爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

北方領土に関する維新議員発言。これは言語道断だが、ロシアがこれについて批判しているのはもっとひどい。

維新の衆議院議員丸山穂高が、北方領土を取り戻すには戦争しかないと発言し、維新は丸山を除名、議員辞職も促すという事態になっています。

biz-journal.jpこの発言時には酔っ払っていたと、酒のせいにするというさらなる問題発言ですが、まあ日本の国会議員としては許されない発言であるのは確かでしょう。

 

しかし、この発言をロシアも報道し、批判しているというのはどうでしょう。

www.jiji.com

これが起きた経緯というものを忘れているようです。

 

北方領土がロシア領となったのは、第2次世界大戦の結果によるものだというのは、今年はじめにロシアのラブロフ外相が自ら語り日本批判を繰り広げたというものです。

www.jiji.comこれを聞いた時には、ロシアとは相変わらず野蛮な国だと感じましたが、それを忘れたふりをして日本議員を批判とは、さらにその思いが強くなります。

 

とはいえ、戦争によって領土が移動するというのは昔から常に起きていたことであり、現在ではそのようなことは起こらないなどとは言えるものではありません。

ただし、それが現実であっても「平和条約」を結ぶ際にはそのような戦争の残した遺産をすべて解決してからというのは当然のことであり、そのための平和条約であるということです。

そこに双方の考えの食い違いがあるのなら、平和条約はまだ結べないということであり、その時期ではないということでしょう。

 

もちろん、だから北方領土を取り戻すには戦争しか無いなどという発言は無意味であり、国会議員としては不適格ということには間違いはありません。

 

 

「後醍醐天皇」兵藤裕己著

鎌倉幕府の滅亡と南北朝の騒乱、それを引き起こした要因の一部は、後醍醐天皇という天皇家史上稀な存在にあります。

「賢才」か「物狂」か。その評価は大きく別れます。

 

この時代は、古代からつながっていた社会構造を一変させ、それまでの血縁や地縁が深かった共同体のつながりから、一揆や一味同心といった人の結びつきに変わっていきました。

文化史的にも能楽茶の湯、生け花など現在「日本的」とされている文化は南北朝の後に始まるということになります。

そのような激動の時代を作り出したのには、後醍醐天皇の活動というものが大きく寄与していたと言えそうです。

 

後醍醐天皇(尊治親王)は、後宇多天皇の第2皇子として生まれました。

その当時はすでに天皇家持明院統大覚寺統に分裂し、両統から交互に天皇に即位するという慣行が行われていました。

さらに、大覚寺統でも後宇多天皇の嫡子が後二条天皇として即位し、その皇子もいるために本来ならば尊治親王皇位につけないはずだったのですが、兄の後二条天皇が急死し、その子の邦良親王が病弱であったため、急遽尊治が立太子することとなりました。

しかし、父の後宇多上皇からは、その位は一代限りのものとし、邦良親王に返すという条件付きのものでした。

その時の天皇大覚寺統花園天皇でわずか12歳、尊治皇太子はすでに21歳でした。

さらに、尊治皇太子は政治基盤を強めるため?鎌倉幕府とのつながりの強かった西園寺家の娘を「密かに盗み取って」妃にしてしまうという行動も取ります。

子供まで作ってしまい離すわけにもいかなくなりました。

 

立太子から10年、その後の両統交互の即位という原則で合意する「文保のご和談」というものが成立し、花園天皇が譲位し後醍醐天皇が即位します。

さらに、その当時院政をしていた後宇多法皇も引退することとなり、ここから後醍醐天皇の親政が始まります。

 

鎌倉末期に日本に伝えられていた、宋学と呼ばれる儒学の一派が非常に栄えることになります。

日野資朝日野俊基といった中流貴族出身の英才の引き立ても目覚ましいものでした。

こういった後醍醐天皇の人材登用は、彼らに続く中流貴族たちに中国の「士大夫層」という意識を生み、さらに宋学との結びつきを強めたようです。

後醍醐天皇の意識にも宋学で説かれているような中国流の中央集権的国家のイメージがありました。

それが「新政」と意識されたのでしょう。

 

