爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「使える!確率的思考」小島寛之著

著者の小島さんは理学部数学科を卒業後、大学院は経済に進み、帝京大学経済学部助教授(出版当時)という経歴のためか経済学への数学的手法の応用というのが特徴的な方のようです。
まあ数学的手法といっても当然、単純な方程式に近似などといったものではないのでしょう。

経済に限らずこの世のすべては不確実性というものに満たされており、そこにはツキというものが深く関わってきます。”当たりの出やすい宝くじ売り場”というのが常に話題になりますが、見る人が見れば何のカラクリもないことがわかりますが、それが判らない人が多いということでしょう。

統計というものも見る目を養うことが大切とはよく言われていますが、そこにはいろいろな事情が関わってきます。子供の出生数統計というものを見ていると、男女の比率が1906年には大きく崩れ、1966年にも少し差が大きくなるのがわかります。これは丙午信仰によるもので、1906年にはまだ戸籍届けの法的な規制が緩かったために数ヶ月の違いであれば前年や翌年に届出をずらしてしまったからのようです。
また、スポーツ選手の誕生月は4月5月が多いということがあるようですが、これはどうも偶然ではなく幼稚園や小学校低学年での運動能力の同学年での差というものが心理的にずっと後を引き、運動コンプレックスができるためかもしれません。

また”偏差値”というと学校の入試においての言葉の使用ばかりが目立つようですが、入試の難易度を偏差値というもので表すというのはあまり正当な意味合いではないようです。偏差値というのはある事象正規分布をしている場合のそのバラつきの大きさを示すものであり、例えば”一個人の試験での獲得点数”を多数の試験実施で収集した場合のバラつきについてみれば統計的な意味はあるというもので、学校の順列を記載する目的に使うのはおかしいようです。これはあくまでも予備校などの模擬試験の成績を使いたいという目的だけのものなのでしょう。

さて、色々な不確実事態を推定するために確率理論が作られているそうですが、そこで忘れていけないのは「観察不能な事態の確率」ということだそうです。例えば、故障などの確率を調べるということは行われますが、同時に当然ながら故障対策というのも実施されます。漫然と故障になるのを見逃すということはありません。そこから出てきた事態というのはあくまでも「故障対策をした上での確率」であり、「しなかった時の確率」というのは知ることができません。
会社の新人採用の時も、「採用した社員のその後」というのはわかりますが、「採用しなかった応募者のその後」というのは知ることはほとんどできないということです。そのような対策を考えた経済理論というのも研究した人はいるようです。

経済理論というのも奥深いものです。ただし、現実の経済をどうするかということにはあまり役立っていないように見えますがいかがでしょうか。