事実と異なっているという記述から始まっています。道路の量的な比較では、国土面積あたりおよび人口当たりの道路延長距離が出されますが、どちらも日本は同程度の面積の国と比較するとかなり道路の距離が長くなっているということです。
また、道路にかけている費用を比べると総額でなんとアメリカと同程度。イギリスなどヨーロッパの国は日本の10分の1以下の費用しかかけていないそうです。
特に日本の中でも東京のような高密度社会で道路整備に費用をかけると言うことは効率的にもまったく逆方向であり、意味がありません。

日本の道路整備偏重は田中角栄日本列島改造論に代表される政治の方向性に見て取れますが、1953年に道路特定財源法を作ったのも田中角栄だったそうです。その当時は道路の状況は確かにひどいと言えるものだったのですが、現在では全く変わってしまいました。もはや道路を作る費用に見合うような便益が得られる場所はほとんどなく、費用をかけても取り戻せないところばかりになっています。
地方ではいまだに道路整備が地方社会を豊かにする道だと言う主張を政治家を中心に声高にする人が多いのですが、実際は道路を整備した地方ほど過疎化が進んでいるという事実が歴然としています。
道路を整備して通勤がしやすくなって人口が増えると言いたいのでしょうが、実はまったく逆で道路整備した町村の職員すら外の便利なところに移住してしまい、外から車で通っているという例もあるそうです。

それは車が利用しやすい状態になるとその地方の中心地域に大資本のショッピングセンターができてしまい、それまでなんとか存在していた中小の商店などがつぶれてしまうからです。誰もが車で買い物に出かけてしまうと比較的販売力が弱く価格競争では負けてしまう商店は残れません。それが現在あちこちに出現してきた買い物空白地のできる原因です。
地方と中央の格差というものは道路整備では解消されないばかりか、中央への集中をさらに加速するばかりです。

自動車優先の社会はとくにアメリカで発展してきましたが、その象徴ともいえるロスアンジェルスではすでに社会崩壊とも言える状態になりつつあるそうです。土地の6割が道路と駐車場と化しているにも関わらず、慢性的な交通渋滞が発生し移動時間が増加する一方です。住宅地も離れるばかりで、通勤に2時間も運転しなければならない人も多数だとか。
ブラジリアも自動車交通のみを考えて設計されているため、歩行者のための設備はほとんどなかったそうです。それが仕方なく徐々に信号機も設置されるようになってきたそうです。

著者は道路整備がもたらす負の側面として8つの項目を挙げています。1.自動車への過度の依存体質がもたらす移動の不自由。2.商店の喪失などの生活環境の悪化。3.コミュニティーの空間的分断と崩壊。4.子供の遊び空間の喪失。5.自動車優先型の都市構造がもたらす非効率性。6.失われる風土と地域アイデンティティー。7.観光拠点だった場所が通過地点になることで生じる観光業の衰退。8.家計への負担の増大。
本書ではこれらの実例について詳述されていますが、まあ項目名だけみればかなり明らかでしょう。

世界には自動車を都市から締め出すことで再生している例がいくつもあります。デンマークコペンハーゲンやアメリカのポートランド、ドイツのフライブルグ市などは歩行者優先の地域を増やすと言う都市計画を進めています。これらの施策には道路整備費を回せば容易に予算を確保することができます。
富山市にもライトレール整備と言う例があり、適当な公共交通を充実させていけば自動車に頼らず前述の負の側面を避けられる社会ができるはずです。

現在でもヨーロッパから都市計画の研究者が自動車に頼らない社会の好例として東京を研究対象に訪れることがあるそうです。その東京で各地に社会を台無しにするような道路計画があることは彼らを落胆させることでしょう。
地方では高齢化、過疎化といった大きな問題点があるにも関わらず、それらを正面から向き合わずにかえってそれらを助長するだけの道路整備にいまだに望みをつなぐ政治家などがほとんどです。著者は本書が本当の豊かさと言うものを考える一助になれば幸いと最後に記しています。