爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「世界を破綻させた経済学者たち」ジェフ・マドリック著

著者は経済学を学びはしたものの、専門の研究者とはならずに経済コラムニストとして活躍されているということです。

 

だからこそ、言いやすいのでしょうか。これまでの経済の混乱は主流派経済学者の学説のためであると言う批判をしているのが本書です。

 

 それら正統派経済学者の主張には7本の柱があります。

1.「見えざる手」アダム・スミスに由来する市場至上の考え方

2.セイの法則 貯蓄を政府が公共事業に使うのは民間投資を妨げるので、政府財政は小さい方が良いというもの。

3.実証経済学を唱えたフリードマンによる、投機は合理的であり金融投機規制は有害というもの

4.インフレ・ターゲットの設定 金利操作を通じて2%以下のインフレに抑えれば失業率も自然な水準に戻るというもの

 ただし、日本でアベノミクスで主張されたインフレ・ターゲットとは方向性が逆

5.「効率的市場仮説」 株価が常に企業価値を正確に反映しているとする。

6.グローバリゼーション ここまで述べた自由放任主義を国際貿易にも当てはめて、関税による国内産業保護や補助金・規制による産業育成を否定。

7.「経済学は科学」 ここでもフリードマン。数量データを出すだけで科学的。

 

日本の状況とは異なるかもしれませんが、アメリカではこのような経済学が正統派、主流派であり、これらが政策に影響を与えた結果が現在の混乱の元凶であるとしています。

 

セイの法則というものは、財政赤字恐怖症とも関係しています。オバマ政権も景気刺激策を実施する一方で赤字削減を強硬に進めますが、オバマ自身はセイの法則というものを認識していなかった可能性が大きいそうです。

 

ミルトン・フリードマンは市場に対する政府の規制は誤りであるとして、それを排除する方向をさまざまな面で主張しました。

公的年金の縮小、最低賃金制度の廃止、所得税累進課税反対等ですが、これに乗った歴代政権により強者がさらに強くなるアメリカの現状が出来上がったようです。

 

グローバリゼーションの促進ということにも、経済学者の自由放任主義礼賛の影響があります。

その推進派たちは、モノとサービスの自由な貿易が行われることだけを目指しているのではありません。世界を一つの金融市場にすることも目標としており、さらに労働市場規制緩和することを求めています。

このような政策を「ワシントン・コンセンサス」と呼ぶそうですが、アメリカでは共和党でも民主党でも双方がこの基準での政策を推進してきました。

しかし、これが世界中に弊害を振りまいていることになります。

 

そもそも、経済のグローバリゼーションなどは歴史的には存在したことがありません。

19世紀に強く自由貿易を主張していたのはイギリスだけであり、彼らは世界最大の製造業を持っていたためにその売り方を最大限自由にしたかっただけでした。

その後も、自由貿易を主張していくのは最も豊かな国ばかりでした。

 

自由貿易はすべての人々が恩恵に浴せるわけではありません。大勢の人が職を失う可能性が高いものです。現在でも完全雇用と高給の維持などはまったくできていないものが、さらに悪化すればどうなるでしょうか。

 

どのような経済学が現在のアメリカ主導の世界経済を引っ張っているのか、そしてそれらがどのような害を作り出しているのか、様々な方面から論証している力作でした。

しかし、巻末に6ページの解説を東京大学の経済学教授の松原隆一郎さんが書いておられますが、それだけ読めば十分概要が分かりました。

まあ、松原さんの解説が優れているのでしょうが、「本文、要らなかった」

 

世界を破綻させた経済学者たち:許されざる七つの大罪

世界を破綻させた経済学者たち:許されざる七つの大罪

 

 

「メディアは大震災・原発事故をどう語ったか」遠藤薫著

東日本大震災とそれに続く福島第1原発事故の記憶はまだ新しいものですが、その時のテレビや新聞の報道というものも印象に残っているものです。

津波が押し寄せている映像や、原発が爆発しているところなど、多くの記憶がありますが、しかしメディアの報道というものがあれで良かったのかという思いも誰でも持っているのかもしれません。

 

そういった思いは、社会情報学などがご専門の大学教授の遠藤さんも同様であったようで、地震直後からしばらくの間のメディアの報道について詳細に収集し、解析されました。

メディアには大手のテレビ、新聞は言うに及ばず、地方新聞社も含み、さらにネットメディアの状況も調査しまとめてあります。

 