その後、倒幕の動きとそれに対する幕府側の対応、さらに名和長年や楠正成などの挙兵といった動きが強まり、幕府は倒れますが、足利尊氏との争いが始まり南北朝時代へと移っていきます。

 

南北朝時代の2つの王朝のどちらが正統であるか、ということを論じることが行われたのは、江戸時代になり徳川光圀が「大日本史」をまとめた頃からのことのようです。

大日本史では、明確に南朝を正統とし、北朝を閏統(非正統)としています。

これは徳川光圀が特にこだわった意見だったようです。

ただし、それは朱子学の正統論などが影響を与えたというよりは、徳川家康清和源氏新田流からの出自を唱えていたためのようです。

その系図は怪しいもので途中が数代飛躍しているようなものなのですが、とにかくその系図で源氏からの系統を主張した以上、新田義貞が守ろうとした南朝が正統であるということだったようです。

 

後醍醐天皇の起こそうとした新政(天皇中心の中央集権国家)というものは、近代以降にまで影響を大きく与えています。

今でもそれをしっかりと考えていかなければならないのでしょう。

 

後醍醐天皇 (岩波新書)

後醍醐天皇 (岩波新書)

 

 

大学生の数学理解レベルの低下 %が分からない

ニューズウィーク日本版に、桜美林大学教授で数学者の芳沢さんが、%に代表される比率というものが分からない大学生が増えていると書いています。

www.newsweekjapan.jp有名大学への進学競争は過熱気味かと思いますが、一方では底辺大学だけでなく多くの大学で学生のレベル低下が見られるようです。

 

私も、中高生の勉強を見ていたことがありますが、この「比と割合」というところは根本ができていない子が多いようにも感じました。

 

数学の全体を見ても、関数やグラフを扱う範囲や、図形の幾何と比べ、数列や確率、比率や割合といったところは、より実生活にも関係することが多いはずなのに、不得意という人が多いように思います。

これはおそらく小学校程度の算数の理解度にもよるのではないかと感じます。

この辺はつい先日ここで書いた「小学校教員のレベル低下」とも大きく関係してくるのかもしれません。

芳沢さんの記事の中にも、小学校の段階のテストでやはり%に関する問題で、正答率が13%というものがあったと書かれていました。

この状態が中学どころかそのまま大学まで続き、数学の分からない大学生頻出となっているのでしょう。

学校での指導も、数学を分からせるということではなく、なんとかテストで点が取れれば良いというものになっているとか。

 

数学教育の抜本的な改革が必要と、芳沢さんの記事は結ばれていますが、実際は問題があるのは数学だけではありません。

他の教科も同様であるということでしょう。

「俗語発掘記 消えたことば辞典」米川明彦著

冒頭の「まえがき」に著者がこの本を作り上げた方針が書かれています。

明治から現在までに現れては消えていった俗語を辞典風に解説したというものですが、そういった「死語辞典類」は従来も何冊も出版されてきました。

しかし、著者はこれまでの40年間にわたって、俗語の収集と研究を続けてきたという自負から、そのような類書とは異なり、「完全に”俗語”に絞った」という点と、「辞典に徹し、俗語の使用時期、誰が使っていたか、実際の用例、現状など」を詳述したということです。

そのため、非常に詳しく「消えていった俗語」について知ることができますが、だからどうしたというと、それほど参考になるわけではありません。

 

明治時代の俗語というのは、ほとんど使用例も聞いたことのないようなものがほとんどです。

昭和初期からのものは、すでに消えたものはその使われた実例を聞いたこともありませんが、実は私の父親が昭和初期に東京で勤め人をしていた関係か、結構家庭内で聞いた覚えがあるものが多いようです。

