爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「運輸交通の見通し」

石油供給減少のかなり早い段階で軍用燃料の奪い合いから戦争が起こる可能性については前回で述べました。一応それがなんとか大規模にならずに収まったと仮定して、それまでと全く違う軍事バランスが整ったとしましょう。
その次に起こるのは運輸交通の費用の増大です。
ほんの最近になって起こった経済のグローバル化は情報通信の爆発的な発展に支持されてきてはいますが、その根底にあるものは極めて安い輸送費です。ただし、これには船か自動車か鉄道か飛行機か、近距離か長距離かというそれぞれの場合を考えなければ見通しを誤ります。
世界的な経済一体化は巨大な貨物船の輸送力の発展により支えられてきました。このエネルギー効率は非常に優れており、ということは多少燃料が高騰してもそれが価格に反映する部分は少ないものといえます。
例えば、2003年の資源エネルギー庁の調査という資料によれば、トラックの2.6(MJ/トンkm)(営業用)に対し、船舶0.6、鉄道0.3というものです。なお、トラックも自家用の場合は13.8となっています。使用形態により大差がありそうです。飛行機の22.6と近いほどです。
エネルギー価格が低い間はこの違いが問題となることは少ないのですが、価格高騰すると大きな輸送費の上昇となって製品価格に反映してきます。それも、意外なことに海外から製品を輸入しても港に着くまでの輸送費は少ないのに、そこから国内を移動させるトラック運賃が高騰するということになりそうです。

国内輸送にはやはり鉄道の活用が絶対に必要になるでしょう。これにはこれまでほとんど考慮されていなかった道路の保守費用というものも計算されるべきでしょう。それもその場その場の費用だけでなく、エネルギーの使用度というものを考えていく必要がでてきます。
そのような合理的な算定というものが必要という考え方が受け入れられるかどうか、難しい点がありますが、それがエネルギー高騰時代を迎えるに当たっては必要になってきます。

高速道路の料金が取られるのも嫌だと言う人が多いようですが、一般道の保守費用は誰が出しているのでしょう。税金から出すのがなぜ当然なのでしょう。そういったことをすべて考え直さなければ運輸全体の再構成は無理だと言うことです。