テレビの報道の地震直後のものや、原発爆発後のものなど、分刻みでどういった映像が流され、どいった言葉が語られたかまで記されていますので、当時それを見た覚えがあれば記憶が蘇るかもしれません。

 

3月11日の地震発生直後には、東京キー局は東京周辺でもかなりの揺れがあり、地震の最大の被災地がどこかということも正確にはつかめなかったために、報道も東京周辺のものが多かったようです。

しかし、すぐに東北地方が中心であることが分かり、さらに大津波が押し寄せるということになったのですが、映像は東北のものが間に合わず、ようやく夜に入って放送することができたのですが、録画画像が主となりました。

その間、ライブ映像は首都圏のものが多かったようです。

 

なお、特に被災地では放送設備の被害やさらに電力供給遮断などでマスメディアに触れることができなくなった地域が多かったのですが、その間を埋めるべくネットメディアが健闘したそうです。

そこで、テレビ放送の画像をそのままUstreamなどで配信するということが行われました。

これは、通常時には著作権侵害にあたるために滅多なことでは許可されないのですが、緊急時であることからNHKは担当者が独断で許可し、それがネットで広まったということです。

その後、民放各局の放送も問題なく配信することができるようになり、ニュース映像が行き渡ったということです。

 

 

原発事故報道は、地震からは少し遅れて始まったのですが、最初は被害の大きさを隠すようなものであったり、かなりの混乱を見せました。

これは、戦後日本を支えてきた科学技術に対する信頼が一気に崩れ、皆が落胆が大きかったことによるものです。

 

その中で、原発1号機の爆発の瞬間というものが、福島中央テレビのカメラだけがとらえることができました。

これは原発の近くではカメラの使用ができなくなることから、2000年に離れた地域にカメラを設置したということですが、それでもカメラコントロールは不能となってしまい、たまたま動かなくなったカメラが1号機の方を向いていたので映像が取れたそうです。

しかし、それがどのような種類の爆発なのかは局側も判断できませんでした。

それが原子炉の爆発なのか、周辺機器の爆発かもしれず、そこでこの映像を放送してよいのかという躊躇はあったようですが、それでも放送することを選んだそうです。

 

 

地震・事故の後、しばらく経ってからはドキュメンタリーの放送ということも行われるようになりました。

全体としては放射能汚染の問題がもっとも多く取り上げられているのですが、そこにはNHKと民放各局で傾向の違いが見られるそうです。

NHKは汚染地図の作成や食の安全性など、マクロな様相に着目するのに対し、民放では被災地や被災者に寄り添うという形の番組が作られる傾向が強いそうです。

また、NHKに多い「原因究明」や「エネルギー問題」といったテーマのものは民放にはほとんど見られないようです。

 

 

原発事故を受けて、ヨーロッパ各国では原発廃止を政府が打ち出したり、選挙でそれをうたう政党が善戦したりと言ったことが起きたのですが、日本では各種選挙でそれとは違う様相を見せました。

地震直後の4月に統一地方選挙が行われたのですが、脱原発を掲げる候補者、政党は議席を伸ばすことはできませんでした。

この本は2012年1月の出版ですので、そこまでの状況しか記されていませんが、その後もご存知の通りです。

 

 この地震の時には北陸で勤務していたので、自分自身が身をもって感じたというものはほとんど無かったのですが、テレビでの津波の映像には衝撃を受けました。

このように、他の地方の人が見るニュースと現地の人が必要とするニュースとはまったく違うでしょう。

本書の中にある、石巻日々新聞の「壁新聞」というのは知りませんでした。

これは世界的に話題となり、現物がアメリカワシントンの新聞博物館に永久展示されるようになったということです。新聞社冥利に尽きるというところでしょうか。

 

 

 

「天気図の見かた」岡林一夫著

この本はかなり古いもので、発行は昭和50年5月、それから程なくして買っていればおそらく私が大学生の頃と思います。

 

今のように、天気予報が行き届いている時代とは違い、約40年前にはテレビでもニュースの時に一日数回といったものではなかったでしょうか。

またその内容も観測機器の精度もあり、さらに気象衛星の活用も始まってわずかという時期で、かなり現在とは異なるものだったでしょう。

 