戦後から現代のものは、まだ生々しく耳に残っているものもありました。

それでは、そのいくつかを紹介しておきます。

 

テクシー てくてく歩くこと。徒歩。

 

これはもちろん、「タクシー」というものが出現した頃に、それをもじって「てくてく歩くこと」を「テクシー」と表現したものです。

東京にタクシーが出現したのが1912年ということですが、「テクシー」という言葉もその後すぐに現れます。

大正時代から昭和初期にかけて、文芸作品にも現れることもあったようです。

これも、我が家では今はなき父親が使っていましたので、知っていました。

 

あんぽんたん 間が抜けていて愚かなさま。

 

これは、完全に消えたとも言い切れないのですが、まあほとんど使う人は居ないようです。

出現したのは江戸時代、反魂丹という薬の名前をもじったという説と、他にも語源の説がいくつかあるようです。

相手の間が抜けていることをからかうのですが、ユーモアがあるために言われてもそれほど腹も立たないという、優しさのある言葉です。

 

江川る ゴリ押しする。人を犠牲にして平気でいる。

 

これは、語源となった事件から言葉が出来上がった経緯まで明白な例です。

1979年のプロ野球ドラフト会議で、「空白の一日」に巨人と契約という奇策を使い、ドラフト本番では阪神に指名されたものの混乱は収まらず、結局当時の金子コミッショナーの裁定で一旦阪神に入団した形を取り、巨人の小林繁投手とトレードするということで、思い通りに巨人入団を果たしたというものです。

社会からの批判を集めましたが、固有名詞に「る」をつけて動詞化するという俗語製法にしたがい、「江川る」という言葉が流行しました。

この事件に関連しては、他にも「小津る」「金子る」「コバる」といった言葉も生まれてはすぐ消えました。

 

テンプラ メッキしたもの、偽物。特に偽学生。

 

江戸時代末期には、小さなエビなどに衣をたっぷりつけて揚げることから、メッキしたものをテンプラと呼ぶ用法が出現していました。

明治時代にはメッキした金時計などをテンプラ時計と呼ぶようになります。

さらに昭和になると学生でないのにその学校の制服制帽を着用し、教室にまで入り込んで授業を聞いているような偽学生が出現し、それらを「テンプラ学生」さらに「テンプラ」だけでも学生を示すようになります。

大学生が学生服などを着なくなって以降は、そういった偽学生も消え、言葉も消えました。

 

俗語は、仲間内だけで通用する隠語といったものも多く、このような言葉は世間に広まるようになるともう使われなくなるようです。

現在では、女学生などがそういった言葉の発信元になっているのかもしれません。

 

俗語発掘記 消えたことば辞典 (講談社選書メチエ)

俗語発掘記 消えたことば辞典 (講談社選書メチエ)

 

 

米中貿易戦争について、筑波大名誉教授遠藤誉さんの解説

ニューズウィーク日本版には、筑波大名誉教授の遠藤誉さんが「鍵を握るのは日本」と書いています。

www.newsweekjapan.jp中国もどうやら本気で抵抗するつもりとのこと。

究極まで進めれば、世界各国もアメリカに付くか中国に付くかということになってしまいます。

 

日本では多くは皆アメリカに従って中国が干上がり降参するという見方をしているようですが、遠藤さんによればEUとアジア・アフリカの「一帯一路国」が中国に付くだけで十分に中国はやっていけるということです。

 

そしてもしそうなると世界もアメリカと中国に二分化されてしまうことになります。

日本はそれでもアメリカについていくのでしょうが、その時に日本の態度が大きな影響を持つとか。

自民党でも二階幹事長は中国に近寄りつつあるとも言われています。

さて、実際はどうなっていくのでしょう。

米中貿易戦争の行方は。田中宇さんの「国際ニュース解説」でも長文の説明が。

アメリカが中国からの輸入品への関税を25%とする件については、一報を書きましたが、田中宇さんの「国際ニュース解説」でも触れてありました。

米中の貿易戦争再燃か、アメリカは中国からの輸入品に対して25%関税、中国も対抗処置 - 爽風上々のブログ

 

tanakanews.com

田中さんのこれまでの主張では、トランプはアメリカの一極覇権体制からの撤退を間違いなく目指しており、世界情勢に対するこれまでの覇権国の責任をすべて放棄しようとしているとしています。

 

私は、トランプがそこまでの深い戦略思考を持っているとは到底思えないのですが、どうもそれに沿った展開になっているようです。

 

これまでのアメリカ政府の対中戦略は、外交軍事では厳しい態度を崩さずにいるものの、経済面ではアメリカ国債の中国の大量購入ということもあり、非常に友好的とも言える状況を作ってきました。

しかし、トランプは経済面でも中国敵視政策を進めており、ホアウェイの製品締め出しを同盟国にも強制するなど、新たな段階に進めています。

 

 これは新冷戦の開始とも言えるもので、同盟諸国にも同様の態度を取るように強要していますが、中国との結びつきが強いのは日本ばかりでなく、他の国も苦慮するようです。

 

その一方、同盟各国との貿易条件交渉などではアメリカ有利の条件を無理強いしており、これは同盟国を中国側に追いやろうというアメリカの深謀とも見えます。

 

これまでのように、アメリカの金融体制が盤石と見えている間はまだアメリカに付いていったほうが良いという判断にもなりますが、アメリカの金融経済はバブルそのものであり、その先行きは不透明です。

 

田中さんの記事の最後の部分は驚くほどのものです。

トランプの裏の意図は、世界経済を米中貿易戦争によって米国側と中国側に二分した後、巨大な金融バブルの崩壊を誘発して米国側を覇権ごと潰す一方、中国側の実体経済をできるだけ無傷で残すことで、米単独覇権体制とそれを動かしてきた軍産複合体を消失させ、世界の経済成長(バブルでない部分)を維持したまま覇権体制を多極化する「隠れ多極主義の戦略」にあると私は見ている。

アメリカを潰し、その時にまだ中国の痛手が少ないように操作しているというのです。

あのトランプが。

とても信じられないのですが、これまでも田中さんの言う通りとなったことも多いようです。

どうでしょうか。

 

 

「内田樹の研究室」より、「小学校教員の採用試験の倍率低下について」

2018年の小学校教員採用試験の倍率が3.2倍となり、7年連続の低下で過去最低となったそうです。

blog.tatsuru.com

倍率3倍以下となると採用した教員の質の維持が難しくなる「危険水域」だとか。

 

文科省の見解というものも出ているようで、定年退職者の増加に伴う採用増、民間の求人増、教員免許取得可能大学の減少だそうです。

 

しかし、世間の誰もが気づいているように、「小学校教員が魅力のある職業ではなくなったせい」なのは明らかです。

 

特に、ブラック企業よりもひどいと言われている残業時間の増加、そして給与レベルの低下ということであるのは、皆知っています。

 

その対策も誰でも分かっていますが、「教員の負担軽減と給与増額」です。

 

しかし、政府文科省はそれをまったくやろうとはしてこなかった。

内田さんが大学教員であった29年間、文科省からの通達で仕事が減ったことは一度もなかった。

負担が増える一方であったということです。

内田さんの言う通り、教育の質を高めるためには「現場の教員が機嫌よく教育活動に専念できること」が一番です。

しかし、政府のやってきたことは、「教員たちを管理し、恫喝し、査定し、無意味な労働を強い、屈辱感を与えることに政策的努力の過半を投じて来た」ことばかりです。

 

政府はそれを目指し、そのための効果的な方法を間違いなくやってきました。

その結果がこれです。

教育をないがしろにしている国の将来は希望が持てないのは明らかでしょう。