この本はそういった中で、当時の気象庁の予報官であった著者が、初心者向けに天気図から天気予報を見るという方法を解説されているものです。

 

季節による天気傾向の変化から始まり、気象観測の実際を写真入りで見せてくれます。

 

さらに、当時の山登りには不可欠であった、(現在でもそうなんですが)ラジオの気象通報から自分で天気図を書いていくという方法も丁寧に解説されています。

登山者にとっては、スマホがあるから大丈夫などという油断はせずに自分で天気図を確認する努力が必要なんでしょう。

 

初心に帰りこういった本で原点を見直すということも有益なことかもしれません。

 

さて、この本は昭和50年出版ということですが、そのため使われている実際の天気図がほぼ昭和49年から50年にかけてのものです。

 

極めて個人的な事情なんですが、ちょうど昭和49年4月に大学に入学し、希望に満ちた(?)学生生活を送っていた当時の日付の天気図が解説されているというのも懐かしい思いでいっぱいです。

例えば、冒頭の「春の天気」では49年3月22日の低気圧で大荒れの天気となった列島の天気図が載せられています。

ちょうどこの時期は大学合格後に入学準備をしていた頃でした。

 

梅雨明けの天気図としては、49年7月19日のもので、関東から山陰にかけて伸びている梅雨前線がさらに北上し梅雨明けとなるところです。

この頃には大学のクラスメートたちと海水浴に出かけるという時期だったかな。

 

本書中味の天気図に関するものより、こういった青春の思い出に浸ってしまいました。

 

天気図の見かた (カラー自然ガイド 27)

天気図の見かた (カラー自然ガイド 27)

 

 

「若者はなぜ【決められない】か」長山靖生著

何を「決められない」のかというと、職業などの自分の未来に続くものということです。

つまり、「フリーター」と呼ばれる人たちを扱ったものなのですが、2003年出版の本ということで、まだ「フリーター」を選んでやっている状態だった頃です。

 

今となっては否応なしにフリーター状態に落とされるという方が実態に近いと思いますが、まだ当時はそれだけ余裕もあったのでしょう。

したがって、フリーターを論じるとともに、「オタク」も取り上げられており、現在のような非正規雇用労働者の問題が大きな社会問題となっている事態とはややずれを感じてしまいます。

 

しかし、まあその時点では妥当な考察であったのでしょうから、一応本書記述にそって紹介はしておきます。

 

 

「フリーター」という言葉は、1987年にリクルート社から発行されていた「フロム・エー」という雑誌の編集長が命名したそうです。

「フリー」と「アルバイト」をくっつけただけというものですが、当時の意識では押し付けられた状況ではなく、自ら選んでそのような生き方をする人たちという意味であったそうです。

したがって、社会一般の人びとから見た感覚も「困ったものだ」というのが普通だったようです。あくまでも「正社員として働かない(働こうとしない)」という意味で。

 

フリーターたちは、正社員である「サラリーマン」的生き方に嫌悪感を抱いてその方向に向かったということです。滅私奉公でモーレツサラリーマンという働き方は嫌だというのがその感覚でした。

 

しかし、そのような意志を持ったフリーター以外にも、会社を決め一生を決めるということに向き合うことを嫌うという、モラトリアムのフリーターという人も出てきます。

そういった人々は、親が安定した職業に就いており収入もあるという状況であることが多く、今のところ生活不安がないからということで、決定を先延ばしにしようとしているだけというのが実態でした。

 

本書はそのような様々なフリーターの意識、その周辺の考えなどにも言及しながら、さらに伝統的な貴族や地主階級の子弟という、働く必要がなかった階級というものにも話を広げています。

そしてそれは、労働というものを蔑視する意識ともつながるため、その名残が今でも存在するのではないかということです。

 

以上のように、出版から15年を経てさらに厳しい雇用状況になった現代から見ると、やや時代離れしたようにも感じられる内容になってしまいましたが、著者の責任ではなく、ここまで急速に進んだ非正規雇用の広がりのためなんでしょう。

2003年なんて、ついこの前という感覚もしますが、その間の世相の変化は恐ろしいほどのものです。

 

若者はなぜ「決められない」か (ちくま新書)

若者はなぜ「決められない」か (ちくま新書)

 

 

「若者はなぜ【会社選び】に失敗するのか」渡邉正裕著

就職氷河期は若干緩和されたとは言え、大学卒業生にとって就職というものは大問題であるのには変わりはないのですが、それだけ苦労して入った会社も数年で退職してしまう人が多いということです。

これはやはり会社選びというものを失敗してしまっているのでしょう。

 

この本の著者の渡邉さんも、大学卒業後最初は日本経済新聞社に記者として入社したそうですが、入った早々まったく記者という職業が自分に合わないことに気づき、3年ほどで退社し、今度は外資系のコンサルタント会社に転職します。

しかし、そこでもコンサルという職業にそもそも向いていないということに気づき、ようやく31歳にして自分で会社を作り起業するという選択をしました。

そこで、企業情報をまとめるという業務をネットを利用し行っているのですが、そこでは自らの体験を活かし、若年で会社退職を選んだ人たちに直接会って話を聞き、企業の本当の姿を調べるということをしているそうです。

 

その資料等を見ると、現在の日本の企業(主に大企業)がその内容において大きな差があるということが分かります。

職業力が付けられ、転職してもやっていけるような仕事ができるかどうかという、仕事指標という観点からみても、労働時間や社内の人間関係、女性登用等の生活指標から見ても、報酬や福利厚生、人事評価や雇用安定性という対価指標から見ても、大企業といえどそれぞれ大変な違いがあるようです。

 

その違いに気が付かず、自分に向いていない企業に一所懸命努力して入社し、入ってから違うということに気がつくというのが早期退職をする若者たちの行動なのです。

 

なお、この本の中で示されている企業情報はすべて著者が実際にその企業から退職した人から得たもので、名称等もすべて実名で書かれています。

ただし、調査期間は2003年から2006年までで、本書自体2007年の出版ですので現在の状況とは異なることもあるでしょう。(大抵は悪化しているでしょう)

したがって、今から会社を選んで就職しようという人が全面的に信じてしまうのは危険かもしれません。

 

1仕事指標

転職力が身につくか

一つの会社にずっと勤めるのではなく、有利な条件でどんどんと転職していくという人生を目指す人もいるでしょう。

そういった人たちが選ぶべきなのは、「平均年齢が若い」「人材を輩出している」「規制なし&軽薄短小業界」です。

具体的には、外資金融、外資コンサル、商社、ITベンチャーというった業界です。

間違っても行くべきではないのが「インフラ(交通・電気ガス・NTT)」「大手メディア」「国内金融」「電機自動車」といった業界で、こちらは一生骨を埋める人向きです。(ただし、自分はそのつもりでも情勢の変化で裏切られる可能性大です)

 

2生活指標

働く時間に納得できるか

これには「みなし労働時間制」か「実労働時間制」かの差があります。

みなし導入企業では、「定時って何」というマスコミ・商社群と、「やればやっただけ」の外資金融、IT、コンサルといった区分があります。

また実労働時間制の企業でも、「残業が文化だ」という流通サービス業、「どうせ持ち帰り」のメーカー、金融、知的ブルーカラーという、旧官業系、とくにNTTといった違いがあります。

 

3対価指標

報酬水準という大問題です。

日本では「マネー教育」というものが学校ではされませんので、会社を選ぼうという学生であっても報酬というものがどういうものかという知識がほとんどありません。

額面と手取りということもよく知らないのはもちろん、天引きされるものがどこに行くのかということも知らないままです。

こういった点が会社によって大差があるということも知るべきでしょう。

 

ただし、本書の時点でもこういった制度がどんどんと変わっていきつつあるところであり、たとえば社宅などの福利厚生もどんどんと切り捨てている最中でした。

家族手当や交通費すら廃止という企業も出てきており、額面の報酬額が高くても実際はさまざまな費用がかかるということもあり、慎重に比較しなければいけません。

 

一応、企業から平均年収などといった数値が発表されていますが、これも社員の平均年齢によっても違い、社員の中で採用区分による差(総合職と一般職といったもの)が大きく違う会社も多く、簡単な比較はできません。

 

今のところ、一番高い報酬なのは、民放キー局、大手出版、大手商社、新聞社といったところですが、10年後には激変の可能性もありとしてます。

 

ハイリスクハイリターン、安定度はなしというところでは、外資投資銀行、コンサル

 

将来不安なエリアとしては、WEB系、ソフトハウス だそうです。

 

若者はなぜ「会社選び」に失敗するのか

若者はなぜ「会社選び」に失敗するのか

 

 「若者は」という本ですが、この爺さん(私)でも40年前に会社選びでは見事に失敗しました。

とはいえ、最初に選んだ会社には入社試験で落とされ、最後に引っかかったところに入ったのであまり文句も言えません。

しかし、「報酬」が会社によってこんなに違うということはまったく知らなかった。

まあ、ほとんど残業なしの定時退社で過ごしていましたので、ここもあまり文句も言えませんが。

 

まあ、就職する人は知っておく方が良いのでしょうが、だからといって入れるわけでもない会社のことを調べてもね。

10年でさらに状況は悪くなってしまったということなんでしょう。

 

 

「日本列島人の歴史」斎藤成也著

歴史とはいっても、著者は国立遺伝研究所の教授で、DNAのゲノム情報からヒトの進化を考えるというのが専門ですから、そういった方向性の本です。

 

なお、この本は「岩波ジュニア新書」という、中高生が対象のシリーズに入っているものですが、その内容は非常に高度であると感じました。おそらく、かなり知識のある大人でも十分満足できるものではないかと思います。

 

まず最初に、「日本列島の範囲」というところから話が始まります。

単純に、現在の日本国の範囲などといった安易な方法はとらず、千島列島弧と樺太から、西南にはるか伸びる琉球列島弧までを日本列島とし、そこに住んでいたヒトを対象としています。

したがって、大きく分けて3つのグループ「ヤマト人」「オキナワ人」「アイヌ人」について語られています。

 

次に、歴史区分ですが通常の政治区分によるものとは異なるものを使います。

すなわち、政治中心地というものに大きくスポットをあて、1600年から現在までを「江戸東京時代」、その前の800年から1600年までを「平安京時代」(鎌倉時代は幕府は鎌倉であったものの、実質的中心地はやはり平安京であったという判断です)

その前の200年から800年までの600年間を「ヤマト時代」、そしてその前のBC1000年頃からAD200年頃までを「ハカタ時代」、それ以前はさすがに政治中心地というものは無かったとして、「ヤポネシア時代」としています。

 

「ハカタ時代」という考え方は非常に斬新なものと思いますし、妥当な考え方であろうと感じます。それがBC1000年からというのは長くて驚きますが。

 

なお、アイヌ人の列島北部、オキナワ人の列島南部はこれらの時代区分とはかなり異なるために、別に記述してあります。

北部では、ヤポネシア時代が長く続きアイヌ文化時代、そして中部より遅れて江戸東京時代、南部ではやはりヤポネシア時代が長く、1000年頃から「グスク時代」1500年頃から「琉球王国時代」そして1867年から「江戸東京時代」となります。

 

その後の章では江戸東京時代から始まって(時代を逆行させて説明していますが)ヤマト時代までは所々に斬新な記述はあるものの他書とそこまで違うとも言えないので略します。

 

ハカタ時代というのは面白い着想ですので少し引用します。

この本ではハカタ時代を3000年前に始まったものとしています。これは最新の研究で弥生時代の開始時期とされているものと同じ時点です。

そのような時代にハカタが政治中心であったと言えるかという問題はありますが、稲作というものが伝えられたのは九州北部であるのは確実であり、その後も長い間その地域が文化の最先端であったのも間違いないからということです。

福岡県糸島市の平原遺跡や、佐賀の吉野ケ里遺跡など、巨大な集落の遺跡も残っています。

 

水田耕作はその後徐々に日本列島各地に広がっていったものと見られます。そして、どうやら縄文式土器を使っていた土着の人々も渡来民と混血しながら水田を受け入れていった人も多かったようです。

近畿地方では九州北部より300年ほど後に水田が始まりました。他の地方も次々とそれに飲まれていき、関東地方ではかなり遅れて紀元前2世紀頃に始まったようです。

 

 

最後に、著者らが専門に研究しているDNA解析による日本列島への人間の渡来をモデル化したものが提唱されていますので、それを紹介しておきます。

 

このモデルは列島人形成には3段階の渡来があったものと考えています。

 

第1段階 約4万年前から4000年前まで

 ユーラシア各地から多様な人びとが列島各地に渡来した。ただし、その人口はさほど多くはなかった。

 

第2段階 約4000年前から3000年前まで

 朝鮮半島から列島中央部に渡来し、第1波渡来民と混血しながら徐々に広がっていった。ただし、列島北部・南部にまでは到達しなかった。

 

第3段階前半 約3000年前から1500年前まで

 朝鮮半島から、第2波渡来民と若干異なる遺伝的要素を持つ人びとが、水田耕作技術を持って渡来。居住域を急速に拡大して人口を増やした。

 

第3段階後半 1500年前より現在まで

 第3波渡来民が引き続き移住。それまで東北地方に住んでいた第1波渡来民の子孫は大部分が北海道に移った。第二波渡来民の子孫は東北地方へ。列島南部(琉球)にはグスク時代の前後に九州から第二波渡来民の子孫を中心に多数移住。

 

このように、従来の「二重構造説」と大枠では似ているものの新しい渡来民に若干の違いがあるとした点が特色があるということです。

 

日本列島人の歴史 (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)
 

 最新の研究成果を基に、なかなか面白い見方を教えてくれました。

たまには普段は目にしない書棚を見てみる必要があるかもしれません。

 

 

 

「望遠ニッポン見聞録」ヤマザキマリ著

ヤマザキマリさんと言えば、テルマエ・ロマエの原作者。

17歳にヨーロッパに渡り、その後長く海外生活をしている方です。

(一番長いのはイタリア、その他アメリカ、シリア、ブラジル等にも住んでいたとか)

 

日本というところには、かなり複雑な心境で対峙してきたようですが、やはり祖国としての感情はお持ちのようです。

 

しかし、遠くはなれたところから眺めればいろいろな面が見えてくるようです。

そういった観点からあれこれの話題を連ねていますが、やはり長く住んでいるイタリアと日本といったところの記述が多いようです。

ただし、それもかなり日本から見るイタリア像、ヨーロッパ像とは異なる見方をされていると感じます。

たとえば、日本の雑誌の表紙を飾るイタリア人タレント。いかにも風なタイプですが、マリさんのイタリア人ご夫君は「イタリアでこんな男見たこと無いよ」とおっしゃるそうです。

 

 

日本人の酒の飲み方という点で特徴的なのは「まずビール」のようです。

マリさんの見る所、ビールは日本のものが世界で一番美味しいのではないかということです。

しかし、ビールへの嗜好ということでは、他のビール愛好国(ドイツ、デンマークアイルランド等)と日本とは大きく異なるようです。

 

ビール愛好国はビールだけ、ワイン愛好国はワインだけを飲むというのがあちらの流儀で、イタリアでは通常はワインしか飲みません。しかもイタリアワイン限定で、ワインならフランスでもスペインでもチリでも構わず飲むという日本人とは大きな差があるようです。

 

 

 

おしん」というテレビドラマは世界各国で放映されており、国によっては非常に大ヒットしているということはよく知られていることでしょう。

しかし、その状況は国によってかなり違い、アジアやイスラム圏の人々は特に強く自らのことのようにそこに引き込まれて見てしまったようですが、西欧諸国ではそれほどの感動は呼ばなかったようです。

 

やはりアジアやイスラム圏の特に女性たちは、「耐える」ということが生活の中で大きな位置を占めており、そこに「おしん」への共感が広がる理由があったようです。

その点、西欧諸国ではそのような心理があまり理解できる状況ではなかったようです。

 

 

海外で暮らす時の心構えとして大切なのは、やはり「郷に入れば郷に従え」で、現地の人と可能な限り同じ暮らしをするということが必要なことですが、さすがのマリさんも絶対に我慢できないのが「美容院」と「歯医者」だそうです。

髪の毛というものに一番気を使っているのは文句なしに日本人だそうで、さらに髪型も客それぞれに似合ったものを工夫してアレンジしてくれる技術は最高だそうです。

 

そんなわけで、美容院はできるだけ海外では行かずに、日本に帰った時に行くようにしていたそうですが、歯医者はそうは行きません。

痛んだ時は仕方なく現地の歯医者にかかったそうですが、日本のような上手で注意深く処置してくれるような歯医者にはイタリアでも中東でもポルトガルでもお目にかかれなかったそうです。

また、アメリカでは眼の飛び出るような見積書を出され、やらずに我慢ということもあったとか。

 

どうも、海外から(しかも日本のことに精通している人が)見た日本というものには、面白いものがあるようです。

 

望遠ニッポン見聞録 (幻冬舎文庫)

望遠ニッポン見聞録 (幻冬舎文庫)